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すずがいてこの宇宙の片隅に [2017年01月18日(Wed)]

fumihouse-2017-01-18T23_08_33-1-thumbnail2.jpg主人公すずが絵を描くシーンが好きだ。鉛筆を立てて持って、腕を伸ばして対象物に向けて間合いをはかる。三角測量をするように対象に向かい、彼女なりの構図を決めるルーティンでもあろう。映画『この世界の片隅に』は、すずの不動の軸が感じられる。

不動といっても、彼女が信念と将来ビジョンを持って揺るぎないわけではない。むしろ反対だ。ノホホンとぽやっとした捉えどころのない少女。18歳で言われるままに広島から呉に嫁ぐ。軍港の呉にあって厳しい空襲に襲われ続けるが、淡々と日常を営む主婦。恋愛結婚ではなかったが、夫の周作とはプチ恋愛中で幸せもある。幸せをつかみ取ろうとする積極性はないが、自分がおかれた状況をそれなりに楽しめる。もちろん慣れない土地で小姑からのイジメに悲嘆することもあるが、泣いてばかりではない。

すずの人生にあって(当時の人すべてに言えるが)、戦争と日常は隣り合わせにある。一体だったと言ってもいい。憂いと安穏とは交互に繰り返して生活を織りなす。すずは、むしろ莞爾として辛苦を乗り越えていく。辛酸をなめるほどの戦争はなくても、誰もが多層な日々を送る。禍福は糾える縄の如しである。

普通って何だろう。標準的な普通はあるにはあるが、それは普通じゃない。自分なりの普通でありたい。自分らしくノホホンとしてればいいじゃないか。その普通が、世界の70億人の中で自分が自分たりうるのだ。138億年の時空をともなった広大な宇宙に生命を得て地球に生まれてきた不思議。これも普通か? 夢見がちなすずを見ながら、普通って何だろうと思った。

水彩画のようなアニメーション。柔らかいクレヨンのようなタッチ。波がウサギになって跳ねていく現実とファンタジーとの狭間。心地よい映画。同時に戦争の無慈悲さを無性に感じる映画だった。

(すずだったら、この真っ赤な実をどんなふうに描くだろうか。赤に情熱を見るか、それとも苦悩を見るのか)
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