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臨終と思秋期に思うあかしかな [2016年09月24日(Sat)]

fumihouse-2016-09-24T16_13_10-1-thumbnail2.jpg映画『生きる』。久しぶりの黒澤映画。市民課長渡辺(志村喬)が雪降る夜の公園でゴンドラの唄を歌う有名なシーン。全編を通して見るのは初めてだ。

遅れず休まず働かずと揶揄される役所仕事を淡々とこなしてきた渡辺。忙しさにかまけて、遊びはもちろんのこと、万巻の書にふれることもなかったのであろう。若くして死んだ妻が残した息子を無事に育てることだけを生きがいにした。だが、嫁がきて同居してはいても息子夫婦とは心が通わない。そこに突如として現れた死という怪物。当時胃癌は不治の病であり死の宣告であった。彼の絶望はいかばかりか、孤独感は一層かきたてられた。

渡辺は老けた。今ならば80代後半と言えるほどの老けようだった。背中は丸まり生気はない。上目づかいでまばたきしない目には鬼気迫る、底無しの無力感があった。初めて経験する夜遊びや娯楽で心は晴れない。唯一心が休まったのは、元部下で市役所を辞めたばかりの若い女。彼女の活気に惹かれた。為すべきことをして死にたい、彼は訥々と悩みを打ち明ける。

役所仕事がつまらなくて玩具工場に転職した女が一言。「課長さんも何か作ってみたら?」。たらい回しにしてきた公園建設要望のことを彼は思った。彼は猛然と動き出した。死から生への転換である。

二人は喫茶店にいた。元気な行進曲が流れている。よその若者たちが誕生パーティを楽しくやっている。やろう!と決めた渡辺は喫茶店の階段を降りていった。若者たちがハッピーバースデーを歌う。まるで新生・渡辺を祝すかのように。

大正時代のラブソングという「ゴンドラの歌」を渡辺は歌った。ペーソスだけではない。満足感とあらゆる命への慈しみを含めた万感の思いが込められた歌だった。

 いのち短し恋せよ乙女/明日の月日はないものを

黒澤映画『羅生門』の謎解きを見るように、通夜の席で役所の下っ端が思い出を反芻して、渡辺の思いを推理した。渡辺がなぜ取り憑かれたように公園をつくったのか。上司(助役)の悪行があからさまになり、スカッとさせられる名シーンである。あれほど酒席を見事に描いた映画を知らない。

昭和27年の映画。戦後の混乱期は続き、なにごとも狭くて不衛生で不便な時代。市民には生きづらかった。モノクロで描いてはじめて効果をあげる映画に涙した。

(黄花コスモスも生きる。オレンジ色を輝かせて、この秋に生きる)
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