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凡庸か天才なのかは誰決める [2016年07月20日(Wed)]

fumihouse-2016-07-20T18_22_22-1-thumbnail2.jpg凡庸なる者の一人としてこの映画を見た。彼は神に我を捧げ、音楽的才能の開花を渇望した。青春を賭けて血のにじむ努力を重ねてきたであろうが、彼は神と決別した。老いさらばえた男の独白が重い。

彼は神を捨てはしたが、神を否定したわけではない。モーツァルトだけを寵愛し天賦の才を与えた神を怨み、凡庸な自身をはかなんで嫉妬に狂った。モーツァルトを苦しませることは神への復讐。その罪深い行いに対し、神は永遠の責め苦を与えることを覚悟しての彼の振る舞いであったのだ。

映画『アマデウス』では、モーツァルトの交響曲第25番が冒頭に流れ、速いテンポの短調で物語の悲劇性を暗示する。終曲のピアノ協奏曲第20番がもの悲しい。神と戦い終わっても彼は勝利感にひたっていない。

モーツァルトは今でいう発達障害であろうが、天真爛漫で思うままを口に出し、礼儀正しく振る舞っておけば他人から支持されることを露知らず、自己の才能はスゴいと臆面もなく主張する。誰もがモーツァルトの人間性に眉をひそめる。

ただ一人、彼だけはモーツァルトとは神が生んだ最高傑作であることを理解したのだ。天才には優良なマネージャーが必要なのだが、モーツァルトは恵まれなかった。頼りになる父も失い、妻は考えが浅い。周囲に真の味方はおらず、モーツァルトは孤立無援だった。彼は味方のふりをしてモーツァルトの前に現れる。そしてモーツァルトを崖っぷちに追いつめていく。

彼とはアントニオ・サリエリ。非凡なる才能を見いだす鑑賞眼から、今ならば傑出した批評家として名を馳せるであろう。天才モーツァルトには比ぶべくもないがオペラを作曲し宮廷音楽を司る力。神聖ローマ皇帝の宮廷作曲家として並ぶ者がいない地位。皇帝をはじめ凡庸なる生徒をおだてて音楽に向かわせる教育力もあり、穏やかに上位者を説得する常識力もある。

サリエリは傑出した非凡な男である。しかしサリエリは自分がモーツァルトでなければ我慢ならなかったのだ。神を恨んだ。なんとも贅沢なこと、哀れなことだ。

モーツァルトの遺体は共同墓地の大墓穴に投げ込まれたまま、他の遺体とともに薄汚い白布で覆われて投げ置かれた。当時の庶民の実相がピアノの音とともに悲しかった。

(金鎖(きんぐさり)、別名は黄花藤(きばなふじ)。晩春に咲く。ヨーロッパ原産というがモーツァルトもこの花を見たろうか)