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恬淡と老いを描いて晩年の [2016年06月14日(Tue)]

fumihouse-2016-06-14T20_54_18-1-thumbnail2.jpg新藤兼人監督の『午後の遺言状』を見た。老いを見つめ死に向かいつつも覚悟して丁寧に生きる、そんなテーマを追っていたが、アラは目立った。巨匠監督の最晩年の作品である。体力的に厳しかったのかもしれない。

20年前の映画にしては冗長で説明が過ぎる。不要に思えるエピソードもある。認知症を患う劇団仲間の描き方はステレオタイプ。認知症になったら正気を取り戻すことはなく恍惚の人に、というかつての偏見である。焦点のない目で中空を眺め続ける演技には嫌気がさした。

主演の杉村春子の演技は昔風、まるで小津映画のように平板で舞台のような雰囲気(舞台女優の役だからそれもありか)。助演の乙羽信子が変な田舎弁をしゃべるのも気になった。

「もうこれまで」と書き残して死んだじいさん(別荘の森の世話をしていた)の遺言は、広告の裏紙に書いたと説明しておきながら、明らかに半紙を半分の大きさに切ったものが画面に出てきた。監督の気力体力はもうなかったのだな、と感じさせた。

杉村ばあさんが舞台の仕事に戻ったあと、棺桶の釘打ち用にとっといてと頼まれていた丸い石を、乙羽ばあさんは元の川に戻す(別荘がある標高1500mの小川になぜか、大きなまん丸の石がある不可思議)。ともかく死を淡々と描いている。生もまた屈託なく描いている。恬淡としたこの映画の真骨頂かもしれない。

死を目前にして自身の老いとどう向き合う?と考えさせたいのだろうが、編集がぶつ切りで、挿入された音楽もピンとこない。最初から最後まで場違いを感じてテンポも悪かった。2時間弱がとても長く感じた。

結納後、結婚式前にする足入れ式とやら、まるでモスラ対ゴジラで出てきた小妖精(ザ・ピーナッツが出演)をめぐる南洋の踊りを思い出した。ずっと違和感を覚えていた。避暑地の景観、新潟・寺泊の絶景など出てきてもよさそうだが、それもない。

観てすぐにミスドでドーナツをほおばりながら一気呵成に書いたものを、今こうしてまとめている。文句ばっかり言っている。

(先月までマツバギクが元気いっぱいだった。暑くなった今では、花は縮れて花火の大輪のような往事をしのばれる)
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