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瀬戸内の島々眺めて幾年月 [2015年07月16日(Thu)]

fumihouse-2015-07-16T20_31_47-1-thumbnail2.jpg岡山県の長島愛生園に暮らす221名の入所者は、その全てがハンセン病ではありません。もう何十年も前に治療は終わっているのです。かつて癩病(らいびょう)と言われた病気は治っているのですが、後遺症で日常生活に支障がある障碍者なのです。

病気は治っても、かつて患者であったということ、そして顔や手足に異な容貌があるという点で、偏見の目と差別にさらされているのです。ケガレていると蔑まれてきたのです。もちろん今でも伝染すると信じて鼻をつまんで避ける人もいます。昭和初期に始まった強制隔離政策というものが、全ての患者をどん底に突き落としただけでなく、周囲の差別を強力に助長してきたのです。

ハンセン病の原因となる癩菌は感染力が弱いうえに、1945年に開発されたプロミンによって簡単に治ります。衛生状態が悪い環境にあって抵抗力の低い人が発病することはごく稀にあっても、現代日本では年間でほんの数人が罹患する程度です。それも錠剤の服用ですぐに完治します。

理不尽な隔離政策は1996年まで続きました。差別は一朝一夕にはなくならず、ホテルへの宿泊拒否は今も多くあり、飲食店の予約が取れないとか、クリーニングを嫌がられる、路線バスの乗車を拒否されることもあります。家族が就職や結婚にあたり酷い仕打ちを受けるような差別事象が過去のものになったわけでは決してないのです。

少年が家族から引き離されて思いもよらぬ生活に突然投げ込まれる。青年が勤務先を追われるようにして施設に収容され、専用の着物に着替えさせられたときに社会との断絶を覚悟する。若妻が幼い我が子と泣く泣く別れて、やがては夫とも離縁して生涯会うこともない。偽名で過ごすことが家族を安らかにさせると説得されて自分の名を捨てた者も数多くいる……。そうした悲劇が数多く引き起こされてきたのです。

長島愛生園の入所者の手記です。三、四十年前のものでしょう。

 らいはなおる時代となりました。/らい院ではお医者さまが退屈し/お医者さまがいらなくなりました。/社会復帰者は数を増し/日本のらい政策は終わりました/だから国立らい院に/眼科医もおりません/眼科のお医者さまは/二週間に一度 らい院にやってきて/一日百五十人の患者を診察しておられます/らい政策の終ったらい院で/ぼくはだんだん光を失っております

ハンセン病の症状として、らい菌により末梢神経が障害を受けて知覚が麻痺したり運動神経が不調となります。すると痛みがありませんから、ケガや火傷に気がつがす、場合によっては指の切断といった結果になることがあります。皮膚のただれなど見た目の変化もありますから、そうした二次障害から「らい病は手足が腐る。遺伝もする」といった誤った認識を生み差別をさらに深めてきました。プロミンが万能薬といっても負ってしまった障碍を治すほどの力はありません。

村八分にされた家族は苦しみ、助けになろうとする支援者にまで差別は及びます。すると患者は覚悟を決めるのです。「施設に収容されよう」と。子供たちの多くは事情もわからないまま理不尽に嫌われて、挙げ句の果てにだまされるようにして療養所に連れてこられて一生故郷には帰れない。家族にも二度と逢えない。こんな暴虐を制度として日本は強いてきたのです。

納骨堂を参拝しました。3607名の方が入っておられるそうです。半数は偽名のままで、親族が遺骨を受け取れなかった方々です。亡くなったのちも差別を受け続けることがどれほど残酷なことか。去年亡くなられた入所者30名もすべてここに葬られています。

説明してくださった学芸員は、入所者と家族を苦しめた周囲の残酷な振る舞いを、「我々の目」と表現されました。私の心の深層にも差別する生命はあるのです。ですから悲劇を再び生み出さないためにも、人権の侵害がされてしまう現実を直視し、関心を持ち続けて、差別をしない善良な輪を広げてほしい、ハンセン病以外のことにも皆さんの力で、と話を締めくくられました。

(入所者が上陸した収容桟橋。今は残骸となっているが、ここが送ってきてくれた家族との別れの場所となった。湾内には養殖用の牡蠣筏がたくさん見える)
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