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運命に向かうは悲壮か純真か [2011年11月26日(Sat)]

モーツアルト交響曲第40番ト短調がラジオから流れてきた。悲しみのシンフォニーと言われる名曲だ。深い情感とともに、悲壮感に満ちた何か運命の転換でもありそうな予感を感じる。嗚咽をこらえるかのような主題部が弦楽器で奏でられる。和声で対置した部分をオーボエやピッコロ、ホルンなどが管楽器が歌う。ゆったりとした2楽章では、夕暮れの侘びしさか、仲間が去ってしまった寂寥感か。だが、どこか緊張した感じがずっと続く。

第4楽章のアレグロ・アッサイになると開けてくる。運命が扉をたたくのは同じでも、吹っ切って清新な決意で困難に立ち向かっていこうという感じがある。ただ、ベートーベンの交響曲第5番「運命」の第4楽章のように純真な明るさで一途に立ち向かっていくのではない。ベートーベンの決意は強く運命に打ち勝つ。

≪不平家とは、自分自身と決して折り合わぬ人種を言うのである。不平家は、折り合わぬのは、いつも他人であり環境であると信じ込んでいるが。環境と戦い環境に打ち勝つという言葉もほとんど理解されてはいない。ベエトオヴェンは己れと戦い己れに打ち勝ったのである。言葉を代えて言えば、強い精神にとっては、悪い環境も、やはり在るがままの環境であって、そこに何一つ欠けているところも、不足しているものもありはしない。≫(小林秀雄「モオツァルト」)

モーツアルトの40番は、弱い己に徹底して勝つ強い精神を表現しているわけではない。この第4楽章は、決意はしてもどこか弱い自分を再び感じて、気が萎えるような弱さがある。だが気を取り直して、自己と戦う決意を沸きたたす。たぶんそれが人間らしいのだと思う。モーツアルトの交響曲第40番は、モーツアルトの「運命」だと感じた。