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両親と別れて北へ移り住み [2013年01月20日(Sun)]

__tn_20130120222020.jpg久しぶりに児童文学を読んだ。ナチスからの弾圧から逃れた子どもの物語『海の島〜ステフィとネッリの物語』である(アニカ・トール著,菱木晃子訳,新宿書房)。北国スウェーデンの灰色な空と海、岩。ステフィが「この世の果て」と名付けた彼女の新しい家では、生活そのものも灰色にくすんでしまった。オーストリアのウィーンから北の国に疎開したのは500人の子どもたち。ステフィは12歳、妹のネッリは7歳だった。華やかな都会からスウェーデンの僻地、しかも小島に移住した彼女ら。ステフィはメルタの家に預けられ、ネッリはアルマの家に。幼い妹はたちまち生活に順応する一方で、ステフィは慣れない。彼女はホームシックに泣いた。

ステフィは母の愛がい かに深かったかを知り、母の強さを感じたであろう。娘はだれでも一度は母に反発する。ふてくされて母を傷つける。離れてはじめて母のありがたさを思い知り、同時に、刻々と年をとっている母を見て悲しく思い、かつて母に辛く当たったことを後悔するようになる。もちろん息子たちも同じことかもしれない。

慣れない生活、厳しいメルタ。幸いにその夫エヴェルトは優しい。ステフィは戦争によって両親とともに暮らすことができなくなっただけでなく、異境の地でもユダヤ人への人種差別に傷つく。いじめや嫌がらせに傷つき、母と父からの手紙を心から待つ。ステフィは手紙では両親を心配させまいと「すべてが順調、いい人ばかり」と書き連ねる。その嘘に耐えきれなくて一人寂しく泣き崩れる ステフィ。

ところが、厳しいばかりで女の子の心を理解しないと思っていたメルタが意外にも、ウィーンでひどい迫害を受ける両親を助けるためにエヴェルトとともに動いてくれたことの意外さ。ステフィに差別的いじめをしたときに対応した毅然としたメルタの姿。しかも「うちの娘」と呼んでかばってくれたことの感激。同級生ヴェーラとも和解し親友となった。幸運なことに、メルタの家に滞在していたバカンス客がステフィをイェーテボリの中学に入れてくれることになった。坂を自転車で一気に下るように、ステフィは開けたところで本は終わる。続編が楽しみである。
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