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年寄を笑うな子供叱るなよ [2019年08月27日(Tue)]

fumihouse-2019-08-27T18_10_17-1-thumbnail2.jpg日本に古くからあるのか、比較的新しい箴言なのかは知らないが、こんな言葉がある。

  子供叱るな 来た道じゃ
  年寄り笑うな 行く道じゃ
  来た道行く道 二人旅
  これから通る今日の道
  通り直しのできぬ道

よく子供は失敗する。思わず叱りたくなる。叱られたくなくて子供は嘘をつく。見え透いた嘘でバカバカしい。また叱りたくなってくる。いきり立った大人に対し、あんたも子供時代があったろう、まぁ落ち着けや! 戒める。

年寄りは列の前でもたつく。さっき言ったばかりじゃないか。もう忘れたのかよ! と笑われたり、嫌悪されたりして身の置きどころがない。カリカリする壮健な人に対して、あんたもいずれ行く道だ、そう怒るなよ! 戒める。

「二人旅」というのがわからない。大切な伴侶のことだろうか。それとも叱る相手の子供、笑う相手の年寄りとあんたは一蓮托生の存在だと戒めるのか。あるいは単に語調を合わせて、旅は道づれ世は情け、ときたものだろうか。

同んじように思えても「通り直しのできぬ」毎日なれば、大切にしましょうぞ。

(人生の旅は若い笹の縞のように交互の色模様)
気のせいさ若いと老いたは紙一重 [2019年08月22日(Thu)]

fumihouse-2019-08-22T18_31_15-1-thumbnail2.jpg日本では「若い」と言われると喜ぶ。若いことにプラスイメージがある。反対に「老い」は負の感覚だ。「まだ、若い」と「もう、老いた」、この言葉には対極の価値観がある。

若いは綺麗(あるいは素敵)の十分条件か? そんなことはない。猫背で立つ姿の見苦しい若者が多いことよ。凛とした後ろ姿の美しい年配者も多い。それでも、若く見られたいと誰もが望み、シワやシミが増え体力がなくなったと嘆く。

老の字が意味する、古くなって役に立たないイメージが強くなり過ぎたのだ。本来ある「経験を積んだ人」(老練など)の意味が消えてしまったように思える。だから尊称としての「老人」の言葉は死んで、むしろ差別的言葉にすら聞こえる。

「老」は、腰を曲げて杖をつく人の象形から出来ている。ということで、年寄りを大事にしようではないか。もっと大事に扱ってくれよなぁ。

(立派な待合いベンチになった年輪を刻んだ巨木。おっと、このくぼみが棺の人型に見えてきた)
沁々とうらぐわしくて秋の夕 [2019年08月19日(Mon)]

fumihouse-2019-08-19T17_29_32-1-thumbnail2.jpg【心細し】
もちろん、「こころぼそし」と読む。「うらぐわし」とも読むそうな。知らなかったぁ。万葉集には次の文があるという。

 朝日なすまぐはしも 夕日なす心細しも(朝日は目映く美しく、夕日は心にしみて美しい)

心にしみて美しいさまを、こんな日本語で表現するなんて知らなかった(古語だが)。羽田空港に「旅する日本語展二〇一九」という展示があり、読み進めるうちに出会った言葉である。旅と日本語をテーマにして耳慣れないけれど美しい日本語を脚本家の小山薫堂氏が執筆している。空港の搭乗ロビーにふさわしい旅情を添えた。一部を引用する。

  自分の内側を見つめるには
  確かにひとり旅がいい。
  素敵な風景や人の優しさに触れて
  心の中でそれらの美しさを反芻すれば
  それが自分のいちばん深いところに沁みこんでいく。

  うらぐわし
  ――――
  心にしみて美しいさま。

(ひまわりの花で出来たクマのプーさんは心細くない。なんせ、花嫁も花婿もそばに座っていてくれるんだから)
激しくて渋滞ゆるりと進んでる [2019年08月14日(Wed)]

fumihouse-2019-08-14T19_20_46-1-thumbnail2.jpg帰省ラッシュで激しい渋滞が各地で起こっているとニュースが先週末に伝えた。「激しい」に違和感があった。

渋滞最後尾にトラックが突っ込んで十数台の玉突き事故、というならば「激しい」と表現するにふさわしいが、自動車道をとろとろ進む車列のなんと穏やかなことか。仮に事故が起こっても、ついうっかり前の車にコッツン程度で重大事にはならない(処理は大変だが)。

ここでいう「激しい」は、渋滞の程度が甚だしくて目的地に到着するまでは険しい道程が続く、焦りまくってうんざりした気分を表している。当人たちにとっては「甚だしくきつい」のだが、気持ちはゆらゆらと「激しく」動いている。

激しいといえば、台風10号の接近に伴い、これから暴風が吹く。猛烈な雨も心配されている。まさに、激しい気象に生活が翻弄される一昼夜となりそうだ。どうぞご無事で!

(ドラマ「凪のお暇」で凪ちゃん(黒木華)が美味しさを強調した完熟したゴーヤ。まあ甘い、でも全部食べる気にはならない。私たちの舌は贅沢だ)
十八年二十一世紀に生きた今 [2019年08月04日(Sun)]

fumihouse-2019-08-04T16_29_22-1-thumbnail2.jpg21世紀が始まってから早くも18年7月あまり。月日が経つのは速い。これからも加速度を増すように過ぎる。詩人・谷川俊太郎が2001年元旦に書いたエッセイである。

≪余人は知らず私にとって二十世紀で最も重要な出来事は、自分がこの世界にやって来たことだと思う、したがって二十一世紀でもっとも重要な出来事は、自分がこの世から去って行くことではなかろうか≫ (「二十一世紀最初の一日」谷川俊太郎,ひとり暮らし,新潮文庫)

まさにそのとおり。二十代以上のひとにとって22世紀まで生きることは、まずあるまい。あったとしても、残照の数年を過ごすのみ。大切な時間はこの21世紀にある。いまを大切に生きよう。

(晩夏のイメージがあるが、キバナコスモスの群落があった。花色はオレンジ。酷熱だった残照を受けて鮮やかだ)
黒い目はきれいか如何女の子 [2019年08月03日(Sat)]

fumihouse-2019-08-03T14_10_39-1-thumbnail2.jpg大丸2️黒い目のきれいな女の子大丸2

この修飾名詞をふつうにとると、[黒い目のきれいな][女の子]となるが、修飾のさせかたにより18通りになるのだそうだ。場合分けに挑戦した。

○黒い目がきれい、と考える。
 1[黒い目がきれいな][女の子]
 2[黒い目がきれいな][女性の子供]
 3[黒い目がきれいな][女性といる子供]

○目がきれい、をひとまとめ。
 4[目がきれいな][色黒の女の子]
 5[目がきれいな][色黒の女性の子供]
 6[目がきれいな][女性の色黒な子供]
 7[目がきれいな][女性といる色黒の子供]

○容姿がきれい、と考える。
 8[黒い目で][きれいな女の子]
 9[黒い目で][きれいな女性の子供]
10[黒い目で][きれいな女性といる子供]

○きれいの修飾を二股にかける。
11[きれいな黒い目で][きれいな女の子]
12[きれいな目が黒くて][きれいな女の子]
13[きれいな黒い目で][きれいな女性の子供]
14[きれいな目が黒くて][きれいな女性の子供]
15[きれいな黒い目で][きれいな女性といる子供]
16[きれいな目が黒くて][きれいな女性といる子供]

ここでグロッギー。頭が暑苦しくなったので、考えることをやめた。

(あまりの暑さに夏の花、キョウチクトウもしなびた感じ)
踏み荒らし部屋には象がタブーなり [2019年07月27日(Sat)]

fumihouse-2019-07-27T08_22_23-1-thumbnail2.jpgアメリカには「部屋の中の象」という慣用表現があるそうです。像ではありません。動物の象です。There is an elephant in the room. と使います。よほど大きな屋敷でないと入らないではないですか。そんなものいてもらっては困る、だから見て見ぬふりをするのが、部屋の中の象です。

この喩えは、構成員にとっては常識なのに口にしない、できない大きな問題を意味しています。難しくて解決できなかったり、話題にすることが不愉快だから、あえて触れない暗黙の了解があるわけです。

アメリカ人というのは、ストレートで何でも議論する印象がありますから、面白いですね。彼ら彼女にも日本人的な空気を読むところがあるのです。

私たちの組織や集団にも「その問題」があるはずです。そこを突っつき過ぎて嫌われても困りますが、リーダーであれば、問題を放置したままではいけません。部屋の中に今いる象というタブーに挑戦していきたいものです。

(古代バビロニアで生れたてというペイズリー。よ〜く見ると面白い。近ごろネクタイの柄として返り咲いてきた)
分断と統合の境いまここに [2019年07月25日(Thu)]

fumihouse-2019-07-25T19_59_39-1-thumbnail2.jpg山陰中央新報の元旦号の社説にこうあった(もう7月も経ってしまったか)。

≪分断ではなく統合の思考、さまざまな立場の声をくみ取る姿勢、いまほど多様性を受け入れる「寛容さ」が求められている時はない。居心地の良さに安住するばかりではなく、時には離れてみることも必要だ≫

この言葉は、トランプ政権に言われたのかと思っていた。あるいは暴言と嘲りを繰り返すヘイトスピーチの主に対しての論考だとも思った。それだけではなかった。

日韓請求権協定は、日本が韓国に多額の経済支援を行ったので両国間での請求権は完全に解決したとする内容ではあるが、個人の請求を否定するものではない、とする対立意見もある。

徴用工の未払い賃金や非人道的な扱いに対する補償、軍人・軍属への恩給裁定の不備、在韓被爆者問題や従軍慰安婦問題の見逃しなど、個人の請求権は協定対象外だとする考えである。

安倍首相はハンセン病家族の訴訟を敗訴のまま確定させ、いま話し合いが始まったところだ。同様に、他国の人びととも胸襟を開くときではないだろうか。たとえ、強制徴用ではなく自主応募者であったとしても、戦後に日本国民としての資格を失っていたとしても、強制的な慰安婦ではなかったとしても、あの日本に軸足を置いて苦しんだ当事者であることは間違いないからだ。メモリや携帯ディスプレに欠かせない化学製品の輸出規制強化もその延長にある。やるならもっと国際社会にもわかるよう、日本は丁寧に説明しなくてはならない。

(ルドベキアはアメリカ原産。大きな黄の花びら8枚で真ん中がこげ茶色だが、たまに中まで黄色のがある)
読みかけの本を進めて栞落つ [2019年07月23日(Tue)]

fumihouse-2019-07-23T20_23_20-1-thumbnail2.jpg読みかけの本に栞を挟んで目印とする。時間切れで挟む場合もあれば、眠たくなって本を置くときもある。

「栞」は枝折る(しおる)の連用形から転じたもの。漢字の成り立ちは、平らに削られた二本の竿と木の象形から出来上がっている。

山道に迷うことがないよう道端の木の枝を大きめに折ると、帰りの目印になる。山登りというやつは往路と復路では景色がまるで違う。ふと間違って遭難しないための工夫である。

本を読む、新しい世界に出会う、意味が解せなくてしんどい思いもある、ある程度まで進むと展望が開ける・・・そうした遭難防止のガイドとなるのが、栞というわけだ(しょっちゅうなくすけど)。

本をゆっくり読みたいなあ。寝る前と列車に乗ったとき程度で、まとまって集中して読むことがない。本の世界にどっぷり浸かろう。たまには声を出して読むのもいいもんだ。途中の景色、登りきった展望も最高にちがいない。

(ビオラを本に挟んだら、いい感じの栞ができるかも)
君づけし松陰先生空気変え [2019年07月20日(Sat)]

fumihouse-2019-07-20T12_05_43-1-thumbnail2.jpg衆議院議長が国会で議員を『君』づけするのは衆議院規則と先例録に定められているのだそうだ。参議院もそれにならう。

始まりは伊藤博文。初代総理大臣のルーツは松下村塾にある。塾内の身分差を解消するために、吉田松陰は敬称を君(くん)に統一。二人称であなたのことを、君(きみ)とした。そして分け隔てなく議論ができるように環境を整えた。以上、週刊現代7.13\20号の「今週のへえ〜、そうなんだ」より受け売り。

私たちが使う「くん」や「きみ」が吉田松陰(山口・萩の人は松陰先生と言うが)に起源があると初めて知った。ちょっと遠慮のある同級生や同期生に使う「くん」。目下の男性に使う「くん」。同格か少し目下の男女に使う「きみ」。なるほど、おもしろいことを知った。

(ムクゲと呼ばれるこの花。韓国の国花。両国政府が火花を散らすが、日本は木で鼻をくくるような説明に終始するのではなく、韓国国民に届く丁寧なアピールを繰り返すべきだ。でなければ、永久に恨まれたままになる)
健康は心と体の相互作用 [2019年07月18日(Thu)]

fumihouse-2019-07-18T21_01_58-1-thumbnail2.jpgまあそう気にするなよ。気に懸けてくれるのは嬉しいけれど、気に病むほど心配したら毒だよ。もて余すことはひとまず置いて、別の楽しいことを心置きなくやろうや。

でも確かに頓着しない人は増えたよ。少しは気兼ねして気を遣えやと苦言を呈したくなるもんだ。屈託ないという表現が似つかわしいのは幼児までだね。

あまり世を悲観して若い世代を案じると、年寄りの冷水と取り越し苦労されてしまうね。きっと心臓にはよくないだろうから。まずは自分の将来のことを思案に暮れて憂慮するのがいいのかも。

かといって下手な考え休むに似たり。怖れても杞憂に終わるんだ。少々ピンチはあったとて、最後は胸を撫で下ろしてなんとかなると思いたい。ときには危惧があたって困り果て、苦渋の決断ということもあるかもしれないが、行き詰まったら原点に帰ろう。みな誰もが自分が拠り所にできる元気の源があるでしょ? 

窮すれば通ずるものさ。手詰まったように思えても必ず一手は見つかる。どうしようもなく手を焼く案件が出てきたら肩の荷が降りるまで、ひとまずガンバることだね。それでも往生したらどうするって? 往生際が悪いと言われても、じぶんなりにやってみるだけなのさ。

(言葉も使いようで気にも病む。ひまわりのように明るく咲きたいね)
傾聴の心をのせて隠し預金 [2019年07月14日(Sun)]

fumihouse-2019-07-14T08_08_09-1-thumbnail2.jpg真剣に相手の話を深く聞く、すなわち傾聴するためには、心意気のほかに技術も必要だ。自分が聞きたいことだけを聞くのではなく、丁寧に耳を傾けるからこそ、傾聴という字が当たっている。共感的態度で受容することができれば、心は開かれて、来談者は答えを自ら見いだしていく。

【聴】の字を分解してみよう。<耳>をまっすぐにして、<目>を見開く。目が吊り上げられて横になっているということは固定観念を打破せよと訴えているのか? <心>を開いて下支えにして受ける。

傾聴には、かくしよきん が必要なのだそうだ。不正会計ではない。関心を言葉に表して共感しよう。

 <か> 関心を持つ
 <く> くり返す言葉
 <し> 質問して話を深める
 <よ> 要約する
 <き> 共感する
 <ん> 意見は最後に述べる

(心を目と耳にのせて相手に届けよう。郵便を使うという手もある。松江市内のポスト)
合いの手に相手愛して駆け抜けて [2019年07月13日(Sat)]

fumihouse-2019-07-13T17_05_51-1-thumbnail2.jpg「自分のペースではなく、愛いてのペースに合わせながら話をするのは難しい」というワープロ変換ミスがありました。実にいいじゃないですか。

「愛いて」は「愛い手」。合の手を入れながら相手を見て睦み合いながら二人でペースをつかんでいく。困っていたら愛の手を差し伸べて、調子に合わせて掛け声を差しはさむ。手ごわい難敵には手ぬるい対応ではなめられます。手拍子とって勇気を鼓舞するときもありますね。

働き手が足りないとき、難局に手が余るときは、お互い手を貸し合いましょう。手厚いケアで助け合いましょうぞ。手広くやるのもよし、一瀉千里に一手を定めて駆け抜けるもよし。ともあれ、長すぎる文章は嫌われますよ。どうぞ、手短に!

(ランタナだって季節を合いの手にして徐々に色を変えていく)
家と冢二つ並んで分けられぬ [2019年07月05日(Fri)]

fumihouse-2019-07-05T17_14_29-1-thumbnail2.jpg【塚】という字が気になった。墓である。土を盛り上げて墓標とする。転じて、土が小高く盛り上がっている場所や目印のために土を高く盛り上げたものをさす。古墳は両者の意味を兼ねる。古代豪族の墓であり、かつ一族の権力を誇示する象徴となった。

左の「土」は、土地の神を祭る為に柱状に固めた土の象形だという。右の「冢」は、人が腕を伸ばして抱えこんだ象形と足を縛った豚の象形。生けにえの豚を供えたわけだ。

【冢】と【家】は似ている。部首のひら冠、う冠の違いである。家には煙抜きの煙突がある。大きな家や2階建てのない昔は、遠くから見るときっと人家と塚の区別がつきにくかったのだろう。煙突らしい棒が立っているのが【家】。無いのが【塚】というわけだ(これは私の想像)。生きているうちは家におり、死んだら塚(冢)に入る。入るのはおんなじようなものだ。

東京に来ている。東京にも【塚】がある。京王線の笹塚駅、丸ノ内線の新大塚駅など。どんな塚があったのだろうか(^o^;)

(高度九千メートルを超える空、若狭湾上空。大雨を九州にもたらした梅雨前線を避けて、きのうはいつもと違う飛行ルートを通った)
元気出せ心の底から元気出せ [2019年07月04日(Thu)]

fumihouse-2019-07-04T18_00_13-1-thumbnail2.jpgマスコミがよく使う句があります。【元気をもらった】です。感動的な場面に立ち合った人がインタビューに答えてこう言うのも普通になりました。新聞には【感動をありがとう】と見出しがつきます。

元気をもらったり、あげたりできるものでしょうか(あまのじゃくに考える)。元気は受け身の態度でもらうものではないと思います。誰かに会って嬉しく思い、互いを思いやり、縁に触れて刺激を受けて、楽しさを分かち合って、エネルギーを湧き立たせるんです。それが元気だと思います。元気とは受動的ではなく、能動的な精神活動の発露です。

見たり聞いたりした素敵なことに刺激されて、相手が頑張る姿に触発されて感動したのであれば、そう表現すればよい。 元気を“もらった”ような気がしても、心の底からやる気が湧いて出てこない限りは、その場だけのことに終わってしまいそうです。元気や感動は自分の命の底から湧いてくるものです。

(カボチャの花を見て元気になる人は少なかろうが、実を食べると健康になる)
美はここに心開いて見るがいい [2019年06月28日(Fri)]

fumihouse-2019-06-28T18_26_56-1-thumbnail2.jpg哲人ゲーテはいいました。心開けや、諦めてはいけないよと。

  こころが開いているときだけ
  この世は美しい
  おまえの心がふさいでいたときには
  おまえは何も見ることができなかったのだ

世界はうつくしい。見る者を柔らかに別世界へいざなってくれる。心の目がふさいでしまえば存在しないと同じこと。境涯を広げよ、努力を怠るな、理想に恋し続けよ、とゲーテは私たちを励ましてくれるのです。

(雨に濡れる紫陽花がまた美しい。入梅したばかりだが、今日の午後は梅雨明けしたのように暑く、空が澄んでいた。入道雲も見事な出来ばえだった)
恵みあれ体は生きる資本ぞな [2019年06月26日(Wed)]

fumihouse-2019-06-26T17_46_35-1-thumbnail2.jpg【恵体】という言葉ができたそうな。「めぐたい」と読むそうだよ。あるいい体格のプロ野球選手を称して誰かが使ったのが始まりだそうだが、なんだか卑猥な印象だよ。恵まれた体格や体型、見事なプロポーションを持つ男女に使われるネット言葉だそうだ。

語源が気分的な言葉だけに、読みも適当。「えたい」や「けいたい」と読む場合もあるとのこと。きょうはホント、適当で得体のしれない投稿で、すんませんなあ。

(きょうは適当に、ドクダミの花でも見といてけれや)
しっぽりと夏の椿の朝なれば [2019年06月17日(Mon)]

fumihouse-2019-06-17T18_29_18-1-thumbnail2.jpg夏椿が咲いている。花や葉の形は椿に少し似ていなくもないが、咲く時季が違う。椿はまだ寒い早春で、夏椿は梅雨時分。椿の花びらは厚いが、夏椿は薄く、ちりめん状で好ましい。照葉樹の椿の葉は照り輝くが、夏椿は薄くて紫陽花のようだ。ついでに、夏椿の幹はサルスベリのようにすべすべして気持ちよい。

夏椿は沙羅双樹とか、沙羅の木とも呼ばれるが、釈尊が亡くなった場所近くに生えていたという沙羅双樹は、全く別の熱帯樹。花はこんなに優美ではない。儚く見える夏椿を見ていると、諸行無常を感じないでもない。

  祗園精舎の鐘の声
  諸行無常の響きあり
  娑羅双樹の花の色
  盛者必衰の理をあらはす
  おごれる人も久しからず
  唯春の夜の夢のごとし
  たけき者も遂にはほろびぬ
  偏に風の前の塵に同じ(平家物語の冒頭)

(今朝撮影した夏椿。花びらがしっぽりと濡れた感じなのはもちろんだが、蕾もまた細やかな雰囲気を醸し出す)
勝ち負けは瞬く間なり君と僕 [2019年06月10日(Mon)]

fumihouse-2019-06-10T18_26_01-1-thumbnail2.jpg【瞬】の字は、目の象形と小箱に入った火が反対方向に向く足の象形なのだそうだ。そこから、きわめて短い時間やまばたきを意味する漢字になった。

「瞬(まじろ)がぬ目」と表現すると、まばたきをせずに対象を一心に見つめる真剣さを思う。そして困難を前にして落ち着きを失わない中にも、躊躇せず果敢に挑む様子を思い浮かべる。

ときに勝負は一瞬である。瞬時の判断で死命を決する時だってある。その瞬間を瞬がず、戦い切りたい。

(栴檀(センダン)も盛りを過ぎたが、紫青色の小花がたくさん咲く。建築材としては白檀と呼ばれ、品のいい香りがある)
微睡んで揺れにまかせて気持ちよし [2019年05月16日(Thu)]

fumihouse-2019-05-16T20_07_32-1-thumbnail2.jpg列車の揺れに身をまかせて目を閉じる。まどろむ・・・・・・おやっ、ここはどこだ? いま、何時だ? 朝か、夕方か、平日なのか休日か? どちらとも知れぬ。なぜ今ここにいる?・・・・・・・失見当状態は一瞬のこと(続いたら大変だ)。短くてもしっかり眠った証拠であろう。まどろんだあとは、頭がしゃんとする。

まどろむを漢字では、「微睡む」と書く(初めて知った)。微○○といえば「微笑む」。人間が感じたり、行動するときの形容として、ほかには思い当たらない。逆引き辞書で調べたが、微熱、微酔い(ほろよい/知らなかった)くらいかな。微かに何かやるってのは、周りから見えにくいので表現が生まれてこなかったものとみえる。

(シラーは微かな花ではない。けっこう派手に道端で咲いている)
危ういか凄いか知れぬヤバいやつ [2019年05月11日(Sat)]

fumihouse-2019-05-11T17_27_07-1-thumbnail2.jpg【ヤバい】は老若ともによく使うようになった。不都合だったり、危険な状況が迫っている、そんな意味である。元は形容動詞【やば】から派生したそうだ。昔は盗っ人などが使った隠語が一般化した。

やがて若者言葉では、カッコ悪いの意味で使われるようになり、20年ほど前からだろうか、凄いの意味も含まれた。若者意味なので、年配者は使わないが、【ヤバい】は肯定、否定の両方に使える言葉に進化?したわけである。

イエスでもノーでも使う言葉は多い。
【結構です】【いいです】【大丈夫です】
いずれも最初は肯定的な意味で始まった言葉だが、やがて否定の意味が加えられた。肯定の意が刻印され強くなったので、婉曲に否定を含ませ始めたと推測している。

ヤバいは上の三者とは反対に、否定→肯定の流れとなる。珍しいかもしれないな。

(太陽光のもと、黄のガザニアは照り輝いてヤバい。勲章菊の別名のごとく崇高な印象)
変換のレイワの世界のぞき見る [2019年05月07日(Tue)]

fumihouse-2019-05-07T19_20_54-1-thumbnail2.jpgレイワで漢字変換してみる。

【例話】例の話はどうなった? 例のことだよ、忘れたのかい? それじゃ教えてあげるよ。先日君と会ったときに話し合っただろ! あれっ? 何だったっけ?

【礼和】礼に始まり礼に終わる。そこにこそ和の精神が宿るもんさ。じゃ礼って何かって? それはね、深過ぎてわれわれ凡人にはわからないってものなのさ。

【霊羽】三国志の豪傑・関羽の霊廟は中国のあちらこちらにあるらしいね。死してなお、主君劉備を守らんとし、誠実な人柄が今もなお、かの国の人々を感動させる。三國志をまた読んでみたくなったよ。

【零輪】ゼロをいくつ輪にして重ねても、足しても引いても掛けても零。零は不思議な数字なり。インドで生れたというのは定説だけと、無いものに名前をつけて利用するなんぞ、賢いもんだねえ。

【齢吾】吾(われ)齢(よわい)を重ねて幾十星霜。迷うことばかり、くじけることばかりさ。それでも生きているかぎりは懸命に生きるってものなんだ。

【嶺倭】中華の世界から見た日本列島の山嶺はどう見えたのだろうか。白銀の峰々、それとも新緑うるわしい山際? 明代の海賊どもを倭寇と呼んだくらいだから(実は中国人が多かったとか)、たぶん辺境の地としか見えなかっただろうね。

そして【令和】。きょうは仕事をする人にとっては、令和元年の仕事始め。平成とキーボードを打ちかけて、はたと思い直す。が、パソコンは「れい」を関知した瞬間に平成と予想変換してしまう。システムの表記を西暦に統一して元号を止めてしまった組織も多いと聞く。伝統と利便性との狭間で【令和】との格闘はしばらく続きそうだ。

(ナガミヒナゲシは格闘しない。風にゆれるまま、雨に打たれるまま、令和の春を楽しむ)
天皇が徴をかたどり日本国 [2019年05月03日(Fri)]

fumihouse-2019-05-03T20_25_00-1-thumbnail2.jpg象徴とはなんだろう。直接知覚したり表現できない概念や価値を、何らかの事物によって間接的に連想させたり比喩表現することを象徴という。平和の象徴が鳩だと言われるとわかったような気になるが、そもそも何で鳩と平和とがくっつくのだろう。よくわからない。ましてや、日本国や国民の象徴と言われても想像できない。

即位後朝見の儀で新天皇は、≪上皇陛下がお示しになった象徴としてのお姿に心からの敬意と感謝≫を示し、≪日本国及び日本国民統合の象徴としての責務を果たすことを誓い、国民の幸せと国の一層の発展、そして世界の平和を切に希望いたします≫と述べられた。

国民がイメージする日本国民統合の象徴はそれぞれ違う。それでもあえて言えば、象徴天皇のあるべき姿とは、旧天皇最後の言葉にあったとおり、≪わが国と世界の人々の安寧と幸せを祈≫り続けること、最優先課題として全力で祈り行動することに尽きる。継続するその努力によってはじめて、多くの国民は納得し天皇に敬愛の念を抱くのであろう。

(化学肥料を使わなかった昔は、春の田んぼにはレンゲソウがあった。緑肥として空気中の窒素分を取り入れて土を肥やす)
まず会ってコミュニケーション始まるよ [2019年05月02日(Thu)]

fumihouse-2019-05-02T22_25_57-1-thumbnail2.jpgコミュニケーションの語源となるラテン語はコムニカチオ、すなわち共有することだという。分かち合って意思を通じ合わせるわけだ。

コミュニケートの手段が多様化し、直接会わなくてもすむ手法で便利になると遠くにいても通じ合うから、それが主流な感じがするが錯覚だ。コミュニケーションは顔をつきあわせるところから始まる。

コミュニケーションとは、単純に情報の伝達にとどまらない。共感はもちろん、反感や無関心も含めた反応全般を引き起こす。

受け手は適切に受信したかどうか、送り手の意図を正確に解釈したかどうか、そこにコミュニケーションの成否がある。言語として文脈、態度や声音、表情といった非言語の情報も含めて、送り手と受け手は相互にメッセージを解釈しあっていく。解釈不能ならば想像で補うが、たいていは齟齬をきたす。食い違いが少ない人間がコミュニケーション能力が高いと称されるのであろう。

自分の考えを相手に伝えることに加えて、相手の思いを理解すること。この相互理解がコミュニケーションを形づくる。コミュニケーションは難しいが、まず会うことから始まると思う。

(藤の花を見て美しいと思う。それを誰かに伝えよう)
退位から即位に向けて新時代 [2019年04月30日(Tue)]

fumihouse-2019-04-30T07_29_48-1-thumbnail2.jpgきょう、天皇陛下退位。平成の大晦日である。天皇の終身在位が事実上終わり、象徴天皇として国民に寄り添うことができなくなる前に次代にバトンを渡す新方式が前例として定まったことになる(たぶん)。退位礼正殿の儀で陛下がどんな言葉を発せられるのか、注目される。国民に寄り添う姿勢を最後まで貫いて、温かい言葉で表現されることだろう。

「天皇の生前譲位は国体の破壊に繋がり、国事行為の縮減で対応できる」とする保守派の反対論も根強い。しかし昭和、大正、明治、いずれも天皇崩御という弔事を経たのちの即位と改元であったことと比べると、今回は奉祝の気分が満ちていて喜ばしい。

令和の時代が来ます。よい新年をお迎えください。

(皇太子時代から象徴天皇制を模索し、新時代を築いてこられたお二人にささやかなカーネーションを)
人はみなストーリーにて生きている [2019年04月26日(Fri)]

fumihouse-2019-04-26T08_15_49-1-thumbnail2.jpgきょうは平成最後の金曜日。元号が代わるという人間界(日本だけだが)のルールに従えば「最後」なのだが、単に地球が自転して昼夜がある、ただそれだけの意味しかない。人が作ったストーリーに当てはめると、見事なまでに意味を持つ。

金曜日という曜日。その前に昼と夜がある。時間が割り振られて日、週、月、年で人間は生活を営み歳月を重ねる。人は成長し、社会で様々な体験をする。取り換えのきかない人生模様というストーリーをそれぞれが刻む。筋書のないドラマとして人を喜怒哀楽のドラマの渦中に立たせることもある。

おそらく他の生物にはできない高度な知的作業である。一方で心中に渦巻くフィクションも含めて、ストーリーは人を悩ませもする。乗り越えたときには小さなヒストリーとなって誇りとなるし、うちひしがれて底に沈むこともある。人間はストーリーで生きている。
考える体そのもので考える [2019年03月15日(Fri)]

fumihouse-2019-03-15T22_46_54-1-thumbnail2.jpg≪人間は自然のうちで最も弱い葦の一茎にすぎない、だがそれは考える葦である≫
  (パスカルの遺稿集「パンセ」より)

その言葉のとおり、「考える」の派生語は実に多彩だ。・・・・・思う・悩む・悩む・思い浮かべる・思いつく・思いやる・思い及ぶ・思い起こす・思いめぐらす・看做す・考慮する・考察する・構想する・一考する・観ずる・企てる・図る・思索する・存ずる・思量する・思惟する・思案する・想像する・謀る・仕組む・計画する・案ずる・考案する・発起する・発想する・着想する・考え抜く・省みる・・・・・

これだけの「考える」を、どこでやるんだろう。考える主体たる「わたくし」はどこにあるんだろう。

≪心の在りかについて哲学者アリストテレスは「心臓」に、医術の祖ヒポクラテスは「脳」にあるとし、古代中国の人々は「内臓」にあると考えた。なるほど、ワクワクすれば「胸」が弾み、悩んでいると「頭」が痛い。納得すれば「腑」に落ちる≫ (聖教新聞〈名字の言〉2018年11月11日付)

頭か、胸か、腹か。足でも(人間はアシだから)、筋肉でも、血液でも、髪や爪だって考えることに参加しているように思うのさ。

(雪柳も考える、考える。小さな花が集まって考える、考える)
想像で大将軍なり一兵卒よ [2019年03月10日(Sun)]

fumihouse-2019-03-10T21_43_35-1-thumbnail2.jpg『キングダム』の第53巻を読み終えた。主人公の信(しん)が成長していく。飛信隊を率いて階級を上り、今や五千人将となった。万の将兵を指揮する将軍までもう少し。戦争孤児で下僕だったのが小気味良く伸びていく。豪気で心身は屈強かつ人情家、部下は信のためには死を恐れない。読む者は自分を信になぞらえて共に戦う。

奔放で飄々として才能豊かな蒙恬(もうてん)。瞬時に状況を見抜きホシを外さない。信の強力ライバルだ。王賁(おうほん)もいずれ大将軍になる(たぶん)。堅物でエリート意識が高い。べらぼうに強い槍の技術が見逃せない。大将軍の三羽烏になるかどうかが見ものだ。

わたしは壁(へき)将軍が好きだ。豪勇だが正攻法で裏がない。奇襲されると弱いが人柄が良く、部下を魅了する。育ちもよい。信の副官・楚水(そすい)も似た感じで強靭な紳士だ。同じ副官でも尾平(びへい)は粗野な農民出身。でも飛信隊のムードメーカーは信とこの男しかいない。

山の民の王・楊端和(ようたんわ)の強さと美貌に憧れ、ドSの天才将軍・禍燐(かりん)も魅力的だ。副将・羌瘣(きょうかい)、軍師・河了貂(かりょうてん)、太皇や秦王・政(せい)の王女を生んだ向(こう)など、女性のキャラクターも飽きさせない。

お目目ぱっちりの将軍・騰(とう)。危急の時も表情が変わらない。騰は人気一番の大将軍・王騎(おうき)の副将だった。王騎はおねえ言葉を使う、イメージからしたら美輪明宏。敵将に討たれてしまったが、中華全土に勇猛をうたわれ、信の心に輝き光る偉大な存在。

守らせたら最強、趙の軍師兼宰相・李牧(りぼく)は武人としても一流だ。目下最大の敵となっているが、格別に男前に描かれている。情報戦では絶対に負けない。

読者は好きな登場人物のピンチでは手に汗握り、チャンスに興奮する。まるで自分が武将となって、敵将と戦うかのような錯覚を起こすのだ。

まさに錯覚でしかない。私たちは大将軍ではない。司令官でも、小隊長でもない。では何なのか。首をはねられ、矢に顔を射抜かれる名もない兵隊でしかないのだ。一介の兵士だ。それでも物語中では大将軍になって号令を下すのだ。せめてここでは夢を見る。

秦が六国をいかに統一していくか。読み終えた53冊はまだ道半ば。政が秦の始皇帝となって物語が完結するとすれば、先は長い。終わりの見えない期待で楽しもっと。

(大王の道、中華皇帝の雲間には何が見えるのか)
4と9とラッキー7は違いなり [2019年03月02日(Sat)]

fumihouse-2019-03-02T17_29_22-1-thumbnail2.jpg言霊の国日本では、四は死につながり、九は苦を思い起こす。したがって4と9は縁起の悪い数字である。

一方でラッキーセブンという言葉がある。起源は何だろうと思って調べたら、もともとドイツ語・英語圏で7は良い数字だと思われていたらしいのだが、野球でラッキー7が登場し定着した。

1885年9月にシカゴ・ホワイトストッキングス(現シカゴ・カブス)の優勝がかかる試合で、7回に打たれた凡フライが強風に吹かれてホームランとなった。このホームランでホワイトストッキングスは優勝を決めた。勝利投手が「ラッキーセブンス」(幸運な第7回)と言ったのが始まりだという。意外と歴史は古くない。
ケガに泣く現代古代ともに哭く [2019年02月27日(Wed)]

fumihouse-2019-02-27T17_40_51-1-thumbnail2.jpgきょうの聖教歌壇。ほんと気持ちはよくわかる。神経が細かい指先のケガがどんなに気に障るか。指先だけではない。一つ傷があったり病むだけで、気持ちは沈んでいくものだ。

 一ミリに満たぬ小さきアカギレに全神経が集中している
     山口県・西村佳子

『キングダム』の第32巻を読み終わった。函谷関の決死の攻防戦、秦国が5国の合従軍に攻め立てられて絶体絶命の危機をからくも脱するが、大きな痛手をこうむる。味方の武将の多くが討たれる。矢傷を負い、刀傷に苦しむ。化膿したであろう。漢方薬にどれだけのものがあったかは知らないが、抗生物質はない時代のことだ。輸血などすることもない。きれいな水がたっぷりあったとは思えない。症状を悪化させ敗血症で死んでいったことだろう。

それでも彼らは戦う(もちろん誇張ばかりだが)。肉を切らせて骨を断つ、さらに首を落として、勝ち名のりを上げる。恐ろしいまでの生命力である。医療が行き届き、清潔な環境に住む現代の私たちでは、とても生きていけない遠い昔のことである。私たちは幸せだと思う。
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