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ケータイを形変えても身につけて [2013年10月31日(Thu)]

__tn_20131031210552.jpgもう戻らない。戻れない。
以前には返らない。返れない。
ケータイがない生活には二度と戻ることはないだろう。
今日はケータイを充電したままで出かけて不安だった。
連絡と伝達の手段をこの手に持てない心もとなさよ。
命に及ぶような緊急事態などめったにないがやはり不安だった。

思えば不思議なことだ。
二十年前には携帯電話を持つのはひと握りの者ばかり。
それが今では誰もが持っている。
携帯する電話機能をベースに、アドレス帳、SNSの発信源、ゲーム機、ナビ、電卓、カメラ、万歩計、買い物ツールなどさまざまな機能を満載してミニコンピュータは進化した。

このライフラインとは切っても切れない関係となった。
ケータイが命綱、ならばまだよい。
ケータイは命、とばかりに依存症に犯される者も多くなった。
ああ、痛ましい。
失ってしまった時間は取り戻せない。
それでも価値ある時であったと信じたい。
文明の利器としてのケータイがなくなることはないだろう。
形は変わっても常に私たちはケータイする何物かを身につけて生活していく。
それが幸せになる道だと信じて生きていく。

(写真は、ポケットに入れて携帯したなら十分可愛らしいフォックス・フェイス。不思議な実だ)