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ほんとうはみんなちがってみんないい [2014年09月25日(Thu)]

fumihouse-2014-09-25T18_46_45-1-thumbnail2.jpg個性を尊重し、その人がその人らしくいきいきと生活する。金子みすゞの「すずと、小鳥と、それからわたし、みんなちがって、みんないい」という詩のフレーズは人々に口ずさまれて常識になったと思いきや、そうではないことを思い知ることがある。

ひとに優劣はある。競争社会では優劣や順位をつけないことはかえって偽善であり、か弱さを増していくことであると思うし、アジア大会でメダルを授与しない仲好し大会であっては盛り上がらない。もちろん、ある面で優劣強弱を判定したとしても、人間の才能は多岐にわたる。ほかでは逆転するときだってある。仮に万能な人がいて、たとえ全てに劣っているように見える人がいたとしても、人間はその存在自体が貴いものであることを、ひとは学んできたと思っていたが、どうも現代日本は違うようなのだ。

皆といっしょでないとイジメられたり、のけ者にされてしまう。場の空気という長いものに巻かれて戦々恐々と小さくなって生きることはつらかろう。みんなと同じがいい、という同質性を求める文化が昔からあったのは確かだ。村八分(葬儀と火事以外はつきあいを集団的に排除)という制裁が行われた時代もあった。しかし、若い人のおつきあいではどうも「同じ」であることが、何よりも大切なことであるようなのだ。同じであることを確認しあい、同じことに関心をもち、同じファッションを身にまとい、同じ時間をSNSで延々と共有しあう。まるで「同じ」という牢獄に閉じこめられたかのような気分であろう。

≪日本では、学校だけでなくて、職場、近所、つまり、社会一般において、「同じ」でなくてはいけないという非常に大きなプレッシャーが存在します。「異なる」と見られる人はだれでも、批判されたり、仲間はずれにされたりするのです。日本では個人として行動することがとても困難です。このような状況は若者に大きな影響を及ぼします。若者は感受性がより強いからです。≫
(パトリック・リネハン大阪・神戸アメリカ総領事館総領事『私たちは「見える」存在になるべきだ』部落解放2014.10月号)

ああ、なんて難儀な世の中だろう。わたしが高校生や大学生のころにスマホやタブレットがあり、いつもそれに縛られていたとしたら(その向こうの場を支配する強い人?)、おかしくなっていたかもしれないな。
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