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集団が大きくなって滅び行く [2019年09月01日(Sun)]

fumihouse-2019-09-01T13_30_15-1-thumbnail2.jpg集団で作業すると能率が落ちる。集団が大きくなるほど一人ひとりが出す力は小さくなっていくという。

かつて中華人民共和国の農村にあった人民公社は、農業を集団化した。ソ連でも国営農場や集団農場が主体だった。各自の労働に応じて利益を分配するという建前はあったが、破綻してしまったのは、効率が悪いばかりか、数百万単位の餓死者が出る結果になったからだ(特に中国)。核心は、サボる者がいたことである。

今朝は共同作業の日だった。取りかかりに時間がかかる人がいる。掛かっても話に夢中で手が進まない人もいる。ある程度目処がたつと、世間話に戻る。いっぽうでひたすら手と足を動かし続ける人がいる。私にはそこまでできないが、次々と仕事を見つけてマメに作業をするえらい人だ。

年一度の朝飯前の作業に目くじらを立てる必要はないが、組織が岐路に差しかかってたような時にサボる者がいる組織に将来はない。

(自治会の集会所のそばにはアメリカ・ノウゼンカズラがあった。長らく咲いてきたが、もう終わりかな)
高齢のテロに等しや認知欠け [2019年04月20日(Sat)]

fumihouse-2019-04-20T15_41_38-1-thumbnail2.jpgテロリズムである。認知症を患い始めた高齢者がハンドルを握ることはテロリズムに等しい。

練馬ナンバーの87歳のじいさんが、ガードレールに接触してのちアクセルを全開、2つの赤信号を無視して10人近くを轢き飛ばし、自転車の親子を殺した。アクセルが元に戻らなかったと取り繕うが、運転に必要な判断力と技能をすでに失っている。

白いプリウスだった。ドライブレコーダーも付けている。それなりに豊かだ。ならば、免許を返納してタクシー利用に切り替えて何ら問題はない。都会ではバスも鉄道もいくらでも利用できる。つまらないプライドを振りかざすのは止めていただきたい。

運転能力を失ってもそれに固執し続け、運転を止めさせられることがないよう政治的意図を持って運転に及び、交通法規を守っていた者を轢き殺すという残虐な行為。これも一種のテロリズムとは言えまいか。自分たち高齢者が運転を続けるようにするためには大量の人間を殺害するのもやむ無し、と主張していることと同義である。

もちろん、高齢者一般への偏見を持っているとか、差別を助長しようとしているわけではない。公共の安全を考えれば、特に都会地では厳しめの運転抑制を発動させないと、さらに犠牲者が増えることを心配するのみだ。

(太陽光を受けて太陽のように輝くガザニア。メリハリのきいた気持ちのよい黄花である)
お前たち儂を汚すな功労者 [2019年04月11日(Thu)]

fumihouse-2019-04-11T18_34_29-1-thumbnail2.jpgそりゃ「陰謀」であろう。最高権力者を追い落とそうと陰で画策したのだから陰謀に違いない 。絶大な力を持つ会長を特別背任の罪で逮捕するよう検察にリークしたのだから「策略」そのものだ。最高経営責任者を非難の嵐に巻き込んだのだから「中傷」以外の何物でもない。

ただの人となったカルロス・ゴーンさん。いやいや肩書きはなくなっても、世界一の吝嗇家(りんしょくか)として名を残した。ケチでは言い足りない。吝嗇と言わなくてはならぬ。吝嗇で足りなければ守銭奴だ。

数十億円の報酬をもらっておきながら、さらに1円でも多くせしめる。経営者としての権限を最大に活用した。飽き足らず、私用経費を会社払いに付け替えてせしめる。その所以は、日産やルノーを利益の上がる世界企業として再建したこと。これだけの功績をお前たち忘れたか!? と言いたいらしい。笑ってしまう。公私混同の吝嗇家として名を成すだろう。

「すべての時間を日産のリバイバルプランに捧げてきた」。「『コンセンサス』か『独裁』か、どちらかの選択肢しかない人たちは、リーダーシップの本質を理解していない」

まっ確かにそのとおりだ。だからこそ晩節を全うするために身辺はきれいにしておくべきだ。完全なる面汚し、不名誉この上ない。世界中の経営者にとっても他山の石となったであろう。

(完全無欠なる黄を示すのは今満開のタンポポ。晩節となっても黄色が衰えない)
何もせず様子を見よう悲劇あり [2018年10月18日(Thu)]

fumihouse-2018-10-18T18_12_43-1-thumbnail2.jpg東京電力の旧経営陣が巨大津波を予測する政府機関の調査にしたがって対策工事をしていれば、原発事故を防げたかどうか、いま公判中です。宝塚の女子中学生が一昨年自殺した事件で、市の第三者委員会は報告書の公開を渋っている市教委に対して、いじめがあったことを認めたうえで速やかに開示するよう求めました。私には同根に思えます。

工事をしようとすれば原子炉を停止しなければなりません。莫大な利益が消えるでしょう。電力自由化の影響もひたひたと迫ります。すぐにも起こる、と明快に根拠を示して関係者を説得しなければなりません。

が、地震はいつ起こるかわからない。明日かもしれないし、100年後の可能性もある。だから判断を先送りした。気持ちはわかります。要は【様子を見た】のです。大地震発生という“不運”がなければ事故とはならず、予見や回避は不可能だったとして、裁判では無罪を主張しています。

イジメの第三者委員会の調査報告書。市教委は遺族と未調整を理由に公表していません。遺族は知らされた概要をすでに公にしているんです。理屈にならないですね。業を煮やした第三者委員会は、公表は可能、市は直ちに内容を開示せよ、と求めました。

イジメ行為は認定されました。学校は生徒を守りきれなかった責任があります。当時者は、女子生徒を“激励”し、イジメる生徒にも“指導”してきた。やがて収束して丸く収まるさ、とこちらも【様子を見た】のです。学校当局も市教委も、本人が自死するという“不運”がなければ事件とはならず、自殺は予見不能だったと言い訳しているのでしょう。

決然として行動する時が必要な場合があります。【様子見】に終始すると、生涯後悔し、他人を苦しめる結果になる一例です。

(ハナミズキは後悔しない。決然と花を咲かせ、葉を繁らせ、葉色を染めて、赤い実をつける)
欧米で築いて世界のスタンダード [2018年09月30日(Sun)]

fumihouse-2018-09-30T19_50_13-1-thumbnail2.jpg今年は2018年、西暦はグローバル・スタンダード。日本では新元号が何になるかで気をもませるが、西暦にそんな心配はない。

欧米人というのは大したものだ。中世の暗黒時代、ヨーロッパが教会権力に圧迫されて疫病の蔓延も併せて衰えていたころ、イスラム社会の科学や文化が世界をリードしていた。今に残るスタンダードはあまりない。思いつくのはアラビア数字くらいだろうか。

ところがどうだ、欧米は近代以降、自由と平等というフランス革命理念をナポレオンが広めて世界の標準的理想としていった。枠をつくり、社会生活を変えていく。共産主義と独裁体制という徒花(あだばな)が咲きはしたが、グローバル・スタンダードの多くは欧米が築いてきたものだ。

金融や産業、経営、政治、交通、サービスのシステムの理念やルールはもちろんのこと、ウインドウズに代表されるコンピュータの世界もそうだ。アメリカは英語まで世界標準にしてしまった。もちろんそれがカネを生む。

貿易でもそうで、TPP(太平洋パートナーシップ協定)も同様だ。アメリカ主導で始まった多角的な経済連携協定はオバマの実績を破壊するトランプによって反古にされはしたが、二国間交渉の場に次々と引き出されて、恫喝と執念深さで米国有利の貿易協定を約束させられようとしている。トランプはこれもグローバル・スタンダード化したいのだろう。恐るべし、欧米の主。
そこのけやマッチョの国が世界席巻 [2018年08月29日(Wed)]

fumihouse-2018-08-29T19_00_34-1-thumbnail2.jpgそこのけそこのけお馬が通る。アメリカさんのお通りだい。アメリカはもともとマッチョの国。北米原住民を馬と銃で蹴散らし、第二次大戦でナチスを叩きつぶし、日本を禁忌の原爆でこらしめた(つもりの悪逆非道・悪魔的行為)。これぞマッチョの真骨頂。レディファーストとは仮そめで、マッチョの男が肩で風を切ってふんぞり返る。わたしの正義は世界標準ですよっと・・。

マッチョの代表格、トランプ大統領は向かうところ敵なしとは言わないけれど、批判者を国民の敵だと声高に、非難の数々をツイッターでいなして反論する。根拠を問われれば「大統領自身がこう言っているから」と猛々しい。

先日アメリカの何百もの新聞が一斉に歩調をあわせた。大統領が一部報道機関を「米国民の敵」と呼ばわることを批判した。トランプの主張は唯我独尊でアメリカの将来を抹殺するに等しい。報道が暴走して弱者を虐げるのは許されないが、報道の自由を正面きって縛りつける権力は愚かである。

自分さえ良ければいいという発想は巡りめぐって自分の首を絞める。アメリカだけでなく、世界のあちこちで一国主義が定着しそうで恐ろしい。ポスト・トゥルース(客観的事実よりも好き嫌いで判断)が広がればデマ、フェイクニュースが大手をふって歩きまわる。有害な新時代は意外と近くにあるものだ。

マッチョな短絡的発想が広がることを憂う。一触即発で世界戦争となる愚を犯さないためにも、報道との適切な距離を保ってほしいものだ。

(行き過ぎたマッチョを愛でるな。ローズマリーを静かに愛でよ)
絶体にお上に守ってくださんしぇ [2018年07月15日(Sun)]

fumihouse-2018-07-15T23_57_33-1-thumbnail2.jpgお上とは貴人や主君への尊称でした。なかでも最上位の権力者をカミと称してきました。殿上人は庶民にとっては雲の上の人。古には「神」に通ずる言葉だったのかもしれません。妻のことを指す「カミさん」も自嘲的に派生したものだと思います。

お上は転じて、公権力や行政一般のことを示します。苛斂誅求(かれんちゅうきゅう)に年貢や税を取り立てる冷血な代官や徴税官を恨んだり、お役所仕事に対する揶揄的な言い回しです。日本人がいかに役所(気象庁も含む)を頼るかを証明したのが、今回の西日本大豪雨でした。

防災無線の避難誘導放送が聞こえなかった、命を守る行動をと言われても具体的指示がなかったから動かなかった、危機感が伝わるような警報が出されなかった、避難指示が夜中だったのでためらったなど、避難勧告は気象の特別警報に相当し、もうあとがない絶体絶命状態にあるにもかかわらず動かなかったのです。避難できない相当の理由があるケース(寝たきりで動けないなど)に責めを負わすのは酷ですが、ノー天気だったと言われても仕方ありません。

役所の言うことを聞かなかったから、「役所に頼る」と断定するのは誤りでしょうか。そうでもないのです。正常化の偏見という災害心理用語があります(正常性バイアスとも)が、このせいで被災した多くの人が動かなかったのです。

こうあって欲しいという願望が、当然かくあるべしと変化し、やがてそうであるに違いないと断定するに至る心理です。誰でも都合の悪い情報は過小評価したいものですから。

絶体絶命な状態であることはわかった。それでも、じゃあ、どうすればいいのか。自分に対して指示を待っていたというのが正解でしょうか。刻々と状況が変わる最前線にある行政に個々の家庭ごとに指示をさせるというのは酷というものでしょう。自分でどうにかする前に、答えを誰かが教えてくれると思ってる人が多いのです。

いつでも災害は、行政に頼る心理と正常化の偏見が積み上がって起こることが多いように思うのです。

(どこか原初の森を感じさせる奥入瀬渓流。散策道のすぐ横をバスが行き来できる道路が走っている)
リデュースで脱リサイクル優等生 [2018年07月13日(Fri)]

fumihouse-2018-07-13T20_42_15-1-thumbnail2.jpgペットボトルはリサイクルの優等生と言われます。飲み終えたら洗浄し細かく砕いて再生フレークにする。それを原料にシートや容器、繊維製品をつくる。言うことなしと思いきや、そうではありません。8割は集荷されても残りの2割は廃棄されます。数えきれないペットボトルが海に流れ込んでマイクロプラスチックになる。海洋環境を崩します。

それに加えて中国ショックが出現しました。半年前に中国政府は突然、資源ごみの輸入を禁止したのです。国内のリサイクルでは追いつかない日本にとって中国頼みだっただけに、日本中でペットボトルごみが行き場を失っています。

中国はなぜ輸入を禁止したのか。仕分け、汚れを薬品で洗うときに河川を汚染することに政府は業を煮やしたのです。自分のところでも便利なペットボトルは爆発的に増えている。他国の分まで面倒見切れないこともあるでしょう。

ペットボトルに10円程度のデポジット料金を上乗せする手もあります。飲んだ後に店に持って行って返金してもらう(もちろん自動で)。回収率は高くなるでしょう。が、再資源化にも膨大なエネルギーを要します。そもそも、使わない、何度でも使うという選択が必要なのです。

リユース(再使用、または修理して使う)、リデュース(使うこと自体を減らす)が求められます。便利だからと使い過ぎてしまうのが問題なのです。循環型社会がどうあるべきなのか。中国ショックを機会に考えてみたいものですが、あまり大きく取り沙汰されている様子はありません。わたし自身がペットボトルに囲まれた生活をしています。脱ペットボトル、大変な難儀になりそうです。

(出雲工業高校のウツボグサ(靱草)。新校舎整備でかき回したのでダメになったと思っていたが、片隅に生き残っていた。気持ちのよいライラック色)
接触し大人が一人死に至る [2018年06月17日(Sun)]

fumihouse-2018-06-17T10_08_11-1-thumbnail2.jpg「接触」をWeb大辞林では、こう定義しています。

 近づいて触れること。触れ合うこと。
 語例:軽く接触する、接触事故

先日、博多発の新幹線のぞみ号が人とぶつかった事故で、JRの発表を受けた報道は「接触事故」と表現します。軽すぎやしませんか? 衝突ですよね。

運転士は異常音に気づいていたが小動物との接触だと思った、小倉駅の駅員もボンネットの破損に気がついていたが走行を続けさせた、というではありませんか。

幸いに、すれちがう新幹線の運転士から総合指令所に連絡があり、次の新下関駅で止めて確認しましたから発覚したのですが、安全が確認されるまでは運行しないというルールが守られていなかったようです。発表する上層部も、できるだけ穏便にすませたいという気持ちから「接触」と表現したような気がします。

去年12月には、台車に大亀裂が入っていたことを認識していたにもかかわらず走り続けたことがありました。リスクマネジメントがうまくいっていないようですね。それともリスクは乗客にあり、とする危機管理があるのでしょうか。

運行を止めて点検→遅れる→一部の客から強烈なクレーム→激しい抗議や暴力の恐れがある→少々のことなら運行したい・・・。そんな負のスパイラルです。

(ピンク色のカラーは形のよいハート型。客の方も駅員や乗務員に思いやりをもって接してほしいものです)
怒っても人を殺さず我慢せや [2018年06月14日(Thu)]

fumihouse-2018-06-14T21_46_59-1-thumbnail2.jpg怒りの感情は長くは続きません。だからアンガーマネジメントでは、カッときたら6秒やり過ごせと説きます。怒りは暴発し負の連鎖を続けていくものですが、6秒我慢すると沈静し最悪の状況を避けられます。

・カウントバック(100から順に3を引いて、97,94,91と数える)
・呼吸リラクゼーション(吸う⇒止める⇒吐く。これを繰り返す)
・スケールテクニック(怒りの程度を0点から10点まで点数化。見える化するとバカバカしくなる)

さて、先日新幹線のぞみ車中で殺人を犯した若い男がいました。「むしゃくしゃしてやった。誰でもよかった」と供述しているようですが、何に怒っていたのか、新幹線に乗っている間ずっと怒りを抱え続けていたのかと、私は疑問をもっていました。なんでそこまで怒りを保つことができるのだろうと。よっぽど怒りのエネルギーが大きいのでしょうか。

その後の報道によれば、凶器を用意周到に買い込み、前々から人間が死ぬところを見たい、殺してみたいと、殺人に憧れていたようなのです。怒りではありませんでした。狂っています。アンガーマネジメントどころの話ではありません。しかも供述では、懲役刑で刑務所を出所後にまた人を殺したいと言っているとか。こんな人間をどう裁いたらいいものやら、検察官も裁判官も途方にくれてしまうでしょうよ。

(彼にはこのラベンダーの爽やかさ、涼やかさ、芳香を感じることはできないでしょうね、きっと)
ウソはばれ秘密の情報そとに出る [2018年06月05日(Tue)]

fumihouse-2018-06-05T12_53_26-1-thumbnail2.jpg嘘はバレる。染み出るように情報は漏れる。「先生 腹くくってください」と隠しおおせたつもりでも同じ。事務処理が煩雑になることを恐れて神戸市教委幹部と中学校長が聞き取りメモを隠蔽した事件は、陰湿であると同時に稚拙である。

2年前女子中学生が自殺した5日後に、友人らに聞き取ってメモは作られた。具体的な悪口の内容や生徒間の関係が記され、「いじめ」という発言も記録されていたという。しかも職員室では情報が共有され、学校に調査のため派遣された市教委職員にも渡された。当時の職員室在籍者にも箝口令(かんこうれい)をしいたことだろう。

くだんの教委幹部と校長は二人だけの秘密のごとくに「腹をくくった」つもりだったわけだ。二人しか知らず墓場まで持っていくのなら別だが、多くの人に知られてしまった事実を隠すのは絶対無理だ。人間は誰でもここだけの話・・に弱い。良心の呵責に堪えかねた教員も当然いたと思う。

遺族からの情報開示請求に一度「聞き取り記録なし」と答えたから、以後はそれを貫こうとしたのはあまりに幼い。第三者委員会の報告書完成が遅れることを恐れたとも聞く。

市教委幹部も校長も訂正する機会は何度かあったが嘘を重ねた。人事異動があり次の校長も幹部の命令に従い前例を踏襲した。学校にとって最大のステークホルダーは生徒であることを忘れた対応に、唾を吐いてやりたくなる。保身と体面しか考えていない。

市教委は会見で、2人しか経緯を知る教職員はいなかったとしたが、組織的な隠蔽工作、もしくは知らぬが仏的な空気があったことだろう。今回、誰かが水面に一石を投じたか、ここだけの話として市教委にとっては不用意な発言を外部にしたために明るみになったのだと思う。嘘はバレる。情報はかならず漏れていく。

(ガザニアの花は長らく咲く。それでもかならず終わりがくる)
耐えてまで服従すること不要なり [2018年05月30日(Wed)]

fumihouse-2018-05-30T18_26_22-1-thumbnail2.jpg大学だけでない。学校で行うスポーツ全般が問われている。勝利至上主義の軍隊調、指導者盲従の姿勢、そうした前近代的な指導法がいまだに大手を振ってまかり通っていることが、日大アメフト問題で明らかになった。

ひたすら練習、練習、長時間・・・。オレの言うことを聞け! 文句をたれずに愚直にやれ! それが勝利への道だ、と。学校における主従関係はいずれ終わる。学生が依存的な姿勢を身につけてしまえば、同じことが進学先、就職先でも繰り返される。同じ種目をやる場合でも、ほかのスポーツをやり始めた場合でも、同じメンタリティが働く。そこには自分で考えて工夫して心技体の向上をはかり、先達のアドバイスも取り入れて前進を続けるという屹立(きつりつ)したスポーツ精神は育たない。服従させる指導は間違っている。

日大アメフト部の選手一同が声明文を出した。

≪これまで、私たちは、監督やコーチに頼りきりになり、その支持に盲目的に従ってきてしまいました。チームの勝利のため必要なことと深く考えることもなく信じきっていました≫

そのとおりだ。一から十まで指導者が学生の面倒をみるというのは、一見うるわしい師弟愛と映るが、指導者と学生は共依存関係を生み出す。超一流の進歩にはつながらない。≪今回の件の深い反省のもと≫日大アメフト部員は再生を期するというが、これは日大に限ったことではない。日本のスポーツ全体に突きつけられた課題なのだと思う。

(ドクダミの花盛り。10種の効能があるから十薬とも。ただし日大の指導者には効かない)
パクチーをパクパク食べて香り立つ [2018年02月15日(Thu)]

fumihouse-2018-02-15T19_28_56-1-thumbnail2.jpgコリアンダー、別名パクチー。セリ科の一年草で、南ヨーロッパ原産の香味料・薬用植物。茎にも葉にも特異な香気がある。葉はパセリに似て細く裂けて重なりあっている。夏に小さな白いぶつぶつの花をつける。東南アジアの料理によく使われる香草で、愛好者も多い。カメムシ草と呼ぶことがある。わたしもそう思う。カメムシを食べたことはないし大嫌いだが、口に含むとパクチーのような香気があるんじゃなかろうか。

夏に苗を買って大きくなったパクチーを鍋にバサッとのせて食べた。実に美味しかったが、その後の長雨で枯れてしまったのは残念だ。パクチー入りの即席麺を売ってはいるものの、今一つパクチー度が足りないような気がする。この夏はうまいこと育てて香りを楽しむことにしたい。

(^o^;)パクチーではない。菊にも香気がある。あれも好きだな。春菊は大好物\(^o^)
戦略を堕落させたは喧嘩殺法 [2018年02月04日(Sun)]

fumihouse-2018-02-04T22_25_57-1-thumbnail2.jpg『戦略』と聞いてあきれてしまう。アメリカの平和戦略は「核兵器なき世界」から「いつでもどこでも核兵器」に転じた。核保有国の脅威に対抗し、自国と同盟国も守るには、威力を抑えてかつ高性能な核兵器を増強するという考え方は戦略に値しない。喧嘩の戦法程度のものでしかない。堕ちたものだ。

その戦法を一度でも発動してしまえば、地球は崩壊へまっしぐら。核の脅威国が核を一発発射したとしたら、直ちに残る全ての核兵器を100%叩くことが必要だ。そうでなければ、生き残った兵器がアメリカに向かう。全ての核兵器を完璧に破壊できるだろうか。潜水艦弾道ミサイルだってあるから、はなはだ疑問だ。

それでもトランプ政権は、抑止力が強化できると本気で考えている。数発の核兵器が炸裂しただけで、核の冬がやってくる。仮に大気圏外で打ち落としたとしても、電磁パルス攻撃となって、通信や電力系統が停止する。地球の環境は格段に悪くなる。限定的核攻撃に抑えたとしても、被害は甚大だ。核軍縮の流れを逆行させるわけにはいかないのだ。

先制使用はしないだの、低出力に抑えた核弾頭を使うと米国は言っているが、一度引き金を引いたならば世界は奈落の底に落ちる。相手国への疑心が暗鬼を生み、際限ない核競争をやってきた。それを終わらせるために絞る知恵こそ、『戦略』と呼ぶにふさわしい。

(焼きリンゴは美味しい。甘さと酸っぱさがやく馴染む。見た目は爆弾が炸裂した赤土のようではある)
帰宅とは命令されてするものか [2018年01月22日(Mon)]

fumihouse-2018-01-22T19_13_25-1-thumbnail2.jpg東京や神奈川方面に大雪が降っている。#帰宅命令 でリンクしたツイートが多数。会社が帰宅命令を出してくれない、帰宅命令が出たので降りしきる雪中を駅に向かう、帰宅命令がでない企業はブラックだ、駅へ行ったはいいけれど入場規制でホームにすら行けない・・・。

客商売なら如何ともしがたいかもしれない。そもそも交通機関関係者は帰宅はせず、泊まり覚悟の夜だろう。やむを得ない勤め人は除いて、どうしてこうも指示を待っているのか不思議だ。一斉に退勤すればラッシュになるのは目に見えている。雪で交通機関は障害がでて、思うに運転はできない。天気予報はあれだけ早くから警戒を呼び掛けていたのだ。午前中にさっさと休みを取って帰る選択も可能だったはず。

そんな勝手はできない!と言ってはいけない。非常時なのだ。顧客だって打ち合わせの日程をずらすことに同意するだろう。店が休みでも客は納得するにちがいない。帰宅命令がでないと帰宅できない会社そのものがブラックと言えるのかもしれない。社員が自主判断がしないことで、自らブラックの度合いを高めることに問題がある。それはブラックか否かということではなくて、働き方の問題だ。家が近くにあって歩いてでも移動できる人は、残って銃後の守りを固めるのもよいだろう。さまざまな判断が適切に分散されることでリスクも分散する。生き物とはそうして進化し、絶滅を免れてきたはずなのだ。

(家々の庭に実って収穫されていないミカン類も、この冬は白い帽子をかぶることが多くなる)
タンポポは春を信じて咲き誇る [2017年04月15日(Sat)]

fumihouse-2017-04-15T22_59_18-1-thumbnail2.jpg千葉・松戸の小学3年生を殺し、遺体を遺棄した事件で逮捕されたのが、保護者会長であったことが、ショックをまき散らしています。児童の見守り活動もしていたようで、「誰も信じられない」と多くの親が言っていると報道されます。これでまた、PTA役員のなり手がなくなりそうで心配になります。

一定の確率で病的な変質者、無体な狂信者は出るものです。教師だって警察官だって公務員だって犯罪者になることがあります。多くの責任ある者は懸命に職責を果たそうと努めても、千人に一人のそうした輩が出てしまうことで、周囲からの信頼が一度に崩れるのです。実に恐ろしい。

反対に十把ひとからげに疑ってかかることも愚かです。人間が社会に生きる限りは、何かを信じ、誰かに信頼を置かなければなりません。全てを疑ってしまえばどうなるでしょう。階段は施工不良で崩れるかもしれないし、クルマは暴走して突っ込んでくる。道行く人が突然ナイフを振りかざすことになるでしょう。もう外には出られません。

家の中に居続けても同じです。親は子供を虐待するかもしれませんし、家庭内暴力で子供が親を金属バットで殴るかもしれません。常にビクビクしていては心身ともにもちません。生きることは不可能です。

信頼を前提にした日常にあって、保護者会長にさらわれて殺されたあの子は不運でした。可哀想な目に遭ってしまいました。冥福を祈ります。

保護者会というのは、PTAとは違うのですね。知りませんでした。各県のPTA連合会や日本PTA全国協議会には属さないのだと知りました。教員が入らない組織のようです。上部団体に属さないことで負担金は納めなくてすむでしょうし、ブロック単位の活動に役員が刈り出されることもない。面倒なことに巻き込まれたくないという世の中の流れに沿ったものかもしれませんが、教師と親が協力して子供たちを守る・育てる・信じるという態度を示し続けなければ、子供は良い大人になりません。大部分の善良な大人が子供たちに発すべきメッセージは、「ひとは信ずるに値する。善につけ悪につけ、敏感であれ」でなくてはなりません。

(子供たちがタンポポのように、元気にたくましく育ってほしい)
平和とは身近な人の安寧から [2016年07月29日(Fri)]

fumihouse-2016-07-29T17_20_18-1-thumbnail2.jpgかの男は「日本国と世界平和の為に」と称して相模原市の施設で残忍な事件を起こしました。衆院議長への手紙や事件前のSNSでもって、重度障害者が安楽死させられる革命的な世の中にするため自分は先駆けとなって数百人を抹殺する、その後は心神喪失を理由に2年で自由の身にしろ、5億円の支援をせよ、とほざいています。

悪いことと知りつつ敢えて行う確信犯ではなく、信念から正義の行為であると信じる狂気の沙汰ではありますが、かの男は心神喪失や心神耗弱ではありません。厳正に裁き、その思想は誤りだったと反省させてから刑に服させなければなりません。

平和とヒューマニズムを装っていてもテロリズムです。究極のエゴイズムであり、快楽主義的な発想がかの男にはあったのでしょう。抵抗のできない弱者を狩る残虐ゲームの発想です。老人がギャンブルするのをなじる発言もありました。おそらく彼の矛先は病者も含めた弱者全体に向けられています。たまたま事情をよく知る施設にいた弱者を標的にしたのでしょう。明らかに猟奇殺人です。

そして優生思想です。劣等な子孫(彼らが言うところの)の種を断ち、優秀な血統を増やすことにより民族全体の繁栄を図ろうとするナチスも取り入れた発想です。

弱者を取り除くと集団は強くなるというのは錯覚です。彼らは弱肉強食が正しいと考え、不適者は生存する価値がないと信じているようですが、違います。進化論にあってもすべてが同じく変異するわけではありません。変化した先で環境が激変すれば一気に滅びてしまうかもしれません。多様性が必要なのです。地球という社会では、人間だって弱者ですし(ジャングルや砂漠で独りで生きられる人はほとんどいない)、今は強者だと胸を張っていても、いつ立場が逆転するかはわからないのです。

人間という種がとった生存のための方法は、集団を保って生き抜くことでした。社会をつくって力を合わせるのです。そこから導かれるのは、障碍者や困難をかかえる人たちを守って共に生きていくことなのです。一見効率が悪いようでも、人間にとって共生することが未来へつながります。考え方を発展させれば「人権」の尊重という理念につながりますが、それは後の話です。

共生や協働の幅が広がれば広がるほど、戦う相手(他民族だけでなく自然環境も含めて)が少なくなればなるほど、人間総体としては平和になります。かの男の思想は間違っています(思想というほど高尚ではないが)。事件を受けて、全国手をつなぐ育成会連合会は緊急声明を出しました。まさにそのとおりです。

≪私たちの子どもは、どのような障害があっても一人ひとりの命を大切に、懸命に生きています。そして私たち家族は、その一つひとつの歩みを支え、見守っています。事件で無残にも奪われた一つひとつの命は、そうしたかけがえない存在でした。(中略)国民の皆様には、今回の事件を機に、障害のある人一人ひとりの命の重さに思いを馳せてほしいのです。そして、障害の有る無しで特別視されることなく、お互いに人格と個性を尊重しながら共生する社会づくりに向けて共に歩んでいただきますよう心よりお願い申し上げます≫

結局は誰もが死にます。オレは強いと粋がってもいずれ死ぬんです。ならば気持ちよく死んでいきたいし、共生の考えを広めつつ良い社会を次世代につなげていきたいものですね。

(夏の太陽のもと輝く百日紅。サルがスベってツルツルと、白い衣が涼やかだ)
陸上にロシアが消えて欠五輪 [2016年07月22日(Fri)]

fumihouse-2016-07-22T17_30_45-1-thumbnail2.jpgスポーツ仲裁裁判所の裁定がきっかけで、陸上どころかロシア選手団全体がリオ五輪に出場しない可能性も出てきた。このことは、ゲリラ掃討作戦に似ている。組織的ドーピングをしたロシアの連帯責任を問うか、選手個別の事情を斟酌するか、二つの論点が言われるが、私には敵の姿が見えないゲリラ掃討に思えるのである。

ゲリラは正規軍を奇襲して遊撃戦を行う。民間人に混じって集落の一員と思わせておいて突然襲いかかる。装備は貧弱だとはいっても、神出鬼没に正規軍を恐れさす。日中戦争において、日本軍が村々で民間人を虐殺したというのも、人民軍がゲリラとなって潜んでいたからだ。疑心暗鬼になって罪のない民を殺してしまったのも無理はない。だからといって罪が減じられるわけはない。そもそも中国人民を蹂躙し、全土に戦線を広げたこと自体が誤っているのは言うまでもないからだ。

ロシアが組織的にドーピングに手を染めて、一部の選手や役員も隠蔽や偽証に協力した。ロシアはゲリラの総本部、選手や役員は隠れたゲリラである。ゲリラと民間人(ドーピングしていない選手)は外目には全く区別がつかない。十把一絡げに扱うしか方法はない。

今後も規制の網をすり抜ける手法が考え出されるのは間違いない。そこまでして金メダルを穫りたいかと問えば、そうだ!と答えるであろう。ブラジル国内でムスリム過激派のテロ攻撃が事前に摘発されたと聞く。こちらのほうもきな臭い。いいオリンピックになりますように。

(女郎花(オミナエシ)が早くも咲いている。夏の風に揺れながら、秋の気配を漂わす。イヤまだまだ早いよ)
イスラムのペルシャかアラブか覇権かけ [2016年01月05日(Tue)]

fumihouse-2016-01-05T20_58_46-1-thumbnail2.jpgペルシャ対アラブの静かな闘いが始まった。熱い戦いにならないよう願う。サウジアラビアはイランとの外交を断絶させ、イランの外交官全員に退去するよう求めた。

サウジアラビアはアラブ世界の金持ち大国。イランは世界に君臨したペルシャ帝国の末裔。両国ともにイスラム教ではあるが、アラブは主流たるスンニ派を信奉し、イランは傍流のシーア派に属する。

今回の断交はサウジアラビアの大使館や領事館がイランの群衆に襲撃されたことが発端だ。襲撃は2日にサウジアラビアがシーア派指導者をテロリストとみなして処刑したことに始まる。それぞれに言い分は異なるが、スンニ派のバーレーンとスーダンも同調してイランと断交したというから、スンニ派国対シーア派国というイスラム教同士が骨肉相食む争いが始まりそうだ。

となると、”静かな闘い“ではすまなくなるかもしれない。同じスンニ派とはいえアラブ諸国とも対立し超過激に世界イスラム革命を目論むISも勢いづくだろうし、シーア派が主導するイラクだって国内多数派のスンニ派を押さえ込めなくなる恐れもある。中東はさらに混沌の度を増す。

第二次大戦中に中東で石油が見つかっていなければ、中東諸国が金満国になっていなければ、世界は違っていたと思うけれども、いまさら元には戻れない。せめて冷たい戦争のまま推移するよう祈る。

(暖冬にも水仙は華麗に咲いている。雪中の四友はそろった。スイセン、サザンカ、蝋梅。梅も暖冬で開花したところがあるらしい)
ニッポンの青い実育ち世界へと [2015年12月23日(Wed)]

fumihouse-2015-12-23T22_45_28-1-thumbnail2.jpg大学入試センター試験を根本的に変えるそうだ。文部科学省の専門家会議が2020年度から「大学入試希望者学力評価テスト」という名前に衣替えするよう提言した。まずは国語と数学の二教科から始めるが、記述式で思考力や判断力、表現力を評価する指標をつくる。

今のセンター試験のマークシート方式をやめて振り出しに戻すことを「衣替え」と表現しては物足りない。衣装だけでなく、乗るべき馬まで替えるという点で「鞍替え」と言うにふさわしい。

記述式が増えることは、問題作成に手間がかかることを意味する。採点に一貫性を持たせるためには設問者の意図が絶対視されることになるが、それでいいのか。高校の授業の仕方も相当変えなくてはならない。受験生を受け入れる大学側にも、送り出す高校側にも大きな負担が課されることになる。間違いが増えるし、時間もかかる。

そもそも二次試験は何のために行うのか。思考力や判断力、表現力を求めるのであれば、二次試験で各大学が工夫すればよいし、現にそうなっているはずだ。推薦入試やAO入試なども含め、大学の入学選抜はすでに多彩になっている。一次のセンター試験はコアな基礎学力を判定する今のやり方でどこが悪いのか。

高校段階で学生の力はおよそ未知数だ。その時点で完成形が見えるわけがない。大学で学力を伸ばし、多くの知識と経験を取り入れて伸びていく。世界に通用する学術のレベルが今の大学全般で低いという認識が文部科学省にあるならば、国立大学への交付金を減らすために目前の成果ばかりを求める今の手法を改めて、もっと知の地平を広げ峰を高める方法を考えたらどうなのかと思う。大学入試改革でセンター試験をやめるというのは愚策である。

(学生はまだ青い実と同じ。オリーブが美味し実をつけるには時間がかかるように、人を育てるには時間がかかる)
夏盛り8.15よ70年 [2015年08月15日(Sat)]

DSC_3591.JPG昨日発表された安倍総理の談話。私は評価するに値すると思う。

まずは文明論としての近代日本の歴史から説き起こし、日本が戦争引き起こした原因を明快に述べた。世界恐慌で世界中が苦しむ中、ブロック経済によって西欧の旧宗主国を軸に囲い込みが行われたのが遠因だが、経済や社会的行き詰まりを力によって打開しようとした日本の過去を反省すべき点とした。戦後は決して針路を誤ることなく、戦争の惨禍を二度と起こさない決意を原点としたことを改めて述べた。

20年前の村山談話は、≪過去のあやまちを2度と繰り返≫さないために≪痛切な反省の意を表し、心からのおわびの気持ちを表明≫すると述べたが、私には抽象的で紋切り型だと感じていた。

安倍談話で注目したのは、≪事変、侵略、戦争。いかなる武力の威嚇や行使も、国際紛争を解決する手段としては、もう二度と用いてはならない≫のところ。「侵略」を目立たせない記述だとして非難する向きもあるが、自衛戦争と言いくるめても戦争は戦争。詰まるところ、今後は戦争を紛争解決の手段としないという決意表明である。

どれだけ≪痛切な反省と心からのお詫びの気持ちを表明し≫たとしても、≪家族を失った方々の悲しみ、戦禍によって塗炭の苦しみを味わった人々の辛い記憶は、これからも、決して癒えることはない≫と将来に向けて弛むことのない心構えとしている。

また、六百万人を超える引揚者を帰還させてくれた各国の恩、残留孤児を無事成長させてくれた中国への恩なども表し、その寛容さを称え感謝しているのも目新しい。

日本は力をやみくもに行使し、≪国際秩序への挑戦者となってしまった過去を、この胸に刻み続けます。だからこそ、我が国は、自由、民主主義、人権といった基本的価値を揺るぎないものとして堅持し、その価値を共有する国々と手を携えて、「積極的平和主義」の旗を高く掲げ、世界の平和と繁栄にこれまで以上に貢献≫するとした。

長い談話であったが、練り上げて意を尽くしたものであったと思う。ただし、今日の戦没者追悼式での総理あいさつは談話に比べるとあっさりし過ぎていたようだ。

(秋の七草の第四段はフジバカマ。藤色の小ぶりな花は可愛らしい)
害をとき命の教育想像す [2015年07月28日(Tue)]

fumihouse-2015-07-28T19_27_41-1-thumbnail2.jpg子供が自殺したり、陰惨な事件を起こすたびに、教育関係者が「命の大切さに関する教育」に力を入れると発言する。

命は大切だと感じるためには、自分自身が取り替えのきかない大切な人間だと無条件で信じていなければならない。勉強ができるから大事にされる、スポーツ万能だから一目置かれるという条件付きではない。存在すること自体がかけがえがなくて、自分は価値あるものと信じられれば、それを基礎にして他者を大切に思えるはずだ。

親にギュッと抱きしめられて大切にされる経験が積み重なって原点となるわけで、命の教育は一朝一夕にできるものではない。修羅場も経験しながら親と子が成長しつつ、命の貴重さを実体験していく。命はかけがえがないと百万回繰り返しても、言葉だけでは観念論だ。

しかし遠回りなのだ。現実に自己や他人を傷つける可能性がある子供をギュッと抱きしめてやれるかというと難しい。すでに大きくなった子供は嫌がるだろう。家庭的にもいろいろな事情があるからとても時間がかかる。私は「利害」を説き聞かせたほうが、短期的には効果があると思う。

例えば、目の前に殺したいほど憎い奴がいて、それを殺すメリットは何かを考える・・・・・奴が死ぬのを目の当たりにして満たされる。モヤモヤした気分が晴れる。SNSにツイートして注目される…。大きな「利」はない。たちまち消え失せる。

一方でデメリットは際限ない・・・・・ゲームと違って遺体は消えずに目の前に残る。処分しようと思っても重く手に余る。腐敗しだすと信じがたいほど臭う。逃げても捜査の手がいつ及ぶか心配で眠れない。逮捕されれば友達からの評判が地に落ちる。相手の家族から深く恨まれる。学校へは行けなくなる。取り調べや裁判を受けなければならない。マスコミからはあることないこと叩かれる。臭い飯を食ったあと社会復帰は困難で就職や結婚も難しい。殺したことを一生後悔し続ける…。キリがない。

両者を比較すれば、殺したいほど憎いヤツでも殺しては損だ、「害」しかないと思える。もちろん比較の上で惨劇を起こすわけではないが、少しは抑止力になるだろう。その刹那ではなく数日後の損得を想像さえすれば、無惨な事件を起こさずにすむ。自殺についても深く考えていけば必ず、ダメという結論が出てくると思う。

命の大切さを考えさせる教育は様々にある・・・・・誕生日を祝ってもらうなかで、家族や友達と自分が生きる意味について考える。悲惨な事故をきっかけにして、日常に潜む危険を想像し普段から事故を起こさないように決意させる。植物の芽が出て葉を広げ花が咲いてやがて枯れることを目におさめる。ペットが生まれ育ち、死んでいく姿を見て悲しみに耐える経験をさせる。家族や祖父母、親戚など身近な人の死から人間の命について考えさせる。毎日食事ができることに感謝し、食物となっていただく命を有り難いと思う。

いろいろな教育実践があるけれども、イメージの中だけで他人や自分を殺したらどうなるかを考えるタブーに挑戦する意味はあるのではないかと、私は思う。本当に殺したらどうするんだ、自殺幇助になりかねないと心配する向きがあるのは当然だ。しかし、自分は生きるにふさわしいという自己効力感(セルフィ・エフィカシー)を高め、命は大切だという肯定感を育むのには時間がかかる。しかも人間は利害得失には特に敏感にできている。全ての人間が持つ闇の部分を避けるのではなく、一点突破するのも一つの方法ではないかと考えた。

(このイシガメ君も大切な命をもつ。つぶらで潤んだ瞳は情が深そうで、じっと私を見ていた)
わたくしの党派をなくし参議院 [2015年07月19日(Sun)]

fumihouse-2015-07-19T21_41_59-1-thumbnail2.jpg参議院選挙制度はどうなるでしょうか。自民党の10増10減案を実現したとしても、一票の格差は依然として大きいことから、公明党と民主党は大胆にも二つの県を合わせた合区を10に増やそうとしています。前回参院選で5倍近かった格差が2倍未満に縮小し、裁判所が違憲と断じた状態を避けられますから、早速来年夏の参院選から適用できればいいですね。

県別の選挙区がなくなる自民党議員は「地方切り捨てだ」と反対していますが保身です。国会議員の地位を私有財産視した反論に思えます。

吉田松陰は小大の用を足すたびに走っていたそうです。「用を足すことは私事であり、私(わたくし)のために使った時間を取り戻すために走る」という理由です。ここまで純粋に公(おおやけ)の利益を考えていた松陰。その純朴な大真面目さが長州の若者を動かしました。空想的な天皇中心主義に染まり過ぎたきらいはありましたが、松陰あって始めて長州藩による明治維新は成し遂げられたのです。

国会議員は天下国家を議論しなければなりません。広い視野に立って判断しなくてどうするのですか。自分の出身地に誇りをもつのは当然としても、選挙区の利害だけにとらわれることなく、一票の格差という大きな課題を解決せずして前進はありません。

ただし、合区される島根県の住民として条件をつけたいと思います。この際参議院には党派をなくしたらどうでしょう。党議拘束を外してしまって、より高い価値を大所高所に立って求めるのです。党派中心から民衆中心の議会の仕組みにするのが政治家の責務ではないでしょうか。それが日本の民主主義を育て、地方創生の本流を確かなものにします。

ついでに衆議院の小選挙区制も変えてしまいましょう。小選挙区制には地滑り的に第一党を決めて政権交代が容易になるという性格はありますが、死票が増えます。中選挙区制に戻したいですね。個性的な小政党も活躍できる、有権者の関心が高まる、区割りを変えなくても一票の格差を正せる。いいことは多いと思いますよ。

衆議院の一票の格差を縮めるために、高野克則氏の意見(各議員の出身選挙区の有権者数を議決の際の持ち点として集計する)に加えて、直近の投票率を掛けて割り引けば、自分たちの代表にできるだけ多くの持ち点を与えたいと支持者は選挙活動に力が入る。すると投票率が上がる。若い人も関心を持ってくれる。ちょうど選挙権が18歳になる機会でもありますしね。選挙に地殻変動が起こると思いませんか。
哲学を思弁するなりのんびりと [2015年06月30日(Tue)]

fumihouse-2015-06-30T19_13_54-1-thumbnail2.jpgこの期に及んで何をしようとしているのか。周りがなんとかしてくれると思っているのだろう。ギリシャは不思議な国だ。

ギリシャのチプラス首相は15億ユーロ債務について、「銀行が窒息状態にあるのに、どうやって支払えと言うのか」と居直った。債務不履行は目の前にある。財政を緊縮させるか否かを問う7月5日の国民投票結果を待つと言っている。ここで反緊縮の世論を示してギリシャの発言力を強めるというが、本気とは思えない。IMFだけでなく、EU中央銀行からも35億ユーロの返済が迫っているというのにだ。

債務不履行となれば、資金は枯渇し国民生活は転落する。生活物資も正規の購買ルートでは買えず、闇市化するかもしれない。財政を緊縮させれば景気は一時的に失速し失業は増える。ギリシャの将来は暗い。かといってユーロ紙幣は自前では刷れないから、かつての通貨・ドラクマに復古させるのか。国の信用に裏付けられない通貨はハイパーインフレとなり、紙屑に等しい札束の山の前で人びとは右往左往するだろう。ギリシャ国民にとって、無粋で苦いばかりのトラウマ経験(ドラクマと似ている)になるのではなかろうか。

しかしギリシャ国民は破局が目前なのに、いたってのんびりしているらしい。公務員の雇用を守れ、賃金を減らすな!年金支給水準を落とすな!とデモが賑やかだ。銀行で預金をおろすのも制限されており、焦ってもしゃあないと哲学でも思弁しているのだろう。

ギリシャの経済規模はユーロ圏内では無視できる程度らしいから、ユーロは重い足かせを取られて楽になる。今はユーロ安が進行しても、いずれ回復するだろう。問題はギリシャが破綻してしまうことなのだ。元はといえば長年の放漫財政運営に原因がある。財政数値の虚偽報告もあった。それでも人道上必要となれば援助の手が差し伸べられるだろう。

しかし、公務員や年金生活者ばかりが取り得となる援助では困る。困った人にのみ支援の手が伸びる方法があれば(例えば現物支給)、人道的にも後腐れのない支援策となるまいか。そうしたクスリが効いて始めて、自分のエゴのみ主張してきた多数派に反省の機会が与えられるような気がする。
ひとは皆ダーナすること喜んで [2015年06月19日(Fri)]

fumihouse-2015-06-19T17_24_54-1-thumbnail2.jpg「お布施」とは本来自発的にお寺さんにたいして寄進することだ。うやうやしく献じるものである。喜捨ともいい、勧進という言い方もある。しかし今はお金のやりとりに特化されている。

坊さんの生計を支えるのみならず、「事業」に欠くべからざるものとして、周辺の「相場」をつくり「料金」のようにして「徴収」される「ビジネス」となってしまっているが故に、寺から請求されて支払うような印象を受けてしまうのは当然のことだ。

元は梵語のダーナに由来するのが、布施なのだそうだ。DANAとは、人に与えることであり、困っている人に手を差しのべること。その言葉が西洋に行き、英語では慈善事業に寄贈するドネイト(donate)となったり、臓器や血液の提供者を意味するドナー(donor)となった。中国へ向かうとダーナは、檀那や檀家へと転ずる。やはりこれも音がそのまま残っている。そして邦訳されて布施となり、日本語では檀那の意は変った。

もとは、何かを与えることはすべてダーナだった。時間を費やして役に立つ、作物が多く採れた人が寄付をする、知識人が何かを教える。それもみんなダーナという布施だったのに、日本では金に一元化させてしまった。

必要なだけの金は当然なくては困る。しかし、人が他人に何らかの貢献をして社会に役に立つことを喜ぶ。金が自己主張しては本末転倒だ。金は生きて使われてこその金なのだ(と、持たざる者のひがみかも)。

(花は対価を求めない。人が喜んでいるいないに関わらず、ひたすら咲き続ける。唯一求めることは子孫が続くこと)
激烈に空気のせいで突き落とす [2015年05月29日(Fri)]

fumihouse-2015-05-29T18_48_45-1-thumbnail2.jpg「空気」はなにも日本社会の専売特許ではない。一昨日考えた、なぜ人間は殺し合うのかと。動物としての本能は相手を傷つけはしても殺すまでには至らない。本能以外に考えられるのは空気だ。「集団心理」や「世間」とも言う。

個人としては荒立てたくない。もうここらへんで止めておこうと思っても、傍らの別人が軟弱だ!と非難する。あるいはそうした空気を醸し出す。一人か二人が激烈で勇ましい意見や態度に出たならば、残りはその険悪な空気感に恐れをなす。自ずと事態は深刻の度を増していく。集団と集団とがぶつかる場合、それが怖い。国家となると、煽り立てるマスコミはいるし、テロリストの存在も恐怖だ。調停は不調に終わり、戦端は開かれる。そして莫大な戦費と資源を損耗させ、人々を塗炭の苦しみに突き落とす。

「みんなそう考えているに違いない」とおもんぱかり、場の空気にがんじがらめになって、個人の責任を回避する。周囲に合わせた結果が、イジメであり、集団リンチとなってやり玉にあがった者を不幸にする。最大の無責任は開戦であろう。最高責任者たちは戦場に行かない。若者と母親を悲嘆のどん底に陥れる重大事を一世紀近く前に空気で決めてきた。空気で一億玉砕を叫んだ。これほどの無責任があるだろうか。

空気に従うとは自分の頭は思考停止させること。周りも自分と同じであることを確認して安心しようとするのは、私たちの悪いクセ。日本人にありがちな傾向ではあるけれど、人間に共通の、これも本能か。

(ブラシの木の花が咲いた。本物のブラシのようにごわごわしていない。気分が荒んできたらこのブラシで頬をなでるがいいさ)
人間はなぜに殺してしまうのか [2015年05月27日(Wed)]

fumihouse-2015-05-27T19_20_54-1-thumbnail2.jpgどうして人間は殺し合いをするのであろう。他の生物は傷つけはしても殺すまでには至らない。本能としてインプットされた生物としてのあり方だからだ。しかしながら人間はその例外。本能の外にある。万物の霊長たる特権をもってすれば例外が許されるのか。許す許さないではなくて、現実に殺されて苦しむのは人間自身なのだから変な話だ。悲惨な苦しみをこうむる人間はゼロになるのが正しい。

考えてみれば、どんなに憎もうともその相手方は、数十年待てば死ぬ。どいつもこいつも、どんなに憎らしい奴でも、ちょっと待てば死に絶えるのだよ。なぜ殺そうとする? 待てばいいのに! 当人ばかりか、家族も親戚も縁者も、関わるすべての人間を根絶やしにしたいと欲望するのが人間なのか。

醜い欲望に絡め捕られた人間同士が戦う。勝者と敗者が生まれる。生者と死者に分かれる。死者と敗れた者は悲しみ、生と勝った者は安堵する。安堵したのもつかの間、復讐の影に怯え心は安らかではない。暴力の連鎖にがんじがらめになって不幸の階段を転げ落ちる。復讐を遂げたとしても、喜びはやがて消え失せて、相手からの報復攻撃を恐れる。幸福になれる者は誰もいないのだ。

国会で安全保障関連法案の審議が始まっている。日本の同盟国が戦争をおっぱじめた際に、集団的自衛権を行使する3条件は次のとおり。字面だけは極めて厳しい。

(1)我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険があり、
(2)国民を守るために他に適当な手段がなく、
(3)事態に応じ合理的に必要と判断される限度で武力を使うと閣議決定されたものだ。

安倍首相は答弁する。「集団的自衛権の行使を想定し得るのはホルムズ海峡の機雷除去だけだ」と。一方で内閣法制局長官は、他に攻撃を防ぐ方法がないという場合に個別的自衛権を発動して敵国のミサイル基地などを攻撃できるとも述べている。矛盾している。後方支援どころか、防衛に名を借りた攻撃だ。満州国は日本の生命線と詐称したかつての日本と変わらない。危ういぞ怪しいぞ。

輜重(しちょう)、すなわち前線部隊に武器や糧食を輸送する兵卒がいる。さらに意味を広げると、後方で情報連絡や交通を確保する任務を受け持つ兵站(へいたん)部隊がある。後方支援と首相は呼んでいるものだ。

憎っくき敵に味方する者は誰もが敵だ。敵の味方は敵なのだ。後方支援だが何だか知らないが、あんたがその気なら、あたしゃあんたを攻めるよ! という発想でかのISは二人の日本人人質を残虐にも殺した。憎しみに絡め捕られた人間はおかしなことを考える。

仮にホルムズ海峡であれ、機雷を除く任務についている自衛隊艦船は敵方から離れているように見えても、長距離ミサイルで攻撃されてしまう。精度が少々低かろうが数打ちゃ当たる。「後方」にいるという安心感があると、防御の態勢は弱くなる。前線の屈強部隊は歴戦の戦争常習国であり、さすがに強い。正面作戦を避けて、自衛隊の部隊を狙うという選択肢は考えられる。「後方でもいい」と思っているうちに、いつの間にやら後方も前線もない状態に陥ることは十分あり得ることだと思うのだ。

(柿の花は変哲もなく平凡で目立たない。でも秋になれば美味しい実をならす。それで十分じゃないかと思う私は消極派か?)
混同しルールとマナーに学ぶべし [2015年03月25日(Wed)]

fumihouse-2015-03-25T18_55_28-1-thumbnail2.jpg私たちは、ルールとマナーを混同してしまいがちだ。

ルールとは、社会の規則であり、会の構成員が守るべき会則だ。また裁判所の命令、法律そのものもルールである。強制力をもって従わせる仕組みだから、守らない者を罰する厳格さをもつ。

一方でマナーは、行儀作法であり洗練された流儀や物腰をさす。強制的に押しつける筋合いのものではない。できればやったほうがいいよ、好感をもたれるよ、気持ちがいいよ、と言える程度のことであろう。「マナー違反」という言葉が使われるが、筋が違うというものだ。守るべき社会の規範を守れない輩に対し、強い調子で非難の矢を浴びせれば、それはルール違反をとがめることだ。

ルールに関して、時と場合によって、叱られたり叱られなかったり、罰したり罰しなかったりでは規律は保てない。規範を守ろうとする意志がだんだん弱くなっていく。

例えば交通法規を考えてみよう。こんな広い道で制限速度が40キロはないだろー、と感じる場合に人は自ずとスピードを出す。50キロならいいだろう、やがて60キロでも問題ない、と判断するようになり40キロ少々で走るドライバーをけなしだす。ところがある時ネズミとりに引っかかって、20キロオーバーの違反切符を切られて身の不運を嘆くのだ。

当局は事故の実態や道路状況を考えて厳しめに制限速度を設定するのだが、上のようなことになってしまう。いつもいつも違反摘発をするわけではないから、運転者はどんどん判断を甘くしてしまって、かえって危険な速度まで自分の基準を緩めてしまうのだ。本来は危険防止が目的だったはずが、運不運の問題にすり替えられてしまう。交通ルールはマナーにまでレベルが落ちてしまうのだ。

速度制限は甘いところギリギリまでのところにして、その速度を超えた場合は即摘発としていけば、交通法規というルールをきっちり守る態度が生まれてきやしないかと思うのである。

ルールはルールとして厳格に。マナーは気持ちよく生活できるように意識の啓蒙を図る。そんな社会政策が必要だ。
やり方を変えてみたいな中選挙 [2015年03月20日(Fri)]

fumihouse-2015-03-20T18_28_20-1-thumbnail2.jpg戦闘で死ぬのはイヤだ。なされるがまま殺されるのもイヤだ。大昔から部族同士が争い戦い殺し合い、負けた者は死ぬか捕虜、奴隷となって人生が終わる。日本では戦国時代で終わりとなったけれども、世界の各地では同じ民族、同じ国民が殺し合うことが茶飯事だ。日本は平和でよろしい。

さて、郵政選挙、政権交代選挙でいったん総選挙の投票率の低落がおさまったように見えたが、その後は史上最低を更新している。平和ぼけが根本にあるにしても、僕には小選挙区制に変わったのが原因に思える。

小選挙区選挙では政権交代が容易だ。票差は少なくても勝ったほうは地滑り的に議席を得て多数を取る。その代わり死票が増える。せっかく投票したのにムダになる。自分が応援した候補が政界に出られないとなれば、選挙への興味は薄れる。

中選挙区制に戻したい。死に票は減る、個性的な小政党も活躍できる、有権者の関心が高まる、区割りを変えなくても一票の格差を正しやすい……。いいことが多いはずだ。選挙権が18歳まで引き下げられるこの機会に、元の中選挙区制に戻したらどうだろう。

死ぬのはイヤだ、の話題に戻す。選挙は勝つか負けるか。政治的に生きるか死ぬかの勝負だけれども、命まで落とすことはない。選挙は厳正に行われている。仙台では組織ぐるみの票数不正がありはしたが、怠慢を糊塗するのが目的であり、彼らに命を懸けて工作するまでの信条はなかった。日本は平和だ。選挙さえちゃんとやれば、命の遣り取りはない。平和を喜ぼう。
連呼せず恐怖を呼ぶな人の道 [2015年02月06日(Fri)]

fumihouse-2015-02-06T18_46_50-1-thumbnail2.jpgハリー・ポッターの物語で、魔法界を悪と恐怖と屈従に染め上げようとしたヴォルデモートのことを、「名前を言ってはならない、あの人」と魔法使いたちは呼んでいた。ハリーだけは恐れなかったが(というよりは、恐れまいと決然と断言しつつも震えていた)、他は名を呼ぶこと自体を怖れた。

名を呼ぶとは単に名前にとどまらず、体も精神も「あの人」のすべてを呼び覚まし恐怖を目の前に体現するものと、彼らは考えた。日本でもかつて天皇は名前で呼ばれなかった。死んでのちに謚(贈り名)が与えられた。畏れ多い人に対しては、洋の東西を問わず名を伏せるのが常道である。

さて、日本のマスコミ各社に対し、「去年の夏から国家を呼称する、かのテロリスト集団」のことを「○○国」という名前で報道しないよう求める運動がすすんでいる。

独善的で排他的、エキセントリックで狂信的な、かの集団のことを、米大統領も「暴力を正当化するために宗教を利用したカルト集団」と断じている。正式に国家として承認した国はなく、ムスリムからさえも、「イスラム教を詐称したただの犯罪集団だ」と鼻をつままれている。

この組織のテロ行為と人質殺害事件のせいで、すべてのムスリムが迷惑をこうむっている。あれらと同一視しないでほしい、差別し排斥しないでほしいと悲痛な声があがる。日本に住むムスリムに対して、無知と短絡的な姿勢から生まれる嫌がらせが発せられているという。

日本の外務省はかの組織のことを「ISIL」と呼ぶことに統一したことは正当だ。NHKをはじめとした報道機関も名称を変更すべきである。ニュースのたびに連呼することは、残虐な恐れと無用な差別を生むばかりである。ヴォルデモートは物語の中だけでたくさんだ。

(追記)2015.2.14
今夕、NHKのラジオニュースを聞いて気がついた。かの組織のことを「アイ・エス」と読んでいた。よろしいよろしい、それでいいのだよ。
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