安保立ち攻めと守りは紙一重 [2015年09月25日(Fri)]
1対1で話すときの態度と、集団の一員として接するときの態度が違うひとがいる。さっきまで親しげに振る舞っていたと思ったら、違う知り合いが現れた途端に手のひらを返したように態度が変わる。そんなギャップを見せつけられると、わたしは心が痛む。
そんなわたしでも、仕事で組織人として振る舞うときには、いつもと違う態度をとっていることは間違いない。ひとは皆いろいろなキャラを使い分けて生きているものだから、冒頭の変わり身などは普通のことなのかもしれない。 個人的な態度ですらそうなのだ。これが国家となったら様相は変わる。相手を信頼して誠実に接すれば、相手はそれなりにこちらを遇してくれて、危害を加えてくるなどあり得ない? いや、そんなことはない。突然に豹変してしまうなど、外交の場では日常茶飯事だと思う。下手に出ようものなら足元を見て高飛車となる。かといって尊大に振る舞えば相手の自尊心を傷つけて紛争の元となる。どちらも避けて通りたい。 安保関連法制が成立した今、日本は難しい位置にある。「アメリカとともに限定的な集団的自衛権を行使する用意はあっても、専守防衛が第一であり、絶対に日本の方から攻めることはあり得ない。アメリカの片棒をかついで覇権を握るつもりなど毛筋の先ほどない」と、ことあるごとに日本人はアピールしていかなければならない。 他人を裏切って傷つけるよりは、騙されるお人好しのほうがマシだと言う人もいるけれど、国家レベルでは日本の誇りが許さない。固く守る日本を攻めても大ケガをするよ!とアピールしつつ、国際関係や国の利害得失を考えていきたいものだ。 (ローズマリーの枝をへし折ると、いい匂いがするけれど、松ヤニのような粘着く汁が落ちにくい。これぞ専守防衛だ) |