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あの震災この震災とは違うもの [2018年03月09日(Fri)]

fumihouse-2018-03-09T21_36_03-1-thumbnail2.jpg私にとっては「あの震災」となってしまいましたが、被災された方々にとっては「この震災」のままでしょう。平穏であるはずの日常、なんやかんやと面倒はあっても継続することを前提に組み立てられていた日常に、なにくわぬ風情でやってきた非日常の過酷な世界。そのまま続いているのです。7年の歳月が過ぎても、フラッシュバックして多くの被災者を今も苦しめていることと思います。

大震災の記憶を風化させてはいけない、と言われます。人間は誰でも苦しい体験は忘れたいものですし、忘れなければ精神的にまいってしまいます。忘れたいのに被災者自身の苦しみは抜けず、一方でそれ以外の人びとにとっては忘却の彼方の出来事になってしまう。当事者にとっては忘れられて、悲哀を感じるのだと思います。

忘れ去ろうとしても忘れられない。打ち忘れたらいけないことなのに忘れてしまう。相反する感情がせめぎあって哀惜の念を増幅させます。だからこそ、年中行事となっていても報道機関の3.11特集を見なければならないのです。
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