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引き込まれ道をひらくよファンタジー [2011年10月25日(Tue)]

わたしたちはファンタジーを読むとき、説話として作家からのメッセージを読み取ろうとして想像する。しかし次の文を読むと、ファンタジーとは単に作者の言いたいことをなぞらえる道具ではないことがわかる。

≪フィクションの書き手であるわたしは、メッセージを語ることはしない。わたしは物語を語る。たしかに、わたしの物語は何かを意味している。でも、それが何を意味するか知りたいなら、物語にふさわしい言語で、その問いをなげかけなくてはならない。メッセージなどという用語は、解説書や説明文、訓話にふさわしいものだ≫
 (アーシュラ・K・ル=グウィン「いまファンタジーにできること」谷垣暁美訳)

そして、心理療法家の故河合隼雄氏が「良質のファンタジーは心の扉を開く」という意味合いのことをよく言っていたことと同じことがこの本に述べられていた。

≪ティーンエイジャーたちが自分たちの役に立つ真実を―世界の暗い森の中にひとりではいっていく道を探しはじめるとき、ファンタジーの中に、それを見つけることが多い。年長者、教師、説教師からの出来合いの指示に従うことに甘んじず、自分自身の道を求める場合はなおさらだ。想像力をきたえ、選択肢をもたらすことによって、ファンタジーは彼らに自分で自分を導く機会を与える。一級のファンタジーは一級の導きを提供する。≫(同上)

ハリー・ポッターシリーズは極めておもしろい物語ではあるが、勧善懲悪がくっきりとしすぎて心理面では単調だ。「一級の導きを提供」してくれるファンタジーに出会いたいものである。