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傲岸に上から見てるございます [2023年09月02日(Sat)]

fumihouse-2023-09-02T16_26_28-1-thumbnail2.jpg変な官僚言葉が世を席巻するようになりました。「そのように認識してございます」「承知してございます」。それはおかしいと指摘されてから久しく経ちます。わたしもそう思うのです。「認識しております」「承知しております」で十分です。中央官庁に端を発し、今では地方政府も大企業の御えらいさんも、当たり前に使うようになりました。

へりくだって丁寧な言い回しに聞こえますが、自分たちは他とは違うんだぞ、という傲岸さが透けてみえると思いませんか。事なかれ主義とも言いますね。

 ・思ってございます
 ・考えてございます
 ・記憶してございません
 ・その知らせを喜んでございます

「ございます」は、ある、ありますの丁寧語ですから、いる、いますの丁寧語としては不自然なのです。

ところが、昔の漫画に見つけてしまったのでございます。もう40年も前の漫画『項羽と劉邦』でございます。例えばこのような表現でございます。

 ・各国で内乱が起こってございます
 ・従う者の心をつなげてございます

全21巻を先日読み終えたのでございますが、「変なございます」が掃いて捨てるほどあるのでございます。大家の横山光輝先生のお好みなのか。それとも大昔はこの言葉遣いが普通だったのでしょうか。凡人には測りがたいことなのでございましょうな。やり過ぎはいけませんね。

(クフェアという可愛らしい花。過剰に演出せずとも美しいものは、ありのままで美しい)
面向かいどうもどうもと機嫌よし [2023年08月29日(Tue)]

fumihouse-2023-08-29T18_46_33-1-thumbnail2.jpg【どうも】実によく使う言葉だ。

どうもありがとうございます/どうもごぶさたしております/どうもすみません……と使うと、感謝や挨拶を強調する際の副詞となる。

どうもおかしいぞ/どうも風邪をひいたらしい……となると、疑念や推測を示すことになる。あまり感心した場面で使うことはなさそうだ。

もとは江戸時代に「どうも言えぬ」という言い方をされて、言葉に表せない感動を表現していたようだ。やがて簡略化されて、謝意や挨拶、推測といった用途に幅が広がったという。

軽い挨拶やお礼をするときは、「どうもどうも」と言ったりする。砕けすぎてぞんざいな感じがする。親しくて気楽な相手にしか使えない。今も「どうも」は変化を続けるのだろう。

(島根ぶどうの『神紅』が食べたくて、どうもたまらない。これはどうも普通のマスカットのようだが)
ふりかえるふと見た先に自分あり [2023年08月26日(Sat)]

fumihouse-2023-08-26T21_12_57-1-thumbnail2.jpg≪フリカエルトフトカエル≫
美肌県・島根のポスターのうたい文句。松江駅に貼ってあった。

ふりかえる。何を振り返る? 一日をふりかえる。仕事をふりかえる。歩いた道をふりかえる・・・いろいろ。

ふとかえる。何に返る? 日常の自分に返る。失った自分を取り戻す。それとも、帰る? 変える? 替える? それとも買える?・・・ひとそれぞれ。

≪気にかけていた今まで
 気がついたらこれから
 この時間が楚々とした肌をつくっていく。
   ご縁も美肌もしまねから≫

毎日過ぎていく大切な「この時間が楚々としてつくっていく」のは肌ばかりではない。その人すべてであり、その人が関係する人と物のすべてのことであろう。振り返ろう、ふと自分に帰ろう。

(暑かったこの夏。まだ進行形だが、アメリカノウゼンカズラもまた暑さを演出する)
手を打って喜びの手を打ち鳴らせ [2023年08月17日(Thu)]

fumihouse-2023-08-17T17_57_44-1-thumbnail2.jpg【手を打つ】
はたと手を打って出来事に感心したり、何事かに思い至って喜んだり、気持ちが高揚して思わず手を叩く。片方がパーでもう片方はグーとなるのが、よくありそうな形。

交渉ごとでも手を打つことがある。こじれた仲を取りもったり、自分から仲直りをするように持ちかける。あるいは交渉条件を詰めてウインウインの関係に持ち込む。

さらにありそうなのが、必要な準備を整え、想定される事態に対して万全の態勢で臨むことだ。甘い見通しでどれだけ臍を噛んできたことか。プランBを考える余裕が必要だ。

(2番目と3番目の手を打つでは、相手方と自分の関係性に焦点を合わせなければ、このニチニチソウのようにピント外れになる)
労働を労い苦労労れや [2023年08月16日(Wed)]

fumihouse-2023-08-16T18_31_15-1-thumbnail2.jpg【労る(いたわる)】
感覚として、労を「いたわる」と読むのに違和感がある。OK漢和語源辞典によると、「いたわる」のほかに、「つかれる」「ねぎらう」「はたらく」と読む。

語源は、松明を組み合わせたかがり火の象形(だから旧字は「勞」)と、力強い腕の象形から、かがり火が燃えるように力を燃焼させて「働き」「疲れる」。さらにその疲れや功労を「ねぎらう」と意味するようになった。

この夏の暑さにいささか疲れている。夏バテ気味と言ってもよい。慰労されて養生し、猛暑と酷夜に痛めつけられて苦労した我が身が患うことなく、無事に穏やかな秋を迎えるよう願う。

(ゴールデンデリシャスを軽く冷やして丸かじりしたい気分である)
少年のあの日あの夜風あざみ [2023年08月10日(Thu)]

fumihouse-2023-08-10T18_09_37-1-thumbnail2.jpg『少年時代』で井上陽水は歌う。なめらかに抒情をこめて色鮮やかに、そして色っぽい(あんなふうに歌えたらいいのに…)。

  夏が過ぎ風あざみ
  誰のあこがれにさまよう
  青空に残された
  私の心は夏模様

  目が覚めて夢のあと
  長い影が夜に延びて
  星屑の空へ
  夢はつまり
  思い出のあとさき

夏休みは折り返し点を過ぎた。台風由来か、風がアザミの花葉を揺らす(まるできょうの松江のよう)。過ぎ往く夏の面影を憧れをもって眺めよう。さすらう詩人はなに思う。空を見よ。クリっと青いだろ? あそこに心残りの一夜があるのさ。

目が覚めた。暑さに寝苦しさを感じて目が覚めた。なに見てた? うっすらと忘却の向こう。夜はまだ続くのさ。伸びて延びて影に寄りかかる。星くずだ。よほど明かりの少ない地方都市。星は段違いで見えている。2等星どころか6等星まで見えるのだ。夢の世界かここは。思い出がリフレイン。あとにも先にも繰り返さないあの日は帰らない。

(時計草は時を止める。11時8分29秒を指し示したまま、時を止めた)
無理しては損の先取り限度知れ [2023年07月29日(Sat)]

fumihouse-2023-07-29T10_14_32-1-thumbnail2.jpg≪退職前、もう少しやれる、と過信した日々が続き、いつしか心身のバランスを崩していることに気づけなくなっていた、無理をして仕事を進めることは、人生を使った先払いでしかない、必ず後になって停滞することになるから、結果からすれば何も変わらない、むしろ損だ≫
(『マジカルグランマ』柚木麻子著)

そこまでの経験はないが、二進(にっち)も三進(さっち)もいかない気分で鬱々とするときは、心のバランスが偏っている。体も自ずと悲鳴を上げているはずだ。いざという時に無理をするために普段から身体を鍛え整えていくことは大切だが、限度を超えると、差し引きマイナスになることを肝に銘じていこう。

(昨夕、稲妻が光り、雷が轟く松江の空。鳶は悠然と飛んでいた)
外に出す面白半分はべからざる [2023年07月27日(Thu)]

fumihouse-2023-07-27T20_14_53-1-thumbnail2.jpg【アウティング】
数日前の報道で初めて知った言葉だ。本人が同意してもいないのに性自認や性的指向(LGBT)を暴露すること。面白半分に言いふらされたらどんなに強い衝撃を受けることやら。信念にゆらぎがないとしても、少数派であるが故に周囲の評判は気になる。気持ちは揺れ動く。パワハラの一種と考えられて、8年前にあった事件の当事者が労災認定されたということだ。

東京・国立市では、アウティングを禁止する全国初の規定を含む条例が施行された。多くの自治体がこうした人権侵害を防止するために努力を重ねる。

アウティングに限らない。マイノリティの人権を守ることは重要なこと。それが保障されるということは、いざ自分の身に不運がふりかかったときに、少しは安心の元になる。健康を志向しつつ、充実した人生を送るための縁(よすが)になるに違いない。

(スパティフィラムは夏を感じる縁なり)
やってみせ言って聞かせてさせてみて [2023年07月24日(Mon)]

fumihouse-2023-07-24T18_16_14-1-thumbnail2.jpg海軍大将・山本五十六の言葉が有名である。

「やってみせ 言って聞かせて させてみて
 ほめてやらねば 人は動かじ」

続く言葉があると知った。

「話しあい 耳を傾け 承認し
 任せてやらねば 人は育たじ
 やっている姿を 感謝で見守って
 信頼せねば 人は実らじ」

山本の元で多くの人材が育ったであろう。残念なことに、どんなに陶冶された人格であっても、国粋的な宗教土壌の上に立つ軍国主義によって、国民の生活は破壊されてしまった。悲しいことである。

(イトバハルシャギクの平和な色を愛でよ。黄は勇気の色合いなり)
旅よりも望みは涼しい空気なり [2023年07月23日(Sun)]

fumihouse-2023-07-23T13_41_03-1-thumbnail2.jpg≪旅は
 のぞみだ。≫
とは、JR西日本の夏キャンペーンのポスターキャッチである。女優の中条あやみが伸びやかな笑顔でもって、スカッと伸びた八頭身を夏の光に投げかける。夏だ、休みだ、「のぞみ」号に乗って旅に出ようよ! と誘っている。ポスターの光景は宮島・厳島神社の大鳥居だが、ショートムービーには下関版、倉敷版、姫路版がある模様。

きょうも気温が上がった。もはやびっくりすることもない、34℃。どんなに冷房のある環境であっても、こんな炎天下を一時的には歩いたり、立ち止まったりすることになる。実に体力を消耗する。なもんで、夏の長距離移動は願い下げにしておきたい。

(夏のクレマチス。六角形の炎のようだ。紫の火炎を均等に広げる)
聞くひとと聞かれるひとは相対し [2023年07月10日(Mon)]

fumihouse-2023-07-10T20_00_08-1-thumbnail2.jpg心理士の東畑開人氏はこう述べます。傾聴する以前に、聞くことを大切にしてほしいと。そしてどんな立場にある人でも、聞いてもらうことをためらってはいけないと説きます。

≪僕らはみんな、自分の人生の当事者です。人生にはさまざまな困難が起こり、その中には理不尽なこともたくさんあります。僕らは当事者として、自分のことをできるかぎり自分で決められるよう、格闘しています。
 そういうときには、誰かに話を聞いてもらえると助かります。それは少なくとも、つながりをもたらしてくれます。僕らを孤立から引っ張り出してくれる。すると、僕らに考えるちからが戻ってきます。≫
 (「聞く技術/聞いてもらう技術」東畑開人著)

聞いてもらって、エネルギーが満ちてきたら、話を聞く番です。相手から隔たっているところに自分が立っているように思えても、話を聞くことに価値はあるのです。

≪もしかしたら、うしろめたく感じるかもしれません。当事者が悲惨な境遇を語っているのに、自分は安全圏にいる。ひょっとしたらおせっかいと思われるかもしれないし、「わかってないくせに」と言われるかもしれない。そんな立ち入った話を聞いていいのだろうかと思ってしまいます。
 だけど、思うのです。おせっかいに案外ひとは助けられます。思ってもいないところから、つながりの糸が伸びてくる。想像もしていなかったひとから心配されていたことに気づく。この世界に、友といえるひとがいたことに驚く。誰かが話を聞いてくれる。それがちぢこまってしまっていた心をゆるませ、心を再起動するためのスペースを作ってくれる。≫

自分自身も含めて誰もが「心を再起動」したいのです。できれば毎日でも、そうしたい。激闘が続く毎日でも、安心できる環境に帰れる人は幸せです。その境遇に感謝し、明日もまた話を聞きましょう。きっといいこと、ありますよ。

(猫じゃらしでくすぐってあげましょうか。きっとケラケラ笑えます)
ありがとう有り難しかな常に謝し [2023年07月07日(Fri)]

fumihouse-2023-07-07T17_37_09-1-thumbnail2.jpgありがとうは、有り難し。頻繁ではない状態が現じ、喜びを得た。思いがけない親切に心震える。人に感謝、天気や気象に感謝、交通機関に感謝・・・。

むろん状況を呪いたいときもあるが、禍福はあざなえる縄の如し。小さくてもいい、有り難しことを「ありがとう」で言祝ぐ。善きことは輪をかけて増えていくと信じる。

あなたに「ありがとう」。あんたに「どうもどうも」。こちらさまに「感謝」。おまえさんに「世話になったね」・・・一日過ごして、ありがとうの気持ちままで、おやすみなさい、出来るかな?

(ネジ花を見られるのも有り難し。ピント合わせて撮影できたのもありがたい)
繋がろう未来はそこに動くとき [2023年07月06日(Thu)]

fumihouse-2023-07-06T18_00_57-1-thumbnail2.jpg≪もっとつながる。未来が動き出す。≫

JR西日本のキャッチコピーである。二十人弱の老若男女がこのキャッチを手書きしてある白地の看板を手にして、明るい笑顔でポーズをとっている。コロナも法律の上では明けた。人の流れは元に戻った。経済面でも失地回復が著しい。もっと繋がっていける。列車や公共交通機関も存分に使ってほしい。未来はきっと動き出すことを信じて、みんな進もうよ・・・・と訴えたいのだ。

レタリングが秀逸である。JR西日本の『WEST』が素晴らしくデザイン化されている。【W】は三本川を下で絞ってある。【E】は〈ミ〉とも読める。【S】は〈ラ〉と読ませる。【T】は〈イ〉に化ける。写真は載せないけれど(駅かネットで見てほしい)、優れたデザイナーの仕事ぶりを見た。

(暑い一日になった。向日葵を見ると少しは爽やかになる。梅雨は明けない。週末にかけて西日本は警報級の大雨になると予報される)
ありがとう積み重ねては有り難し [2023年07月05日(Wed)]

fumihouse-2023-07-05T18_37_40-1-thumbnail2.jpg聖教新聞今日の『寸鉄』から。

  習慣的に「ありがとう」と言える人は
  幸福感が高いと。
  感謝は言葉に表そう。

そのとおり、まさにそうだ。そう心がけてはいる。それでも疲れているときには声に力がない。そもそも言葉が出ても心が込められているのか? そんなささやかな言葉でも相手はやってよかったと思う。その次はこちらの番でお礼を言ってもらえるような行動を起こす。おためごかしではなく、相手を思っての振る舞いができる。

幸福は絢爛豪華なラッキーに彩られているものではない。小さな笑顔の積み重ねで幸福は出来上がっていく。

(派手なルドベキアを眺めるのもまた、幸せなり)
喜びも悲しみも経て幾年月 [2023年07月03日(Mon)]

fumihouse-2023-07-03T19_03_35-1-thumbnail2.jpg≪喜びや、楽しみや、ほほえみは、どんなに大げさにしてもいいんだよ≫

とは、大谷翔平も影響を受けたと言われる思想家・中村天風の言葉である。喜びを満面に表して破顔大笑する、楽しさを前面に出してはしゃぎ回る、微笑みは「微笑」につき密やかに・・・と考えがちな日本社会ではある(もう変わったかもしれないが)。眼前のひとと喜びや楽しみや笑顔を分かち合うために、ときには赤裸々に表してもよろしいんじゃないですか。

(赤裸々に夏の気分を表すのが、ノウゼンカズラ。艶めかしい感覚すらある)
戻しては噛み噛みしても悪くない [2023年06月26日(Mon)]

fumihouse-2023-06-26T09_54_36-1-thumbnail2.jpg【反芻(はんすう)】
反芻とは、牛などの草食動物が胃から口に食べ物を戻して、咀嚼し直すことであるが、人が思考を繰り返すことを比喩的に意味するようになった。記憶術としても反芻は不可欠の方法である。

反芻するのは悪くない。同じ行動を何度も繰り返す、同じことを聞き返す、人や物事の名前を繰り返し尋ねる。問題行動であれば迷惑をこうむるが、同じ質問の応えに、なるほどとうなずき、すごいねえ、いいねえと呟いて感動している。周りにはくどいように思えても、それもまたいいもんだ。

周囲のサポートが行き届いていれば、認知症も悪くない。それでも記憶がまぜこぜになり、思考がグチャグチャしていることに戸惑う当人は、恐れや不安に責められ続けている。いちがいに、いいもんだとは言い切れない。

(タンポポに似たブタナ。不名誉な名前に似ず、可愛らしい花である。母が通う病院の庭にも咲いている)
悠々と君の命を燃焼す [2023年06月16日(Fri)]

fumihouse-2023-06-16T17_10_36-1-thumbnail2.jpg【festina lente(フェスティナ レンテ)】
ラテン語で直訳すると、「ゆっくり急げ」という意味になるそうだ。意訳すれば「急がば回れ」となるが、言い古されて新鮮味がない。ところが、悠々と急げといってみると、悠然と落ち着きのある深い人格があるように感じるではないか。言い回しを整えて「悠悠として急げ」。

謙虚でありながらも卑屈になることなく、誇り高く対応する。悠々と落ち着いて、やるべきことは手早くやっていく。あれこれと一喜一憂することもあるけれど、爽やかな風を吹かせて、 豊かに過ぎる時を感じたい。さあ、この瞬間から、悠悠として急げ!

(紫陽花も悠々と咲いている。時季を逃さず急いで盛りを迎える)
あっという0.3秒永久に伸ぶ [2023年06月15日(Thu)]

fumihouse-2023-06-15T18_29_58-1-thumbnail2.jpg【あっという間に】
とても時間が短いことの喩えであり、誰もが使うフレーズだ。実際はどれだけの時間か勘定してみた。「あっ」を続けて速く発声すると1秒間に3回。4回では無理があり、1回分は0.3秒となる。その刹那に出来ることといったら限られる。

危険運転の車を避ける。早口で「こんにちは」。ごみ箱に丸めた屑を投げる(狙いをつけてしまうと1秒以上かかる)。知り合いを見つけて方向転換する。踏み外して転ぶ、落ちる。うどんに七味をひと掛け………。そんなところだ。

それでいて、この言葉の使われ方が幅広いことよ。先日角に切ったメロンを6、7個食べた。完熟してとろとろのイバラキング。美味しかった(茨城の従兄弟よ、ありがとう)。家人に「あっという間に食べた」と言われた。パクパク放り投げても0.3秒で食べられるわけはない。5秒はかかっている。15倍のサバ読みだ。

「あっという間に6月半ば、今年も半年が過ぎた」と何人かと言葉を交わした。電卓をたたくと、ざっと4千2百万倍の刹那となる。ここまでサバ読みできるとはすごい単語だと思う。

話題は変わる。茨城(いばらぎ)なのに、なぜイバラキング? キングと重ねて音の響きは良いが、県名を正しく表していないじゃないかと。ところが調べると正しい読み方は「いばらき」だと。知らなかった。大阪の茨木市は「いばらきし」で、茨城県は「いばらぎけん」だと信じていた。両方とも濁らないとは、驚天動地。と、やけに大袈裟な表現、サバ読みだ。

(斑入り葉のドクダミを見つめるのも刹那)
伝え合い以心伝心愛のひと [2023年05月31日(Wed)]

fumihouse-2023-05-31T18_26_55-1-thumbnail2.jpg【以心伝心】
心を以って心に伝ふ。心の内で思うことを、口や態度に表さなくても互いが理解しあうこと。

上辺だけの理解では以心伝心はし難い。相手が口に出さずも分かるためには、相手を強く思っていなくてはならない。互いの信頼と積み重ねてきた歴史が必要であろう。

禅僧が、師から弟子に真髄を伝えるところからこの言葉が登場したというから、あまり軽い使い方は変かもしれないが、仲のよい二人(恋人でも長年のコンビでも、夫婦であろうと)が以心伝心でコミュニケーションをとっていると言ってもよいと思う。阿吽の呼吸っていうやつだ。英語で直訳するとテレパシー。人間の胆力やら情念を超えて、超能力の世界に入っていく。少し違和感がある。

(ヒナゲシは麻薬になる? なったとしても手を出してはいけません。超能力でもなんでもない)
触れてみておどろおどろし春の闇 [2023年05月30日(Tue)]

fumihouse-2023-05-30T16_49_28-1-thumbnail2.jpg【気が触れる】
ふと気になった。何に対して「気」が「触れる」のか。正気を無くし、精神が異常な状態になることである。Weblio辞書には、心が動くとの解もあったが、普通は気が狂うことだ。

「触れる」で関係のありそうな語意は、「勘気に触れる」の使い方で、怒りなどの強いマイナス感情を身に受けることだが、この場合触れられるのは相手方ではなく、こちらである。こちらからもあちらからもアプローチして触り合うのが「気が触れる」のイメージだ。あちらとは何だ。

得体のしれない狂気がくっついて、常人には理解しがたい状態に当の人が陥っている。瞬間的にくっついて当人を変えてしまったのは何なのだろう。

長野・中野で4人を殺害した男は、何に触れたのか。刃渡りの長いナイフを持ち出し、猟銃を構えて人を殺す強い殺意。引きこもった状態が続いて、周りから独りぼっちと言われたことに過剰に反応したとか、殺した女性二人から悪口を言われたといった妄想。冷静に計画的に殺したとしか思えない気の触れよう。正気の沙汰ではない短気や怒気。鬼気なのか、妖気なのか。一体全体彼は何に気が触れたのだ。

(キンシバイは気が触れない。ただ愚直に見事な黄色を広げて人を喜ばす)
旅に出て道を連れたし世は情け [2023年05月28日(Sun)]

fumihouse-2023-05-28T18_01_59-1-thumbnail2.jpg【旅と旅行】
2つは同類ではあるが、異なる。

旅行は、家を離れて他の土地へ移動すること。目的地を定め、予定を立ててルートも日程も大筋を決めておくイメージだろうか。長短はあっても本拠地に戻っていく。

旅は、よその土地を訪ねるのは同じでも、目的地も日程も融通無礙で明快でない印象がある。ある面気ままに滞在し、気の向くままに経過を楽しむのだろうか。もちろん旅行の概念は旅に含まれている。日常の小さな移動において心が動くことも旅のひとつだと、わたしは思っている。

旅は、心の滋養にならなければならない。帰りにはくたくたでも、またわくわくして出かけるのが旅である。日常とは異なる自身と出会うために旅をする。知らなかった食べ物に舌鼓を打ち、新たな出会いを結び、心に染みる景色に感動する。活力が高まり、価値観にいい影響を及ぼす旅をしたいものだ。

(昼咲き月見草も、パラボラアンテナのような花で旅の気分を受信する)
風が吹き死にものぐるい風変えよ [2023年05月24日(Wed)]

fumihouse-2023-05-24T20_51_46-1-thumbnail2.jpg【死にものぐるい】
なりふり構わず脇目も振らず、モノに狂ったように一所懸命に頑張っているさまが現れる。「必死」という言葉も同じ意味だったはずだが、人口に膾炙するうちに、死は避けられず危機が背中まで押し迫っているほどの切迫感、死ぬ覚悟で全力を尽くすような感じがしない。「死にものぐるい」が的を射ている。

死にものぐるいとなるべき時は、エネルギーがたくさんいる。そんな時は楽をしよう。必ずこれをやる、いつものルーティンをこなさして何々しなければならない‥‥‥など人を縛るものはたくさんあるが、そんなときは精神的にもキツイとき。せめて身体は楽をして、止めてしまうのも手だ。

明日は明日の風が吹く。今日の風はそれなりに吹いている。あしたも晴れる。風は少しヒンヤリするかもしれないが、自分らしく奮闘しよう。そのためには良き眠りを。おやすみなさいと言いたいところだが、まだ帰宅途上。

(天を貫きそうな気配で赤色を振りまくブラシノキの花)
アマガイは貝ではなくて粥なんだ [2023年05月23日(Tue)]

fumihouse-2023-05-23T18_26_07-1-thumbnail2.jpg【甘粥】
出雲弁では訛ってアマガイと呼ぶ。ドブロク状に白く濁った甘酒で、米麹がたくさん入っている。水分の多いお粥並に固形物がある酒だ。父や母は作っては、好んですすっている。美味しい菓子のない昔の名残であろう。アルコールはほぼない。

米麹のデンプンを酵素アミラーゼで多糖類に分解させるので甘くなる。麹菌を使うから酒と同類となり「酒」とも称するのだろうが、似ても似つかぬ。栄養価は高く、甘粥は飲む点滴とも呼ばれるらしい。わたしは好きではないが、お一ついかがかな?

(甘粥は、リュウキュウバイを思わす色をしている)
来た客をもてなすつもりぞんざいに [2023年05月22日(Mon)]

fumihouse-2023-05-22T23_10_58-1-thumbnail2.jpg【来客者】という表示を公的機関の駐車場入り口に見かけた。なんかヘンだ。客として来た者に対して、迎える側が来客者と言うとなんかヘン。ご来客者と丁寧にしたとしてもヘン。無礼な感じを受ける。なんでだろう。

客観性が強すぎるのだ(「客」だけに)。訪問客、あるいは主人に対する客。ゲストとして大切にされる存在である(付属的で中核からは外れるが)。その「客」に「者」を加えると、バランスが悪い。者は物であり、事、所である。中心でないばかりか、そこらへんの適当な一点。定点ではない、ぞんざいな存在になる。

結局、来客か来場者が望ましい。もしくは、お客さまと表現したほうが馴染む。で、何か意味があるかって? 別に何も。ただ書いただけ。

(白い紫蘭の捨身に意味があるかって? 別に何も。ただ載せただけ)
希望もち希少な未来希う [2023年05月19日(Fri)]

fumihouse-2023-05-19T20_22_09-1-thumbnail2.jpg【希う(こいねがう)】
希望、希少、希薄の「き」以外に「まれ」と読むとは知っていたが、「こいねが」うの読みは知らなかった。市川猿之助がインスタグラムで使っていた(5月8日付け)。

≪2023.5.7夜の部にて、宙乗り1400回を迎えました。安全に飛行するために、多くのスタッフさん、お弟子さんの、なかなか見えない支えがあります。そして、それを見守ってくれるファンの皆さん。ありがとうございます。観に来てくださったお客様に幸せが訪れますようにとの希いをこめて、これからも翔び続けますので、よろしくお願いします!≫

「希いをこめて、これからも翔び続けます」と述べた。両親を殺し(あるいはともに死を志すか、幇助し後を追ったか)、スタッフへの性的加害報道(あるいは根も葉もないでっち上げか)に打ちのめされた故の一家心中なのか。

存在感としては梨園の逸材であることに違いない。このまま消えてしまうのは惜しい。生きて生き抜いてやり直してくれることを希う。

(生き抜いて乗り越えていけば、月桂冠の栄冠に輝くであろう)
慇懃におためごかしの無礼かな [2023年05月01日(Mon)]

fumihouse-2023-05-01T15_36_53-1-thumbnail2.jpg丁寧だけどバカ丁寧が過ぎて、ちょっと癪に障る。こちらがバカにされているわけではないけど、心が通わない。そんな感じの慇懃無礼を、チャットGPTがどう説明するか、興味がわいた。

■「慇懃無礼」とは、言葉や態度には丁寧さがあるが、実際には相手に対する敬意や配慮が欠け、不適切で失礼な態度をとっていることを意味します。つまり、偽って丁寧な態度をとっているような感じです。

間違ってはいないが、隔靴掻痒である。weblio辞書をひいてみた。

□(大部分を省略)慇懃無礼は、悪意がないのに丁寧すぎてかえって相手には無作法に見えてしまう場合と、相手を見下しているくせに、その本心を隠して表面だけ丁寧なふりをする場合の2つの使い方に分けられる。

これだコレ。相手との間に存在する妙な距離感のニュアンスが説明されていて満足だ。一方で、GPTには半分しか説明がない。GPTもまだまだだな。いや、このくらい出来ていれば及第点かもね。

(花の王様、牡丹の存在感はピカ一だ。見事すぎて慇懃無礼)
鳥もまた畜生のうちのひとつなり [2023年04月24日(Mon)]

fumihouse-2023-04-24T18_04_21-1-thumbnail2.jpg【ちくしょ〜】
言うまでもなく、犬畜生から生まれた罵倒の言葉である。他の人やものに当てられる場合もあるし、自分の不甲斐なさとか、不運に向けられることもある。

雲雀が鳴いている。明るく力強く、ピヨピヨピーと鳴く。広場や田んぼ、畑の高みから縄張りを主張する。ながい長いフレーズの中に軽い、ちくしょう〜を見つけた。息をためて腹の底から呻く、ちくしょう〜ではなく、舌打ちをする程度に軽く口から出る、ちくしょう〜のノリである。

雲雀ってやつは、高らかに澄んだ音で鳴く。心洗われる鳴き声である。息を吐き出して鳴くとは思うのだが、たぶん吐きながら吸う呼吸法を使っているに違いない。

雲雀はちくしょう〜なんて思ってやしない。わたしの心の中にちくしょう〜があったからに他ならない。ちくしょう〜も、クソッタレも、精神衛生上はよろしくない。口角を上げて広げて目を細めてみようじゃないか。

(ひばりが鳴く近くにはあやめが咲いていた。艶やかな紫に惹かれる)
投げ時は時計で測る芯ルール [2023年04月08日(Sat)]

fumihouse-2023-04-08T22_41_20-1-thumbnail2.jpg【ピッチクロック】
大リーグの新ルールである。投手は走者なしの場合は15秒、走者ありでは20秒以内に投げないと1ボールを取られる。打者は残り8秒までに打席で構えないと1ストライクとなってしまう。オープン戦から導入した結果、試合時間が前年より30分程度短縮されたという。

これはスゴいことだ。WBC予選が日本で開催されたとき、19時からのプレーボールの20分程度を見て中座し、風呂から上がった23時前には終わっていなかった。長すぎる。ピッチクロック制度は大きな改善となるだろう。

サッカーは前半45分、後半45分、ハーフタイム15分。ロスタイムを入れて1時間50分というところ。Wカップのトーナメント選になると延長戦が30分。休憩を入れて、さらにPK戦があったとしても3時間を超えることはない。実にスピーディ。

野球が長いのは、キャッチャーとピッチャーのサインを合わす時間、打者がバッターボックスに立つのを遅らせる時間、牽制球の時間、監督から伝令が送られる時間、内野が集まって協議する時間、投手交代のピッチング練習の時間・・・いくらでも伸びる要素がある。打撃戦となり、投球間隔が長い投手がいれば、いとも簡単に4時間は超えていく。時間のロスをなくす流れは当然のことだ。

野球は心理戦、野球は間のスポーツ。その醍醐味がなくなるというは意見も多いし、当分混乱もある。オープン選では大谷翔平が投打の両方で違反をとられたというではないか。

それでも、春先の底冷えする球場で試合を見る観客にとっては地獄の沙汰だと思う。終電を気にする人もいるだろう。日本でも来年から導入したら、野球人気が少しは持ち直すと思いませんか。

(サイネリアが鮮やかに辺りを照らす。百花繚乱の春は本番)
低気圧雨降りしきり残花あり [2023年04月07日(Fri)]

fumihouse-2023-04-07T07_45_15-1-thumbnail2.jpg花筏(はないかだ)
池に落ちた桜の花びらが一面を埋めて水面が見えなかった。あれが花筏だよと教えてくれた人がいたんで、筏に飛び乗った。ドボン、ありゃ溺れそう。クソッタレ! 筏なら人を乗せても平気じゃないのかい!

桜吹雪(さくらふぶき)
よっぽど寒いんだろうね。北国の春は桜が咲いても寒さがぶり返して、吹雪いて凍える日もあるんだろうね。違うの? 盛りを過ぎた桜が吹雪のように無数に舞い散ることなんだ。なーんだ。

桜狩り(さくらがり)
一緒に行こうと誘われて、桜の枝から枝へ飛び回る小鳥でも狩るのかと思って、ゴムのパチンコを作って持っていったら、樹の下を歩かされて、さあ飲めや踊れやで大騒ぎ。じっと動かず咲いている桜花を狩るっていうの、なんかへんだね。

花曇り(はなぐもり)
桜の花が見事すぎて空が曇ったようになることかと思ったら、単に薄曇りのことか。あたりまえのことだよね。春霞、朧月夜、この時季には薄明るい花曇りはよくあることさ。

花筵(はなむしろ)
散った桜の花びらがシートを埋め尽くすのかと思ったけど、花が印刷された敷物をおいて花見をする。食べて語って酔っ払うだけのことなんだね。なーんだ。

花明り(はなあかり)
桜の花が灯明の代わりになるかって? そりゃないでしょうよ。満開の桜にぼんぼりの灯りが反射したらうっすら白くなるけれど、辺りを照らしはしないよね。夜桜を見るときゃ、足下に気をつけてね。

比喩の多い。桜にまつわる言葉には騙されないようにしよう。そんなことを考えているうちに、ソメイヨシノはほとんど散り去った。

(舞い散る桜の樹の下でローファーを履いて散歩してみたらいかがかな)
去り別れ分かれ道には春花粉 [2023年04月03日(Mon)]

fumihouse-2023-04-03T20_09_44-1-thumbnail2.jpg【分かれ と 別れ】
発音は同じでも意味は異なる。別れは「人」のこと、分かれは「物や事」に使うという区分もあるかもしれないが、そう単純でもなさそうだ。

例えば、人事異動があり、彼は仙台の支所に転勤したとする。私と彼との「わかれ」はどちらだろうか。彼とは格別仲がいいわけではない。大きな組織でもう二度と会うこともないと思われたなら、別れ。彼は親友で趣味においても同好の士。電話やSNSで頻繁に連絡を取り合うことになるならば、分かれ。

「分かれ」は、一緒だったものが枝分かれするという意味。山型を刀で分割‥‥漢字もそんな形だ。一方でOK漢字辞典によれば、肉を削り取り頭部を備えた人骨の象形と刀の象形から、骨から肉をわけることを意味する「別」が生まれたという。骨肉を掛けた対立の図式か、血涙を流す深い悲しみの二人か、そんな辛い人生も見えてきそうだ。

分離、分岐、分流、分別(両字の合体)。別離、別居、 別便、別腹‥‥‥。「別れ」に深刻な意味ばかりがあるわけではないようだ。分かれることと別れること。似たもの同士だね。

(桜に気を取られて上ばかり見ていたら、綺麗で艶やかな春の花を見逃しますよ。西洋水仙も見てやってくれ)