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ひとは皆死んでもひとであり続け [2013年03月18日(Mon)]

__tn_20130318201336.jpg映画のエンドロールが始まると、たいていは客の三分の一から半分くらいが席を立って退場する。エンドの途中や終わりにおまけが付いて嬉しいときがあるし、内容をふりかえり主人公の気持ちを想像するにはいい時間だ。途中で退席するのはもったいないと私は思う。映画『遺体〜明日への十日間』では、一人として立ち上がる人がいなかった。それだけ重い感慨を残した映画であるということであろう。

大震災に遭った多くの死者。瓦礫にぐちゃぐちゃにされ泥水に満たされたそれを、苦労しながら回収する。コンクリートのようになったそれは、何人もの男が抱えて運ばなければならないほど重い。死後硬直で手や足があさってを向き、苦悶の表情のままのそれも多い。生きていたときの痕跡を留めないその姿。それは忌むべきものだという観念をひとは持ってしまいがちだ。だからそれを恐る恐る取り扱い、かえって状態をひどくしてしまうのも無理はない。まして作業者は泥のように疲れ切っている。遺体安置所に集められたそれは死体でしかなかった。

安置所に相葉(西田敏行)が現れ、ボランティアとして動き始める。以前葬儀の仕事に就いていた相葉は遺体の扱いを知り、遺族への接し方も思いやりにあふれている。死んで硬直して何ら反応は示さなくても、尊厳をもって丁寧に扱い、生者のごとく話しかけていくうちに、死体は遺体となる。泥だらけの床を何度も拭き清め、ありあわせであっても祭壇で線香を手向けるうちに、死体は人間としての尊厳を取り戻し遺体となる。

この映画は3・11から10日ばかりの岩手・釜石の遺体安置所として使われた廃校を舞台としている。次から次へと運ばれてくる死体に市の職員は言葉を失い、ただ立ち尽くすしかなかった。運び込まれてくる遺体ひとり一人に生者に対するように優しく語りかけていく相葉。それまでは死体としてしか見れなかった職員たちは相葉の姿を眼にするうちに変わっていく。

火葬場が動かない、遺体の損傷も激しくなっていく、不安定な遺族への対処、食糧は避難所に優先されて安置所にはわずかしか届かないなど多くの困難を乗り越えて、安置所は死者たちの尊厳を取り戻し、遺族が少しでも安らげるようにという雰囲気ができてきた。

情けは人のためならず、の言葉のとおりである。情けをかければそれは巡って自分に返ってきて潤す。市の職員や安置所の人たちは相葉に触発されて死者と遺族のために懸命になった。結果として自分をも生かし、再生への取っかかりとなった。他人のために動くこと、悩むこと。まさに自身が蘇生するための近道であることをこの映画は教えてくれる。