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祈りつつ雲が湧き立つ風立ちぬ [2013年08月06日(Tue)]

__tn_20130806235356.jpg≪それらの夏の日々、一面に薄(すすき)の生い茂った草原の中で、お前が立ったまま熱心に絵を描いていると、私はいつもその傍らの一本の白樺の木蔭に身を横たえていたものだった。そうして夕方になって、お前が仕事をすませて私のそばに来ると、それからしばらく私達は手をかけ合ったまま、遙か彼方の、縁だけ茜色を帯びた入道雲のむくむくした塊りに覆われている地平線の方を眺めやっていたものだった。ようやく暮れようとしかけているその地平線から、反対に何物かが生まれて来つつあるかのように……≫
 (「風立ちぬ」ちくま日本文学039『堀辰雄』)

もの悲しく静謐にして虚飾なく、それでいて作者の心中をえぐるように描き出す物語だった。草原をわたる薫風に吹かれながら、ヒグラシの揺らぐ鳴き声をシャワーのように浴びながら、川のせせらぎを聞きながらロッキングチェアでまどろむ‥‥。堀辰雄の文章はそんな豊かさがあった。

ジブリ映画『風立ちぬ』に触発されて、小説『風立ちぬ』を読んでみたのだった。八ヶ岳山麓のサナトリウムに逝った妻節子との療養生活を静かに振り返る「私」には蘇ってくる彼女の面影が悲しかった。「私」はやりきれぬ胸のうちを書くことで散ずるのだった。その美しい記述が読む者の心をゆっくりと揺さぶった。

映画『風立ちぬ』は美しい映画だった。特にキスは自然で爽やかを保ちながらもエロティックな官能をたたえていた。もちろん主人公堀越二郎と奈穂子とのキスだ。簡易だが黒川上司夫妻による心尽くしの結婚の儀 に臨んだ二郎と重い病(結核)におかされた奈穂子。疲れただろ?おやすみ、とねぎらう二郎に「きて」といざなう奈穂子だった。合体シーンが描かれるわけではないが、爽やかなエロスであった。

厚い雲も、明るさと暗さを両面たたえた夕景も、草原をわたる風も、雨降る天気も、緑溢れる生垣も、踏み固められた泥の道も、涼やかなせせらぎの音も、伸びる飛行機雲も、ホテルや家の造作も、なおこの揺れる髪もキリリとした立ち姿も、悠然たる二郎の歩く姿も、作業図面に向かう仕事師たちの真剣さも、イタリアの飛行機設計家カプローニとの夢が描かれるシーンも、すべてが美しい。何よりも飛行機の製造過程や飛行シーンが際立っていた。

もちろん完全であるとは言わない。二郎の妹加代はもっと描いてほしかった。ポニョやとなりのトトロのメイを彷彿とさせる加代の成長ぶり(医者になった)に併せて兄への思慕をもっと描いてもよかった。何より二郎の幼き日を優しく包み込んでいた母の人と成りをもっと知りたかった。それとカストルプとナチスとの関連も知りたかった。クレソンをバリバリと兎のように食ったのが羨ましい(クレソンを食いたくなった。添え物としてしか食べたことがない)。

色々な不満はあるが、久石譲作曲のテーマ曲がいい。最初はマンドリンで、次にチェロやヴァイオリンで。さらにギター、トランペットでも変奏される。穏やかで豊かな気持ちになれる。実在の人物を描いたとはいえ、ファンタジーも織り混ぜられてメルヘンが存分に感じられる映画であった。決してハデな面白さはないが、見終わったあとも心の中で育てていきたいと感じた。

今日は8月6日、広島原爆の日。軍国日本の息の根を止め、核廃絶の象徴となった。「美しい飛行機をつくりたい」と夢みた二郎は美しく優れた飛行機を作った。緒戦であまりにも成功しすぎたおかげで、日本は敗戦への道を駆け下った。それは二郎の責任ではないが、彼の夢と純愛は裏切られた。

それでも、「風立ちぬ…いざ生きめやも」というメッセージを宮崎監督は残した。その意味をじわっと考えていきたい。