春来たり残りわずかな余韻かな [2019年03月19日(Tue)]
この廊下をあと何回往復するのか。あの階段の上り下りだって数えるほどだ。いいとこ百回。出雲市駅から出雲工業までの通勤を楽しむのも、あと5、6回。転勤までの限られた時間をいとおしく思う・・・おセンチになるほどではないけれど、いつもなら無限に続いていくような気がしてきたのは、錯覚なのだ。すべては有限なのである。
では転勤しない人はどうなのか。同じである。長くても千の位でしかない。さらに考えてみると、有限なる人生がある。誰もが老いて病んで気を落とし痩せ細って死んでいく。老いさらばえることを嘆く必要はないし、できるだけピンピンコロリでいきたいとは思うけれど、最期は必ずやってくる。でも終わりがあるからこそ今が輝く。 (鮮やかな青紫のムスカリもまた今の季節に有限の花を咲かせる。限りがあるからこそ美しい。花言葉は、寛大なる愛だそうだ) |