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美保関古き縁に船の影 [2018年04月18日(Wed)]

fumihouse-2018-04-18T23_14_19-1-thumbnail2.jpg美保関。古くは海上交通の要衝として栄えた。出雲に住んでいながら行ったことのないこの町。ふらりと行ってみた。

島根半島の突端部に近い港は南方向に大きくえぐられた入り江である。北側にそびえる山肌が北西からくる冬の厳しい風を受けとめて、風待ちの場所として最適な町であったことだろう。環日本海交易の拠点として繁栄し、江戸時代には北前船の寄港地でもあった。関の五本松で知られた巨木を船乗りが目標としていたことは、出入りの船が多かったことの証明でもあろう。五本松に代わる美保関灯台は19世紀末に建造された。

狭い平地をぎっしりと埋めつくして漁家や商店、旧家、土産物屋、旅館、資料館が軒を連ねている。それらを結ぶ石畳の通りには重厚な歴史と華やかな文化を感じる。当時これだけの舗装をできたということは豊かさの証しである。特に美保神社から仏谷寺に至る「青石畳通り」は、海岩を切り出して見事な造形美となっている。

西日本でも有数の歓楽街だったという。遊郭とおぼしき軒先のたたずまいもあり、繁栄を謳歌した全盛期には、狭い通りを人や大八車がひっきりなしに往来していたことであろう。

情緒ある青石畳の空間、曇り空、おぼろげな風情、優しく心洗われる・・・。青石畳通りは、雨に濡れると石が青く光るというが、栄枯盛衰、古い町並みと落ち着いた雰囲気は反面、過去の残映だ。大昔のテーマパークの残骸であるかのように往時の面影が色濃い。空き家と思われる家屋が多いのが印象に残る。

美保関灯台まで足を伸ばした。岬からは大山がよく見える。天気が良ければ隠岐の島を望む絶景となる。島根半島の東端部に昔日の光を見た。
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