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山登りシシュポスの苦役喜びか [2009年06月28日(Sun)]

≪神々がシシューポスに課した刑罰は、休みなく岩をころがして、ある山の頂まで運び上げるというものであったが、ひとたび山頂まで達すると、岩はそれ自体の重さでいつも転がり落ちてしまうのであった。無益で希望のない労働ほど恐ろしい懲罰はないと神々が考えたのは、たしかにいくらかはもっともなことであった。≫ (アルベルト・カミュ,清水徹訳『シーシュポスの神話』新潮文庫)

ギリシャ神話に登場するシシュポスは、聡明ではあったが自らの才に溺れていた。神々の怒りをかった彼には刑罰が科せられる。冥府から三日間だけ生き返らせてもらったのに、この世に居座ったことが主な原因だ。

その刑罰というのがカミュが書いたとおり、とてつもなく重くて丸い岩を山頂まで転がし上げることであった。シシュポスは全身全霊を打ち込んで、重労働に耐え、山頂を目指す。ところが山頂につくと同時に岩は自重で頂から山の麓まで転げ落ちる。何度も何度も永遠にそれを繰り返すというものだ。これ以上の徒労はない、というのがカミュの考えだ。

確かに、労働は「シシュポスの神話」みたいなものだ。家事も同じことがいえる。大きなこと、小さなこと、すぐに終わること、手順を踏んで段取りが必要なこと...あらゆることがらは次々と私たちの心を悩ませ、解決したかと思うとすぐにまた別の新たな課題が出てくる。片付けてもやり終えても、永遠に続くかのように私たちにまとわりつく。

それを苦役と考えるか、新たな工夫のしどころと考えるかで、精神的には相当違う。そもそも人生の多くは雑事に追われるのである。いかに雑事を効率よく終え、あるいは雑事を片付ける過程を楽しめるか。そうできれば、人生の苦楽のベクトルはプラスに梶を切っていく。

2009.6.30追記

≪自分が納得できるまで、仕事や趣味の井戸を深く掘り進めよう。そうすれば誰も気づかない新しい発見ができるだけでなく、面白くない単純作業がもっと楽しくなる。≫
 (児玉光雄『イチロー思考VS松坂思考』幻冬舎文庫,2009年)
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