鉄道は乗ってなんぼの世界なり [2015年10月24日(Sat)]
三江線は廃止方針が出されたようで、地域に激震が走った。確かに三江線のダイヤは不便だ。江津発、三次発とも一日5本ずつ。通勤にはまず使えない。一昨年の豪雨災害で線路が寸断したせいで、通学もバスに転換するか自家用車の送り迎えとなり、高校生もほとんど使わない。観光資源を巡る観光客もいても、日常的な利用は期待できない。
昔に比べれば道路は良くなった。車が便利に決まっている。駅に着いた後の移動にかかる時間と経費もバカにならない。だから乗らない、客が少ないから減便、さらに客も便数も減るという悪循環を繰り返してきた。今や路線収益は最低であろう。企業にとって社会貢献することが使命とはいえても、赤字たれ流しの路線を長々と続ける義務はない。そもそも運送・旅客事業者にとって「空気」を運ぶことほど辛く空しいことはない。 風前の灯火といえるのは三江線ばかりではない。出雲市以西、山陰線の鈍行列車は寂しい。山口線も木次線もおそらくは崖っぷちに立っている。一畑電鉄も苦しい運営が続いている。イベント列車など観光客が乗る機会はあったとしても、ふだんの生活で当たり前に使われない鉄道の将来は暗い。 鉄道の存続を願う沿線対策協議会の面々が利用するかというと、車で会議に直行してすぐに車で帰るのが常であろう。たいていの住民も鉄道を必要不可欠のものとしては認識していないから利用しないのだ。しかし、いざ無くなくすと言われると腕をもがれるかのような痛みを感じるが、それでは遅いのだ。 今や存亡危急の秋(とき)。無理をして少々の不便は耐えつつ、鉄道がつくってきた景観や文化、ぼんやりと車中の時間を楽しむことも含めて鉄道を楽しまなければならない。沿線の人々が協力して守り手とならなければいけない。田舎の鉄道をこのまま衰退させてなるものかという思いを行動にうつしていこう。 (セイタカアワダチソウが三角の花束を風に揺らしている。鉄道沿線に多くはびこり、ススキを駆逐してしまうことを恐れられていたが、今は両者は共生している) |