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青銅器かなわぬことよ鉄器には [2016年09月14日(Wed)]

fumihouse-2016-09-14T22_42_41-1-thumbnail2.jpg人類が鉄製の農具を使うようになって、どれだけ生産効率が上がり、収穫が増えたことでしょうか。多くの人を養えるようになりました。一方で農具にとどまらず、武具も発達するので血なまぐさい戦争も増えます。

古代出雲は青銅器文化です。荒神谷の銅剣がそうですし、加茂岩倉遺跡の銅鐸も青銅器ですから、当時出雲が繁栄を極めていたとしても、あとから来た先進文明の大和が鉄の武器を背景に脅したとしたらどうでしょう。戦っても勝てなかったと思います。

出雲・大国主神が天照大神から全土を明け渡すよう要求され、戦争で血を流すことなく大人しく降伏したのが国譲りの神話です。少しは事実に基づくと想像するならば、鉄器に青銅器が負けた構図が見えてきます。当時最新の科学技術に出雲は負けたのでしょう。

国譲りの反省を活かしたのか、出雲は近代まで鉄の産出に優れていました。斐伊川上流の中国産地から砂鉄を取り出し、木炭を燃料にして鑪(たたら)製鉄が盛んだったのです。原野を開拓し農作業を安定的に行っていくには鉄製の農具が不可欠でした。その原材料基地となったのが奥出雲で、多くの玉鋼(たまはがね)を日本中に提供してきました。

鑪製鉄は、土製の炉の中で、木炭を入れる→風を送る→砂鉄を入れる、これを三日三晩ぶっ通しでやり続けるのです。最後に炉をこわして鉄を取り出します。これを指揮するのが村下(むらげ)という技師長です。村下の勘と経験が鉄の出来を左右しました。出来た鉄の塊がヒ(けら)であり、このうち最も良質の鉄が玉鋼なのです。

雲南市・吉田にある鉄の歴史博物館を訪れると、当時の仕事を復元した貴重なドキュメンタリー映像が放映されています。鑪製鉄は今では日刀保たたらでのみ年数回操業されていますが、刀剣作家のために玉鋼をつくります。吉田に行ってみてください。近世、場合によっては中世の雰囲気をたたえた昭和の世界を堪能できるでしょう。そういえば、この春には「出雲國たたら風土記−−鉄づくり千年が生んだ物語」のストーリーのもと、日本遺産に登録されていますので注目ですね。

(蕎麦の花が咲いています。雲に隠された日曜日の花でしたが、朝焼けに照らされていい味を出しています)