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殺すのも盗むもダメは理由あり [2013年08月24日(Sat)]

__tn_20130824185607.jpg以前、なぜ人を殺してはいけないの?という学生の質問に絶句して答えられなかったというテレビ番組をめぐって、議論がわき起こったことがあった。人間何をしようと自由だ、けれど殺せば罰せられるから殺さない。人の命は重い、だから殺してはならない。殺人はダメという規範がある現代社会に暮らす限りは殺人はいけない・・・・・。いろいろな論点があったが、ひとが死ぬことの情報は現実でもバーチャルでも溢れかえっている、どうせ誰もがいずれは死ぬんだし、別に殺したっていいんじゃないの?という無邪気な問いに対し十分な答えを与えることはできなかった。ところがここに答えはあった。

≪自分の気分しだいで勝手に人を殺していいということになると、今度は自分がいつ殺されるかわからないということにもなりうるわけです。ですから、「殺すな」は結局自分が安全に生き延びるという生命の自己保全のためのルールと考えられるわけで、別に世のため人のためのルールと考える必要はないのです。
 「盗むな」もそうです。盗んでもいいという社会では、自分の持物・財産がいつ盗まれるかわからない。「殺すな」が守られない場合と同様、とても不安定な状況になってしまう。だから、「盗むな、殺すな」という社会のメンバーが最低限守るべきであると考えられているルールは、「よほどのことがない限り、むやみに危害を加えたりせず、私的なテリトリーや財産は尊重しあいましょう、お互いのためにね」という契約なのです。
  こうした観点から「いじめ」の問題をあらためて考え直してみると、誰かをいじめるということは、今度は自分がいつやられるかわからないという、リスキーな状況を、自分自身で作っていることになります。
 いじめるか、いじめられるかを分けているのは、単にその時々の力関係によるもので、いつ逆転するかわかりません。無意味に人を精神的、身体的にダメージを与えないようにするということは、自分の身を守る、自分自身が安心して生活できることに直結しているのです。≫
 (『友だち幻想〜人と人とのつながりを考える』菅野仁著,ちくまプリマー新書2008年)

なぜ殺そうとしてはいけないのかという問いへの答えだけでなく、人を傷つけることが社会や他人のみならず、自分自身に対しても害をなすことへの簡潔な答えがここにある。