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アレルギー知ってか知らずか食べた運 [2013年03月17日(Sun)]

__tn_20130317212001.jpg東京・調布の市立小学校で女の子が、給食のチジミに入っていた粉チーズにアナフィラキシーショックを起こして亡くなった事件があった。市の教育委員会は先日調査報告を出した。報道によれば、今回の事件は学校教職員の情報共有が不十分で危機管理意識が欠如しており、今後大学病院と連携して再発防止に対処するとのことである。

わたしは疑問に思う。死に至る可能性が高いアレルギー反応があるにもかかわらず、給食を食べ続ける本人は恐れを感じなかったのか。親は大切な子どもが危ない物を口に入れるかもしれないと恐怖を感じなかったのか。多くの人間が給食に関わるならばどこかでほころびが生じヒューマンエラーが起こる可能性があることを学校関係者は考えなかったのだろうか。

そうした恐れを上回るメリットが「給食を食べること」にはあるのかもしれない。みんなが同じ物を同じ場所で食べるという平等感を与え、児童が一律に行う食教育を受ける・・・・たいした利点には思えない。

すると、「給食を食べないこと(=家庭弁当)」のデメリットが大きいかもしれない。クラスメイトと違うことをやっているという罪悪感、疎外感。アレルギー反応を理由にイジメられることの恐怖感。ランドセルに重い弁当を入れて通学する煩わしさ。親が毎日弁当を作ることのやっかいさ・・・・こちらが大きいように思える。だから危険を冒してでも給食を食べさせ続けてきたのかもしれない。わが子の命がかかっていると知って、ないがしろにできる親がいるだろうか。だのにどうして、リスクを冒し続けてきたのだろう。親の気持ちに迫ることができないものか。

給食の提供には多くの過程がありたくさんの人を経由する。献立作成→材料調達→材料提供→材料チェック→調理→栄養士チェック→担任含む各教師→本人へ配膳。どんなに注意したとしても、ヒューマンエラーは確率として必ず起こる。そんな危険な環境にわが子をさらしてしまう親の気持ちはどんなだったろうか。学校から給食を勧められたとしても、命を他人任せにするような恐ろしいことを平気でできたとは思いたくない。みんなと同じがいいという平等主義が招いた悲劇にも思える。

再発防止に必要なことは、関わる人や機関をさらに増やして連携を強化することではなく、危ない生徒には給食を食べさせないことに尽きる。その結果イジメが発生したとすれば、担任教師が芽のうちに摘み取り厳正に対処することだ。献立とアレルギーとの対比に神経をすりつぶすような配慮から解放して、教師本来の仕事を全うできる環境を作ってあげるべきだと思う。

(春の花が次々と咲き始めた。タンポポがゲンキいい)
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