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諦めて思想はひとを無常にす [2011年11月21日(Mon)]

きのうは「おとなしく黙々と受け身で待つ心理」のことを書いた。有名な『方丈記』の冒頭で鴨長明は次のように綴っている。

  行く河の流れは絶えずして、しかも元の水にあらず
  淀みに浮かぶうたかたは、かつ消え、かつ結びて、久しく留まりたるためしなし
  世の中にある人と住みかとまたかくの如し

この文には諦観がある。達観した悟りというよりは、無常観に基づくあきらめがある。傍観者的な冷ややかさも感じられる。書き手はどこにいるのか? 川の流れのなかに身をおいて、あるときは強い流れに抗し、水が枯れてくれば上流に雨が降ることを願うといった主体的な位置ではない。川の外に立って他人事として距離をおいている印象がある。

無常に過ぎゆく世の流れは、ときに無情にもひとを飢えさせ、無体な天変地異でひとは苦しむ。為政者が無為無策であれば状況に流され、暴君となって猛り狂えばなされるままに時が過ぎるのを耐え抜く。じっと待つことは美徳であるかもしれないが、邪悪を黙認してしまう怠慢にもつながっていく。方丈記の思想は鴨長明だけのものではなく、日本人に根付いた思考として、わたしを含めて多くの人が共鳴するものでもあろう。しかし、新しい世をつくり新しい枠組みでものごとを進めるためには、あきらめの思想であってはならないのだと思う。
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