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落語家に憑いた生き物笑い神 [2012年10月03日(Wed)]

__tn_20121003192858.jpgしばらく前に落語家・桂三段(師匠は桂文枝)の高座を聞く機会があった。この方、吉本新喜劇の傘下で現在、島根県に派遣されている方。島根にとっては大変有り難いことだ。

「場」というものの面白さ、笑いの臨場感をたんまり感じることができた。いったん笑いだすと止まらない。笑いが喉の奥の上あたりに控えていて、落語家が洒落を飛ばし、即妙のアドリブを効かせるやいなや、腹の奥にある熱源に押されてドッと笑いが飛び出していくような感じを体験した。

笑いの臨場感というのは、テレビの画面を通して楽しむのとは違う。リアルタイムでその場に居合わすからこそ感じられる笑いは楽しい。ニヤニヤ笑いやほくそ笑みとは全く異質の笑顔になる。

以前、なんばグランド花月で漫才や落語をみたが、観客は笑うために来場している。だからギャグに即座に反応し、芸人の一挙手一投足に対し崩れ落ちるように笑って反応する。芸人は応えてさらに冴えてくる。当意即妙のアドリブも生まれて、ますます笑いの場は面白くなっていく。

芸人さんには、笑いに憑依したつき物のような不思議さを感じる。おそらくそれは役者が、役になりきって本物以上に本物になっていくのと似ているのかもしれない。

ともあれ、舞台の対象に没入し我を忘れて笑ったり泣いたりすることは、時に重要だ。こんな時代だからこそ、ひとは笑いを求める。笑えないひとはどうしようか。口角を広げてにっこり笑いを、嘘でもいい、作ってみよう。形が整えば気分は少しずつ晴れてくる。顔晴ることができるのだ。
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