在ったとてみることなければ消えたまふ [2015年08月07日(Fri)]
わたしが子供の頃、蜩(ヒグラシ)はいなかった。出雲地方にヒグラシが存在しなかったわけでは決してない(多分、いや絶対に)。夕焼けの時間帯に、カナカナカナ……とうら寂しく鳴いていたはずだ。あれは蝉なんだという認識すらなかったのだと思う。子供のわたしは山にシンクロして鳴り響く重厚な合唱をどう感じていたのだろうか。さかのぼって追体験できたら楽しいのに……。
子供のとき蝉を捕っていた。網を使ったり、精度は低いが手をすぼめて捕る。あるいはトリモチを使った。トリモチの木の皮をはいで石で叩いて水を流してカスを取り除く。するとネバネバのペーストとなって、竹棒の先に着けて蝉の羽根にこっそりすり付けるとギャンガャン鳴き叫ぶ蝉が捕れたものだ。 たいていはニイニイゼミとアブラゼミ。時折透明で緑がかったミンミンゼミが捕れた。ツクツクボウシが鳴くようになる夏の中盤以降にはすでに蝉への興味は失せて、捕った記憶はない。 ヒグラシは鳴いていたはずだ。しかし子供のわたしの辞書にヒグラシという昆虫は存在しなかった。だから未だにヒグラシがどんな色形の蝉かを言うことができない。あの頃、わたしの周りには蝉の鳴き声を教えてくれる風流な子供がいなかっただけなのだ。 (暑かった、茹で上がりそうに暑かった。邇摩高校のムクゲも幾分うだっている。裏山にはヒグラシの声が群をなしていた) |