分断と統合の境いまここに [2019年07月25日(Thu)]
山陰中央新報の元旦号の社説にこうあった(もう7月も経ってしまったか)。
≪分断ではなく統合の思考、さまざまな立場の声をくみ取る姿勢、いまほど多様性を受け入れる「寛容さ」が求められている時はない。居心地の良さに安住するばかりではなく、時には離れてみることも必要だ≫ この言葉は、トランプ政権に言われたのかと思っていた。あるいは暴言と嘲りを繰り返すヘイトスピーチの主に対しての論考だとも思った。それだけではなかった。 日韓請求権協定は、日本が韓国に多額の経済支援を行ったので両国間での請求権は完全に解決したとする内容ではあるが、個人の請求を否定するものではない、とする対立意見もある。 徴用工の未払い賃金や非人道的な扱いに対する補償、軍人・軍属への恩給裁定の不備、在韓被爆者問題や従軍慰安婦問題の見逃しなど、個人の請求権は協定対象外だとする考えである。 安倍首相はハンセン病家族の訴訟を敗訴のまま確定させ、いま話し合いが始まったところだ。同様に、他国の人びととも胸襟を開くときではないだろうか。たとえ、強制徴用ではなく自主応募者であったとしても、戦後に日本国民としての資格を失っていたとしても、強制的な慰安婦ではなかったとしても、あの日本に軸足を置いて苦しんだ当事者であることは間違いないからだ。メモリや携帯ディスプレに欠かせない化学製品の輸出規制強化もその延長にある。やるならもっと国際社会にもわかるよう、日本は丁寧に説明しなくてはならない。 (ルドベキアはアメリカ原産。大きな黄の花びら8枚で真ん中がこげ茶色だが、たまに中まで黄色のがある) |