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即物の愛に染まりてシェルブール [2015年05月21日(Thu)]

fumihouse-2015-05-21T19_08_07-1-thumbnail2.jpgシェルブールには雨傘が似合う。もちろん出雲だって、サンパウロも重慶だって同じこと。しかるべき男女の恋と哀愁の別離があれば、雨傘は似合うのだ。

冒頭はフランス北部シェルブールの港湾。有名なテーマ曲がフルートのソロで始まる。前奏なし伴奏なしでシンプル。映画『シェルブールの雨傘』ではこのテーマがくり返し流れる。同じ節のシャンソン歌謡として、ジュヌヴィエーヴ(カトリーヌ・ドヌーヴ)が台詞を歌う。「あなたなしでは生きていけない」と。

ミュージカルではないが、役者は節をつけて台詞を演ずる。音楽に似て流麗なフランス語が甘い調べとなって、観客を甘辛い愛の世界にいざなう。最終場面では荘厳なオーケストレーションでもって、ひとつの愛の終局をいやがうえにも感じさせる。

ジュヌヴィエーヴは世間知らずのねんねだ。結婚を誓い合ったギィが居ないことの重さに、彼女は耐えられなかった。ギィと「愛してる」と交わし合ううちは燃えたつのだが、彼が戦地に送られてしまうと、自分を忘れてしまったんじゃないの?と疑心暗鬼にとらわれて心穏やかでない。恋愛が即物的なのだ。自分にとって愛する意味とは? 結婚後はどんな生活をして、今お腹にいる子供をどう育てていくのか、といった想像を羽ばたかす能力に欠けていた。

ちょうど傷心でお金持ちの紳士が登場した結果、彼女はほんの少しの葛藤で、紳士カサールの求婚を受け入れた。彼女にとっての恋愛は、形而下のものであり形而上の愛にはならなかった。彼女にとってギィは、去る者は日々に疎しの存在でしかなかった。

カサールは単に金の力で彼女を獲得したわけではない。立派な男だった。彼女とギィの子供を無条件で受け入れ愛を注いだ。そのまっすぐさが、愛を貫いたままアルジェリア戦争から帰郷したギィと重なる。ギィにとってジュヌヴィエーヴのいない故郷は痛手だった。

傷心の彼を癒やしたのがマドレーヌ(イングリッド・バーグマン似の美人)だった。マドレーヌは彼の育ての親であった伯母の介護者だったのだ。ジュヌヴィエーヴはパリに去り、頼みの伯母も死んだ。自暴自棄の状態が癒えた彼とマドレーヌは結婚する。

数年が過ぎ、ある雪のクリスマスイブの夜。ギィはジュヌヴィエーヴに偶然再会した。助手席には幼い女の子。ギィと彼女の子供、フランソワーズだ。ジュヌヴィエーヴは一つだけギィとの約束を果たした。産まれる子供が「女の子だったらフランソワーズ、男の子だったらフランソワと名付ける」という約束だ。彼も約束を守った。マドレーヌとの間に産まれた男の子はフランソワだった。

「会ってみる?」と尋ねるジュヌヴィエーヴの誘いに彼は耐えて、無言で首を振った。雪の降りしきるシェルブールで終局。美しいテーマは終曲し、新しい愛に生きる二人それぞれが別の道を歩き出したのだ。

(片鱗は見せはするが、カトリーヌ・ドヌーヴもこの頃は大女優ではない。しかし、ムラサキツユクサの気品ほどのものは十分感じられた)