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暮れていく晦日の仕舞う時間なり [2013年12月31日(Tue)]

__tn_20131231205902.jpg大晦日も暮れていきます。ただいま夜の九時前。紅白歌合戦が盛り上がっています。

ところで「晦日」(みそか)。もともとは三〇日目の月の日。太陰暦では月の最終日ですが、太陽暦に替わったのちは二八日でも三十一日でも晦日といいます。そして暦年の最終月の最終日が大晦日。

さらに「晦」という字。みそかの他には、カイとか、つごもりと読みます。暗いとか、くらますという意味があるのですが、もともとは月が隠れるということです。月の三〇日目は新月で月齢ゼロ。太陽と地球との位置関係では月が真ん中に入るので、ときどき月食がおこります。

私たちは日毎日毎の営みを繰りかえし、月の最終日がやって きて、「今月も終わったか」と感慨を憶えます。それを十二回繰り返すうちに、今日の大晦日にいたるわけです。

なんだかんだと言いながら、ことしもあと3時間。この一年、このブログをご愛読いただきありがとうございました。皆さまにとってステキな午年になりますように。どうぞよい年をお迎えください。

(写真は大晦日の出雲の空。明るい太陽が時折きらめいた)
かぐや姫天にも上るその気持ち [2013年12月31日(Tue)]

__tn_DSC_4404.JPG「天にも上る気持ち」と言う。本当に上ってしまったらどうなるだろうか。望みがかなえられると天に上る。仏法でいうところの天上界、略して天界である。だが、天界の寿命は短い。喜びはたちまち色あせて、獲得したのが物であれば、存在することが当然となって有り難みが減っていく。得た喜びが行為や事であれば、次第に感謝の心が薄らいで天上からは落ちていく。

かぐや姫にとって天に昇るとは、罪を許されて月に帰ること。だが、罪深い月人が流される先の星、穢れた地球で悩んだり苦しんだり、悩ませたり苦しませたりするうちに、彼女はここが唯一無二の故郷となっていく。翁と嫗を、ととさま、かかさまと慕って喜怒哀楽をともにする。

映画『かぐや姫の物語』では、かぐや姫に「張り合いがあればよく生きることができる」という意味合いの台詞がある。困難を乗り越えることを張り合いとして彼女は生きる証をつかんだのだ。そして、私は誰のものでもないし、私は私だ。私は誰かが幸せにしてくれるのではなく、私が私を幸せにするのだと心に決める。

そうした葛藤と決意がかぐや姫のいきいきした目と伸びやかな動線に表れているのが実にいい。どこか他所によいところがあるのではない。困難もあって張り合いのある生活こそが私の生きる道。そう思って彼女は、悩み苦しみがない天上界、月世界を飛び出した(どんな罪を犯したかは不明)。苦しみなどない世界。おそらく何千年も生きて病気にもかからないであろう。生老病死の悩み自体がないわけだ。

その地上界では、竹取の翁も含めた男たちは金と権勢を持つことが幸せになる道と信じているのに対し、かぐや姫や嫗は自分の等身大で手の届く範囲で手すさびでも何かをやっていることに自分らしさを保ち幸せを感じていける。対して、翁をはじめとして男たちは、美しい妻を娶ることも含めて身分と世間的威力で自分を飾ろうとする。

単調で雑とも思える描線に、繊細で力強い魂をのせたアニメーションであった。月から天上人がかぐや姫を迎えに来る。その音楽がSMAPの世界にひとつの花に似ていたのがやけに不自然で、その格好が蓮の池の傍らに立つ釈迦のイメージで仏像的なところが滑稽だった。目に輝きはない(瞳が描かれていない)。天上人とは、内裏に上がることを許された官位の高い殿上人のことも比喩的に表しているのであろう。男たちが官位と財産を得ることに汲々として、温かみのあるイキイキした目を失っていくことを風刺していると見たのは私だけだろうか。

難しく言えばなんとでもなるが、かぐや姫は要するに退屈だったのだろう、天上での刺激のない生活が。お転婆過ぎたのだ、たぶん彼女は。あえて地球という娑婆世界に飛び込んでみたら、思っていた以上に刺激はあった。しかし傷つきもし、大切な人たちを傷つけた。そればかりか、関わりの薄いと思っていた人の人生をも変えてしまったことにショックを受けた。その体験が、彼女の悲しみの表情により深みを増したような気がする。

幸せとはなんだろう? わたしは今幸せだろうか? わたしは私を生きているだろうか? と疑問をもつときに観るとよい映画だと思う。