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外に出てカモメ語るよ生きること [2014年09月26日(Fri)]

fumihouse-2014-09-26T18_34_17-1-thumbnail2.jpg森鷗外は小説『青年』で主人公にこう語らせる。楽しんで生きる、充実の毎日を生きることは難しい。いつもいつもモラトリアムとなって、私たち日本人にはステキな暮らし向きは獲得できないと鷗外は述べる。

≪生きる。生活する。
 答は簡単である。しかしその内容は簡単どころではない。
 一体日本人は生きるということを知っているだろうか。小学校の門を潜ってからというものは、一しょう懸命にこの学校時代を駈け抜けようとする。その先きには生活があると思うのである。学校というものを離れて職業にあり附くと、その職業を為し遂げてしまおうとする。その先きには生活があると思うのである。そしてその先きには生活はないのである。
 現在は過去と未来との間に劃した一線である。この線の上に生活がなくては、生活はどこにもないのである≫

日々しのぐ。今をしのいで何とかクリアする。楽はその後にある。楽しみはとっておこう。だから頑張ろうと思いつつ、また次の課題が押し寄せてくる……。毎度まいどそのくりかえし。たまのレジャーに出かけても時間に追われるようにして駆け巡り、確かに行ったことの証明を写真に留めて、また次へ。リフレッシュどころか、ヘトヘトになって帰ると責め苦の日々に戻る。

「その先きには生活があると思うの」が日本人であるのは、今も昔も変わらないのかもしれない。しかしながら、享楽的に刹那的に生きる人が増えているというが、その彼ら彼女らは「生きている」であろうか。将来を考えない享楽も将来に禍根を残すということで、「生きている」のではないと思う。

アリとキリギリスの物語では、冬に備えたアリか立派だと教えたかったのが、かつての世間であったが、結果は燃え尽き症候群でひとは蝕まれる。かといって蓄えもなく遊び暮らすのも心配だ。あんばいはとても難しい。
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