やるせない心情表し語り合う [2013年06月10日(Mon)]
松江駅のあたりを歩いていたら、「ああ、やるせない…」という若い女の声がした。その単語に私は反応し声のするほうを一瞥した。髪の長い細面のすらりとした女の子。白いショートパンツに薄い色のゆったりしたTシャツを着て高めのサンダルを履いている。隣にはこれも若い長身の男。デブッとしているほかは覚えていない。
「やるせない」と言えば、恋するときの言葉だ。感傷的に愛しの人を思い浮かべ、逢えないもどかしさに身悶えする。気持ちのもっていきようがなくて思い悩み、楽しかった経験を何度でも反芻する。 今まさに恋が進行中の者であっても、じゃあねと別れた刹那に、逢いたくてたまらない思いに身を焦がす。精神的に余裕がなくなって、どうにかしてよこの私、どうすりゃいいんだこの俺は、と気持ちまでささくれだってしまう。 恋の進行形の者ばかりではない。恋を失ったばかりの者は、あのときこうすれば、あんなことをしなければと後悔の念にさいなまれてやるせない。諦観して悔いなしと言い切れる者はまれだろう。 のほほんと歩いていたあの二人。互いをやるせないと思いわずらう雰囲気じゃなかったなあ。女の子の口ぶりは深刻ではなかったし。だれかが悩む様子を女の子が男に伝えようとしていたのだろうか。それとも、そもそも彼女たちにとって「やるせない」という単語には違う意味がくっついているのだろうか。自分の思うように相手に言うことをきかせられないもどかしさとか、置き場のない怒りを表す言葉としてしか使われないのだとしたら残念だ。 「やるせない」心情を吐露するのは、大和撫子であってほしいし、センチメンタルな挫折感をさりげなく恋人に伝えられる男のものであってほしいと、私は思う。 |