当たり前ほんとはそうではないけれど [2011年07月21日(Thu)]
≪正確・簡潔でありながら、配慮の行き届いた(メールの)文面は気持ちがよい。
(中略) メールだけで、百パーセント理解し合えると思わないことが肝要だ。本当に大事なことは、電話で念を押して伝える。さらには、出向いて顔を合わせて話をする。相手と心を通わせたいなら、楽をしようと思わないこと。こちらが心を砕くしかない≫ (23年5月29日付け「名字の言」聖教新聞) そのとおりだ。が、メールに慣れて、ファクシミリが当たり前になると、それが意外にわからなくなってしまう。慣れとはこわいものである。 メールは絵文字を使っても文面だけ。ファクシミリには文字のタッチに書き手の感情が少しあらわれる(ワープロで打ち出せばそれもないが)。電話では感情の機微が声や調子にでてくる。直接面と向かって話をすれば気持ちが手にとるようにわかる。ボディタッチをともなえば、さらに入り組んだ思いもわかるであろう。 物理的に近づく、もっと心をくだいて相手の琴線を響かせようと努力する。それだけ、自分は相手に寄り添い、相手は心を開いていく。 |