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少年は憎き戦争同化せず [2013年08月18日(Sun)]

__tn_20130818100453.jpg映画『少年H』(原作:妹尾河童、監督:降旗康男)は太平洋戦争直前から終戦直後までの神戸を舞台に、エッチこと肇少年の目で見た戦争を描いている。洋服を仕立てる父(水谷豊)が回すミシンの音がリズミカルに響いてくる映画だ。

ヴェルディの歌劇リゴレットの「女ごころの唄」。小栗旬扮するうどん屋の兄ちゃんが「風の中の羽根のように/いつも変わる女ごころ」と鼻歌でうたう。そしてレコードを肇に聴かせてくれる。肇は大人の世界をかいま見るだけでなく、苦難と暴力だけを押しつける世の中は、非常時であるとはいえ間違っていることを体で感じていく。また、女形のオトコねえちゃんなど、価値観がふつうとは隔たる人には住めない戦時体制であった。これは純粋な母(伊藤蘭)にとっても同様であり、無垢な母を父が一生懸命守っていくのが印象深い。

平時もそうだが、戦時下にはいろいろな人間がいる。大本営発表の勝利を信じ日本の正義を確信している者。ひたすら忠君愛国で行動し、馴染めない他者を非難し脅迫する者。時流に乗りイヤな奴らが多い。いじめられたり非難されることを恐れ、空気を乱さず鳴りをひそめる父のような者。正直に疑いを口にしスパイ扱いされ苦しむ肇のような者・・・・。しかし、昭和20年の8月をもって天地はひっくり返った。

神戸も大空襲を受けた。焼夷弾の恐怖が描かれた。ヒュルヒュルヒュとすすり泣くような音は、大輪の花を咲かせる花火が打ち上がるときと同じ音。爆撃機から投下された焼夷弾のまとまりは高い位置で花火が弾けるように高速度で広がる。瓦屋根を突き破り地面に突き刺さると同時に爆発し炎を散らす。燃え広がり木と紙でできた家屋を燃やす。人間を直撃すれば一撃で死ぬ脅威だ。隣組で訓練したバケツリレーなど用を為さない。

そして敗戦。父も肇も戦争というものの理不尽さを十分理解していたにもかかわらず、次の道に進めないでいた。父は肇に折りにふれて伝えていた。自分の目で見て考えよ、でも戦争のうちは表現するのではないよ、じっと我慢だよ、と。いつもひと言多い肇は正直に疑問を呈して陰口を言われるばかりか、暴力を受け特高警察に密告までされたあの日々はなんだったのか。

家を焼かれた一家は避難住宅に移り住むが、父は腑抜けになった。天皇陛下万歳、鬼畜米英と叫んでいた人々が臆面もなくアメリカ人相手に商売をする姿を見て、肇も反抗的となり無気力となった。だが、父はミシンを動かして服を縫い始めることによって蘇った。手を働かし体を動かすことが復活への道筋となったのだ。15歳となった肇も好きな絵を描く道に入って働き始める。その始めるという行為によって閉じられた心が動き、新しい展開が起きる。「肇」が「始めた」という単にシャレではない。行動することがいかにマイナスの気持ちを吹っ切り、新しい地平に立つことができるかがわかる。

(写真は、松江イングリッシュガーデンのルドベキア)
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