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苦しませ百人一首と貴族顔 [2016年09月06日(Tue)]

fumihouse-2016-09-06T21_29_36-1-thumbnail2.jpg小倉百人一首がキライだ。中世貴族のぬめぬめした抒情がわざとらしくてイヤだ。

袖が乾く間もなく逢えないでいる貴女を想う、月を見ても露に濡れた草木を眺めても身が焦がれる……。叙情詩だけではない。出来事・事実をありのままに述べたはずの叙事的な歌であっても、濃厚な恋愛感情や仏教の無常観が織り込んである。紅葉、奥山、雲、秋風、白雪、夢、キリギリス……。ほとんど全てが過分な感傷につながる。

現代人には(わたしだけ?)ねっとりとして不快でも、彼らには当然のことだったのだ。生活の糧は下々の者どもがやってくれ、喰う心配をする必要もない。要はヒマだった。むろん疫病は頻発するし、不可解な自然現象が怨霊の仕業だとして祈祷に励む姿はあったかもしれない。

平安貴族が歌で恋の道に身をやつしている時に、庶民は飢えて塗炭の苦しみを味わったと思うと胸くそ悪い。裕福な彼らでも想像力をたくましくして野に出てみれば、庶民が苦しむ姿を目にすることができたであろう。ただ、そんな百人一首のなかにも少し毛色が変わったものがある。

 おほけなく うき世の民に おほふかな
   わがたつ杣に 墨染の袖

僧の慈円が詠んだ和歌である。身の程もわきまえないことだが、辛いことばかりの浮世を生きる民を包みこんでやりたい、この比叡山で修行している僧たる私の祈りで! そんな歌である。

実は慈円は藤原氏の一族であり、父は関白だった。やろうと思えば政治権力の一分を使って社会政策に精力を傾けることがいくらでもできたはずだ。仏門に入った理由はあるのかもしれないが、天下万民を救う方法はあったと思うのだ。もちろん慈円はましなほう。高級貴族の心根を憎むから、百人一首がキライなのだ。たぶん。

(ニラの花が好きだ。イヤらしさがない。爽やかにさり気なく咲いているのがいい)
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