卒業生ヤマの明るさ真史あり [2018年02月24日(Sat)]
出雲高校「山高」のこと。思いのほか反響があったので続編を。
山高の由来は、小高い丘にある校舎で、ひ弱な連中が偉ぶって見えるのを蔑んだところからきたと説明した。 言葉とは面白いものだ。差別的な意味はなくても軽蔑の気持ちで使ううちに、言葉に怨念が乗り移るようにして差別が塗り込められていく。それが言霊というものだ。人権を犯すほどの差別語となってしまうと、言葉は糾弾され、忌避され、捨てられる。マスコミがクレームを恐れて自主規制する用語もたくさんある。不自由な言葉はどんどん増えていく。負のスパイラルに陥った言葉に浮かぶ瀬はない。 ところが「ヤマコー」は異なった。蔑視の意味で周囲が使い在校生を不快にさせた歴史が忘れられて、いつの間にか母校愛でもって使う言葉に変ったのだ。大げさに言えば、「ヤマコー」は侮蔑語から昇華して尊称となった。 学校の価値は卒業生に負うところが大きい。てるみくらぶ元社長のように、詐欺まがいの倒産劇を演じる者は願い下げにしたいが、多くの卒業生たちが懸命にかつ賢明に、地域に根を張り世界に雄飛したことによって、出雲高校は大きく価値を上げた。「ヤマコー」を侮蔑の意味で使う人がいなくなったことが何よりの証明だと思う。 韻律の明るさも相まって、これからも在校生たちは誇り高く「ヤマコー」と呼ぶことだろう(私は使わないが)。この考えはいかに? カーリング日本代表の女子のように「そだねー」と同意してくれる人がどれだけいるかな? |