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ああそうだあの人誰かに似ているぞ [2012年09月26日(Wed)]

__tn_20120926191023.jpg他人を認識する際に、私たちは何を目印にするであろうか。顔のつくり、肌の色つや、髪型や色つや、体形、仕草、歩き方、ファッションセンスなど考えればキリがない。そのひとつに、「自分の知っている誰かに似ている」というのがあると思う。

芸能界の誰かによく似ていれば、周囲の人にとってみれば周知のこととなるが、有名ではない学生時代の同級生だったり、近所のおばさんに似ているとなれば、自分だけが了解して、その人を見るたびに「○○さんだ」と思い出したりして、何か不思議な気分を味わうことがある。

少年期、青年期を経て仕事をするようになり、数えきれない多くの人と接して経験を積み重ねる。歳月とともに接点がなくなり、音信不通となり、すっかり意識から遠のいてしまっている知人もいるであろう。知人といってもつきあいの深さはさまざまで、記憶に残るその人の面影にも浅い深いがある。同窓会をしたり、雑踏で多くの人を見るときに、「似ている」という記憶がよみがえるのである。

先日土曜日の同期生会がまさしくそうであった。あの彼は、数年前職場で一緒だった別の彼に似ているなあ。この人はそうそう、あの人に雰囲気が似ている。彼女は、友だちの妹みたいに見える。何度も繰り返しそんな感慨をいだいた。

小中学校の同級生なのか、仕事関係なのか、プライベートの会だったのか、区別がつかないケースもある。そもそも学生時代に顔は知っていても接点がなかったあの人の過去の面影を、単に二重になぞっているだけかもしれない。ひょっとしたら、私の脳が勝手に作り上げた妄想の可能性だってある。

脳や記憶の不思議な一面を感じるのは、わたしだけだろうか。不思議と思ううちはいい。やあ元気?と言って、名前が出ずに息を飲むときがあった。これはいただけない。かなしいことだ。