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混同しルールとマナーに学ぶべし [2015年03月25日(Wed)]

fumihouse-2015-03-25T18_55_28-1-thumbnail2.jpg私たちは、ルールとマナーを混同してしまいがちだ。

ルールとは、社会の規則であり、会の構成員が守るべき会則だ。また裁判所の命令、法律そのものもルールである。強制力をもって従わせる仕組みだから、守らない者を罰する厳格さをもつ。

一方でマナーは、行儀作法であり洗練された流儀や物腰をさす。強制的に押しつける筋合いのものではない。できればやったほうがいいよ、好感をもたれるよ、気持ちがいいよ、と言える程度のことであろう。「マナー違反」という言葉が使われるが、筋が違うというものだ。守るべき社会の規範を守れない輩に対し、強い調子で非難の矢を浴びせれば、それはルール違反をとがめることだ。

ルールに関して、時と場合によって、叱られたり叱られなかったり、罰したり罰しなかったりでは規律は保てない。規範を守ろうとする意志がだんだん弱くなっていく。

例えば交通法規を考えてみよう。こんな広い道で制限速度が40キロはないだろー、と感じる場合に人は自ずとスピードを出す。50キロならいいだろう、やがて60キロでも問題ない、と判断するようになり40キロ少々で走るドライバーをけなしだす。ところがある時ネズミとりに引っかかって、20キロオーバーの違反切符を切られて身の不運を嘆くのだ。

当局は事故の実態や道路状況を考えて厳しめに制限速度を設定するのだが、上のようなことになってしまう。いつもいつも違反摘発をするわけではないから、運転者はどんどん判断を甘くしてしまって、かえって危険な速度まで自分の基準を緩めてしまうのだ。本来は危険防止が目的だったはずが、運不運の問題にすり替えられてしまう。交通ルールはマナーにまでレベルが落ちてしまうのだ。

速度制限は甘いところギリギリまでのところにして、その速度を超えた場合は即摘発としていけば、交通法規というルールをきっちり守る態度が生まれてきやしないかと思うのである。

ルールはルールとして厳格に。マナーは気持ちよく生活できるように意識の啓蒙を図る。そんな社会政策が必要だ。
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