真田丸史実のほかにお楽しみ [2016年10月02日(Sun)]
映画『真田十勇士』は舞台が元となって演出されたものらしい。主演の二人を同じ俳優がつとめる。猿飛佐助は中村勘九郎、霧隠才蔵を松坂桃李が演じた。
状況に応じて変幻自在、気分次第でアドリブに満ちた佐助。一方でひたすらシリアスな才蔵。しかし最後におちゃらけで才蔵も笑いの渦を巻き起こす。二人とも忍びの達人で腕力と剣術は滅法強い。もちろん敵には討たれない。史実には関係なく楽しんだ。 題名とは違って真田幸村は主役ではないのだが、ホンモノでありたい、なりたいという幸村の架空の葛藤が面白い。幸村は名将・知将の名を欲しいままにしたが、実は臆病この上なく、たまたま運良く戦いに勝ち続けた(そんなわけないけどね、まっいいか)。 紀伊の九度山で幸村と佐助が出会うことから話は始まる。佐助は思い描く理想形に向かって進む。天下を相手にデッカい嘘をつくという理想形。そこに才蔵ほかが集結し舞台は整った。 生まれついてホンモノである人は稀だ。よほどの天才を除けばだが、誰もが努力の末にホンモノになる。かといってホンモノという完成形が静的な状態であることはない。高みを目指し続けることでのみ、ホンモノは本物として輝く。そして嘘も演じ続ければ定着する。これもホンモノになる。破天荒な策士佐助、ホンモノになった真田幸村を見ながら、そんなことを思った。 (西洋風蝶草(せいようふうちょうそう)はつくろわない。ありのままの姿。西洋名はクレオーメ。おめぇをくれー、なんちゃって!) |