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寄ってみて気持ちをひとつ向かう道 [2008年12月15日(Mon)]

会議は仕事につきものだ。仕事だけではない。PTA活動にも、ボランティア、クラブ活動にも、家族でも小さな会議はついてまわる。人間が集まって組織があるかぎり、会議はなくてはならないものである。

会議をいかに進めるか。主催者がいつも頭を悩ませることである。短時間で実のある話し合いをし、参加した人が満足がいくように結論をつける。さらにその決定に従って、皆が動いていかなければならない。会議はいわばPDCAサイクルに乗ったものでないといけないのだ。プラン→ドゥー→チェック&アクション→プラン→ドゥー→チェック・・・・。この繰り返しである。企画して相談して、実際にやってみる、その結果から修正すべきは直して再びやってみる。会議はその起点になるものといえよう。

会議の参加者はいろいろだ。主催者、参集者、傍観者、反感者、賛同者、賞賛者、酷評者、発言者、聴取者、多弁者、寡黙者・・・・参加する意識や態様によっていろいろである。

同じ会議に参加するのであれば重鎮でありたいものだ。私が重鎮というのは、睨みをきかせて揚げ足を取り人を圧迫するような存在感を持つ者のことではない。

会議に動きがなければ人を誘い出し導入し、動きが硬直化すれば視点を変えて、散漫になれば本来の趣旨に議論の筋を戻し、重くなればユーモアを交えて人に笑みをもたらし、軽薄になったり人をけなすような雰囲気があれば寸鉄人を刺し、結論が出にくければ新たな切り口を指し示す。そんな会議参加者になりたいものだと思う。
荷車に軽々荷物を山登り [2006年10月01日(Sun)]

事務作業や仕事は、荷車を引っ張りながら山に上るのに似ている。大きな山もあれば、小さな丘のようなものもある。荷車に重い荷物がある場合もあれば、ほとんど空気を載せるばかりのこともある。一人で牽(ひ)く場合もあれば、複数で共同作業もある。大きなプロジェクトも、何らかの事柄を伝えるべき小さな文書の作成もイメージは同じだ。いずれにせよ、ブレーキのついていない荷車だから、坂道の途中で止まるとずるずると後退してしまうところがミソである。

簡単に例えてみよう。
1届いた封書を開ける→2外部からの問い合わせの文書であることがわかる→3文書を読んで意味内容を理解する→4然るべき準備を行ったり作業の計画を立てる→5まとめたり調整したりする→6返答のための文案や図表を作る→7内部的決済を受ける→8印刷して封書にして送ったり、電子メールで送る。という流れがあるとする。

私の感覚からすれば、1から3の段階で既に山の2合目まで登ったことになる。ただ往々にして犯す誤りは、忙しさに紛れてそこで作業を中断することだ。中断せずに4まで一気にやるともう5合目の山小屋である。方針も立てているので、その時点で中断したとしても次の作業は順調にいくので問題は起こらない。

ところが2合目で終わらせてしまうと、坂道の途中だから荷車はずるずると元の位置まで戻ってしまうことになりかねない。せっかく2合目付近まで来たのに、封書に文書を入れ込んだりしてしまうと内容を忘れてしまう。忘れてしまったときのロスは大きい。

再び同じ作業を繰り返すことはムダだ。できるだけ山小屋までの位置を確かめながら、しんどくてもエイヤッと荷車を引っ張り上げなければならない。小さな事柄でもそうした累積が気持ちの面で大きなプレッシャーにもなってくる。うまくやれば事務的作業は決して苦ではなくなるはずだ。