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大中小かわには色々あるものさ [2011年08月05日(Fri)]

小川というには大きな川のほとりで親友かつ妹田鶴の夫佐久間を討ち果たした朔之助。
小川というには滔々と流れる川(利根川の支流か?)で川下りをする朔之助と新蔵。
小川というには幅のあり過ぎる川の辺で幼少期の事件があった朔之助と新蔵と田鶴。

藤沢周平ワールド『小川の辺』を観てきた。様式や型を感じる鑑賞だった。まずはいつもながらの海坂藩が舞台で主人公は中下級の武士。なんらかの騒動がきっかけで抜き差しならぬ真剣勝負をせざるをえなくなることへつながっていく。

「武士というものはまことに難しいものだ」と朔之助が新蔵に心情を吐露する。単純にして明快な表現だ。米の石高というサラリーと引き替えに、主命には逆らえない。いくら理不尽なる主命であろうとも。徳川幕藩体制、朱子学が金科玉条とされた時代にあって、主命とはお上の声、いや神仏の声以上のものである。服従するのが当然というのは、当時の様式化された世界観である。

物語の進行も様式があった。冒頭に家老から主命を伝えられ、旅をしながら思いだし語り合うなかで、観客にお家騒動と理不尽な主命が下された顛末を知らしめる。少しくさい子役の演技も使いながらのパターン化された脚本である。ただその語りは、朔之助の目から一方的に見た事件の顛末しかなく、佐久間や田鶴、父母などの出演者の描かれ方に不満の残る様式であった。

迫力ある剣術試合のシーンや殺陣にも様式美を感じた。まるで舞台上での剣舞のように舞い踊るイメージである。敵役である佐久間を歌舞伎の片岡愛之助がやっていたのも様式的と感じた理由かもしれない。

また、旅の途中を映した山々の美しさ。海坂藩を出るときは鳥海山であろうか。雪解け途中の模様が旅情をさそい、山懐の新緑のなかを主人公たちが歩き続ける姿は江戸の昔にいるような錯覚をおこした。朔之助と新蔵二人の旅に交差して、庶民がよく歩いて旅をしているのも印象的だった。着飾った女たちも男とともに旅をしていたのだろうかと私は疑問を感じた。

田鶴と婿佐久間の出奔。その佐久間を討てとの主命。武芸に覚えのある田鶴は朔之助が斬り合うのではないかという不安。戌井家に残された父母と妻には心配が尽きない。戌井家に春はくるのか? 「いつもの年でしたら咲いておりますのに」と朔之助の妻がクチナシの大木を気にする。下総において結末が訪れたときに、クチナシは遅れて白い花を咲かせた。戌井家にも遅い春がきたのである。