『赤とんぼ』は不思議な歌だ。そして郷愁くすぐる歌だ。舞台は東京・八王子。作詞は三木露風、作曲は山田耕筰からなる不朽の名曲、文部省唱歌である。
夕焼け小焼けの 赤とんぼ
負われて見たのは いつの日か*秋がきた。炎熱に焼かれた夏は終わったが、私はいくぶん疲れている。都会の雑踏にまみれて働き始めて幾年月。今日はとても夕焼けが赤い。茜色を超えて緋色に燃える空の赤さよ。小さなシルエットだ。それもたくさん、数えきれないほどの。やってきたなあ。いつものように群をなして。トンボの飛ぶのを背中におぶわれて見た、子供の頃に帰ったような気がする。夕焼けに染まって姐やの頬は赤かった。私は何歳だったのだろうか。姐やに負われていたのは、遠い遠い昔のことだ。
山の畑の桑の実を
小籠に摘んだは まぼろしか*あれは春だったのだろうか。山のふもとから少々歩いて桑の実を籠に入れた。入れるより前に食べた食べた。貪って食べた。姐やは笑っていたよ。私の手も口のまわりも紫に染まっていたのを見て、笑ったわらった。大笑いだった。砂糖を使った菓子などない明治の昔よ。桑の実はごちそうだったものだよ。あれ?桑の実がなるのは春。赤とんぼは秋だな。私の記憶はごしゃぐちゃになったのか? ともあれ、姐やと一緒で楽しかった。毎日毎日なにかしら笑ったものだよ。遠い昔のことだなあ。
十五で姐やは 嫁に行き
お里のたよりも 絶えはてた*あとで聞いたことだが、姐やは15歳で嫁にいったとな。八王子の郊外にあった私の家に小さい頃から奉公に来ていた姐や。私の世話をもっぱらやってくれていたんだろう。名前で呼ぶことはなく、姐やとしか口に出さなかった。名前は何といったのだろう。彼女はある日いなくなった。私の前から去るときに、便りを書くからね、と約束してくれた。確かに一度は手紙が届いたけれど、それからずっと私は寂しかった。
夕焼け小焼けの 赤とんぼ
とまっているよ 竿の先*竿竹の先にトンボがとまっている。昔を思っているうちに、いつの間にか辺りは暗くなった。あの大群はどこへ行ったものやら。単に闇にまみれて見えなくなったものか、それとも寝ぐらに帰ったか。明日はまた忙し一日になりそうだ。明日もこんな夕焼けが見られたらいいなあ。ああ、姐やは今ごろどうしているだろう。元気に暮らしているだろうか。孫だっていてもいい年頃かもなあ。幸せであってほしい。さあ、帰ろうか、わが家へ。安らかなよき夕べでありますように。