狂気とは笑顔の中にもあるもんだ [2017年12月26日(Tue)]
北野武は笑顔でもって狂気を表すのに長けた俳優である。以降監督として狂気を描くことになるが、わたしは彼の映画を怖くて見ることができない。1983年の『戦場のメリークリスマス』では、太平洋戦争の日本軍集団が演じた狂気を、ビートたけしの無邪気な笑いが見事に表現したと思う。当時のたけしは演技がひどいと滅入ったというが、あの不気味さはなんとも言えず恐ろしい。
故大島渚監督の残した反戦映画である。舞台は英国空軍部隊捕虜たち数百人を収容したジャングルの中。たたき上げの軍曹だったハラ(たけし)がC級戦犯として死刑執行される前日独り言つシーンがある。「私は日本軍人がしていた普通のことをしただけだ」と。死の覚悟はできてはいても、死刑になる理由に納得していない。空気で動き、異国人でも異分子の存在を許さない日本人集団。さらに国家神道を狂信していた集団に毒されていた人には分からなかったかもしれない。 坂本龍一演じるヨノイ所長(大尉)は武道の達人であり教養もあった。ジュネーブ条約など捕虜への人道的扱いを知らなかったはずはないが、彼も狂気の中にあった。大尉は作戦失敗のため捕虜となったジャック・セリアズ少佐(デヴィッド・ボウイ)を彼の反抗的態度にもかかわらず守ろうとする。最初はヒューマニズムのある軍人だと思わせられた。実はヨノイはホモセクシャルな魅力をセリアズに感じて狼狽していたことが後にわかる。 ヨノイはやがて異常な指揮をとるようになる。英国人捕虜からはもちろん、軍内部からも不審の念をもたれる。ホモセクシャルだけが原因ではない。彼は大尉。敵方とはいえ、相手が少佐という上級階級にあったことも錯乱の理由だと思う。明治以降日本人が欧米人に対して抱いたコンプレックスもそれに拍車をかけた。英国軍人にもかつて日英同盟で日本を教え導いてきた誇りや世界制覇のエリート意識も重なっていたのだと思う。 異常な状態が当たり前となる戦乱。狂気が正当だと評価される戦闘。戦争はなくさなければならない。しかしその戦争は今も続いている。 (狂気ではない。花は落ち着け落ち着けと言っている) |