太陽の下に咲いたり向日葵悲恋 [2015年06月06日(Sat)]
恋愛や結婚というものは、ふつう自己責任の範疇にあるが、戦争が絡むとそうは言えなくなる。映画『ひまわり』は言わずと知れた悲哀の恋物語。ウクライナの広大なひまわり畑には、故郷へ帰り愛するひとに逢うという思いを遂げられなかった兵士たちの骨が眠る。同様にジョバンナ(ソフィア・ローレン)も、その地で九死に一生を得て別の生活を築いたアントニオへの思いを、捨ててうずめた。
彼と新しい妻マーシャが暮らしていた街の目の前に巨大な発電所が見えた。チェルノブイリ原発かと思ってびっくりしたが、まだ時代は原発の頃を迎えていない。かつて「悪の帝国」と嫌われたソ連ではなく、市井の一断面を描いたのは、ソ連でロケをしたこともあるだろうが、体制は違ってもそこに暮らす人間は誰でも恋をし仕事にあくせくし、人間関係に悩む存在であることを表現したかったのだろう。 ジョバンナとアントニオとの悲恋の結末にそれほど感情移入できたわけではないが、戦争が引き裂いた夫婦の人生をもの悲しく思う。戦争の罪は深い。それを遂行した指導者層の罪はもっと深い。 雪原にあまた倒れて死んでいるイタリア兵士の中から、なぜマーシャはアントニオを選んで助けたのか。その必然性はあったのか。男物の軍服コートを着ていた彼女は、おそらく死んだ兵士から金目の物を抜き取って生き延びてきたのだろう。たまたまアントニオはまだ生きていたので、罪滅ぼしなのか、助ける気になったと想像する。 それにしても楚々とした美女である。控えめで抑えた感情表現しかしないマーシャにアントニオは不満だったのかもしれない。イタリア人の二人は喜怒哀楽が激しい。兵役を逃れるために、夫が狂って妻に暴行する偽装をしたような二人である(ばれてしまったが)。愛することも悲しむことも、怒るのも嘆くのも全魂を込めてぶっかってくるジョバンナのことをアントニオは再び強く求めた。しかし両者は気持ちに封印をし、それぞれの生活に帰っていった。 何度も繰り返される有名なテーマ曲。映画『砂の器』のテーマ曲にもフレーズが似て、その調べを聞けば悲哀の感情はいや増して高まる。 (ひまわりではないが同じ菊系統の花。すくっと花弁が広がり伸びやかだ) |