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きっと出る演じることを繰り返す [2016年03月09日(Wed)]

fumihouse-2016-03-09T20_26_14-1-thumbnail2.jpg「キャラを演じる」と言われる振舞いがある。グループ内で天然ぶったり、ボケる役割を割り付けるものだ。この作法に波風をたてるとイジメられたり、排除されたりするという。キャラが被る(似る)と、あえて違う自分を演じることもあるらしい。ありのままが許されないとは不自由なことだ。

演出家の平田オリザ氏は、「演じる」ことの大切さを訴えかける。決してキャラを使い分けることの有益さを説くのではない。

≪日本では、「演じる」という言葉には常にマイナスのイメージがつきまとう。演じることは、自分を偽ることであり、相手を騙すことのように思われている。(中略)
 人びとは、父親・母親という役割や、夫・妻という役割を無理して演じているのだろうか。多くの市民は、それもまた自分の人生の一部分として受け入れ、楽しさと苦しさを同居させながら人生を生きている。いや、そのような市民を作ることこそが、教育の目的だろう。演じることが悪いのではない。「演じさせられる」と感じてしまったときに、問題が起こる。ならばまず、主体的に「演じる」子どもたちを作ろう≫
(平田オリザ『わかりあえないことから〜コミュニケーション能力とは何か』2012年,講談社現代新書)

自分らしさとは何だろう。冒頭に「ありのまま」と書いたが、自分の本当の姿などあるものだろうか。虚構かもしれない自分らしさを求めて、自分探しに遍歴する人もいる。とりあえず決めた自分という枠組みに安住しようとする人もいる。

心もとない状況に迷うとき、絶体絶命のピンチに立ったとき、頼りになるのは自分しかいないとき、「ガンバレ!自分」と第二の私が顔を出す。日々人間社会の中で他人との関わりの中で格闘してはじめて、見えもしなかった自分の個性が現れてくる。探さなくても関係性の中から自ずと味わいが生まれてくる。それはつまり「演じる」ことの繰り返しなのだと思う。

うまくいかなくて不機嫌になりそうな時には、あえて上機嫌を演じよう。周囲に負のオーラを撒き散らすのを止めておこう。パニックになりそうな厳しい状況では口角を上げてニッと笑顔を所作してみよう。その繰り返しでプラスの自分が現れ出でて、新しい自分を物語ることになるのに違いない(と反省を込めて)。

(ユキヤナギが花を咲かせた。時季になると無理せず才をてらうこともなく、ありのままの姿で咲く)