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会わずとも父なり子なり交響詩 [2015年03月09日(Mon)]

fumihouse-2015-03-09T22_20_39-1-thumbnail2.jpg邦画の中でも随一の名画だと思う。午前10時の映画祭で『砂の器』を観た。捜査が難航を極めた蒲田駅操車場殺人事件。丹念に事件を追った今西刑事(丹波哲郎)と吉村刑事(森田健作)が捜査会議で犯人の足取りを解き明かす。謎解きは状況証拠と物的証拠にとどまらない。犯人が6歳の子供だった頃から紐解いて、その心理の解明も交えて説得力ある証明を連ねる。不遇だった犯人とその父親への同情的視点も含めて胸が熱くなる。

一方で和賀英良(加藤剛)による新曲の演奏会が同時並行で描かれる。新鋭のピアニスト兼作曲家の和賀。将来を嘱望されて初演する大作は交響詩「宿命」。和賀の指揮とピアノによる壮大な交響詩が胸に迫る。テーマたる旋律は伸びやかではあるが、悲しい叙情に満ちている。

殺された亀嵩駐在所の三木元巡査(緒形拳)。緒形の出雲弁が実にいい。おちぃらとした(ゆったりした)節回しの中に、誰人をも助けたいと願う人情の厚みが感じられる。だが犯人はその人情が疎ましくなったのだ。正確に言えば、その人情は十分理解したと思うのだが、三木の求めるとおりに長きに渡る親子の断絶を埋めることはできなかった。犯人にできたことは、演奏を通して父に子としての情を届けることだったのだ。

目の前で演奏するわけではない。しかし、父と子は時間と空間を隔てても対面を果たすことができる、と犯人は思った。父と実際に対面すれば、その望みが断たれると思ったのだ。和賀は親子の情を通じることと、超一流の音楽家としての演奏会の成功とを、両立させることを望んだ。

だが、「なしてだや? 死にかけちょー親にあーのが子供の務めだがやー」と迫る熱血元巡査には和賀の心情を理解することはできなかった。和賀と三木との間には大きな大きな溝があったのだ。

演奏は着々と進み「宿命」のテーマフレーズが幾度も変奏して観る者の心を揺さぶる。丹波哲郎が朗々と論ずる。ときに涙を拭いながら訴える。父子の苦しい乞食行のシーンを和賀が回想しつつ演奏は続く。オーケストラが織りなす交響詩と渾然一体となって話は進む。その豊穣な響きに感動しない者はないだろう。

当時は不治の病だった癩病(差別感の塗り込められたこの表記はなくなったが、ハンセン氏病と表記してはのっぺらぼーになってしまう)で故郷を追われたこの父子をはじめとした、多くの方々の苦しみを代弁した映画でもあると思う。父が慟哭した。子を思い、やるせない自身の苦しみをぶつけた。

鉄道の旅情を感じさせる映画でもある。東北新幹線などないあの頃、今西刑事は夜行急行列車で羽前亀田へ行った。伊勢へも奥出雲へも列車の長い旅だった。旧国鉄ファンには堪らない映画であろう。国鉄・山陰線の宍道駅から中国山地を縦断して広島県方面へ向かう木次線。映像では、そのディーゼル機動車が3両編成だったことに驚いた。昭和40年代までは旅客も貨物も鉄道全盛であったことがわかる。

まさに映画そのものが交響詩である。音楽と風景と鉄道と様々な人間群像とが一体となって感動を呼び覚ます。わたしも含めて洟をすする音が絶えなかった。