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生きるべし狼か人かを選択し [2013年08月25日(Sun)]

__tn_20130825224403.jpgひとには無限の可能性はない、ということを考えさせられた。『おおかみこどもの雪と雨』(細田守監督)を観た。

≪学校では教えないこと(中略)は何かというと、「君にはこういう限界がある」ということです。そもそも人間が生きているかぎり、多かれ少なかれ限界や挫折というものは必ずやってくるものです。
 それを乗り越えるための心構えを少しずつ養っておく必要があるのですが、いまの学校では、「君たちには無限の可能性がある」というようなメッセージばかりが強くて、「人には誰にでも限界がある」「いくら頑張ってもダメなことだってある」ということまでは、教えてくれません。≫
 (『友だち幻想〜人と人とのつながりを 考える』菅野仁著,ちくまプリマー新書2008年)

花と愛し合った「彼」は、おおかみおとこだった(最愛の夫に名前を与えない、これは究極のシングルマザー物語だ)。二人に子どもが生まれた。姉は雪の日に生まれたので雪と、雨の日に生まれた弟は雨と名づけられた。彼は父としての役割を十分果たすことなく死んだ。ひとりぼっちになった花は、ひととおおかみの両面を持つ子どもたちを育てるため奮闘した。ひととおおかみを瞬時に行き来できる雪と雨。秘密を抱え込んだまま都会に住めないと考えた花は、隠れるようにして山里に移り住んだ。里での暮らしは人びとに助けられながら、それなりにうまくいくようになった。

子どもたちは小学生になった。子どもたちに「おおかみとして生きるか、それともひととして生きるのか」という岐路がやってきていた。当人たちは幼いなりに悩み、花は母としてはもちろん、彼の分身としての二人をどう育て「実社会」へ送り出していくのかと、煩悶する毎日だった。

おおかみにも、ひとにもなれる可能性をもつということは、反対にどちらも選択できないことにもなりかねない。選択肢が多いということは一見すれば幸せのように思えるが、一方の可能性を切り捨てて他方を選んでうまくいかない場合に、強く後悔することがあり得る。経済学でいうところの機会費用の喪失というやつだ。もしもああしていれば…と苦しいスパイラルに落ち込んでいくことだってある。豊かになった現代社会では 何にでも選べそうな錯覚を起こさせて、その結果全てのひとが戸惑いにぶち当たる。そうした悩みを映画は言い表していると思った。

シングルマザーの辛い実態を描いていた。虐待の一歩手前でぎりぎりに踏みとどまる世の母たちを代弁するかのような記述もあった。花は、経済的問題や世渡りの問題を母の強さだけで解決してみせた。移り住んだ山里で周囲の援助で解決できた部分もありはしたが、実はおおかみ…という秘密をかかえたままで周囲が理解することは、おそらくあり得ないだろう。母は強しという母性愛だけではいかんともしがたい現実がある。子育ては社会全体ですすめるべしというあり方論も、この映画は表現している。

姉はひとに、弟はおおかみに向かって生きる方向を定め、物語は感動的に収束を迎える。ひとはなりたいものになるのか、なるようになるのか、周囲の言うままにさせられるのか。数々の選択の果てに理想像をつかみ取るのか、それとも理想は遠い果てにあるものか。そんな課題をつきつけられた気がした。