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『ふみハウス〜徒然の心に残る日々』 [2020年07月24日(Fri)]

DSC_3472.JPG徒然なるまゝに硯に向ひて心に移りゆくよしなしごとを書きつくれば…徒然草のように。私は旅するようにゆったりと、かつ鵜の目鷹の目で日常をとらえます。ふみハウス〜徒然の心に残る日々は、Yahooジオシティの閉鎖により2019年3月31日をもって消滅しました。
[ふみハウス リンク集]
停電時懐中電灯ランタンに [2019年09月22日(Sun)]

DSC_1527~3.JPG台風17号が近づいています。宮崎の延岡では竜巻の被害が出ています。今のところ雨は止み、風も小康状態ですが、明日の朝あたりから強風が吹き荒れるようです。

仮に停電になったときに必要なのは懐中電灯。蝋燭もありますが、安全の面で不安があります。懐中電灯が安全ですが、辺り一帯を照らすには方向性があってランプ代わりにはなりにくいのです。いいやり方を知りました。

懐中電灯を上に向け、ティッシュペーパーに乗せたり、レジ袋をかぶせるといいのだそうです。試してみると確かに、ほんわかと周囲に光が広がります。

さらに簡易ランタンができる方法があります。上に向けた懐中電灯に水を入れたペットボトルを乗せます。簡易ランタンになります。キャップ一杯の牛乳を水に混ぜると明るくなるようです。

停電は嫌ですが、そのリスクはあります。ダメージは思った以上に大きい。備えておきたいものですね。暴風て被害が出ませんように・・。

(困ったときに、アンパンマンもメロンパンナちゃんも助けてはくれない)
セミ消えて秋始まりて福祉大会 [2019年09月21日(Sat)]

DSC_0028~2.JPG死の季節が来た。どこかの国が核のボタンを押してしまって、核の冬がやってくるわけではない。蝉の歌声が聞こえなくなったのだ。夏が終わり、蝉にとっての死の季節。

昨日は台風17号の影響から冷たい雨が降った高知で蝉は鳴かなかった。今日の出雲も冷たい雨で鳴いていない。台風が過ぎてもツクツクボウシやミンミンゼミが鳴くことはないだろう。代わりにコオロギやスズムシといった地上の虫が鳴くようになったが、7月初旬から聞いてきたセミの歌声がなくなるのは寂しい。

わたしは今、防寒のため上着ばかりかネクタイまで絞めている。どこへ行くかというと島根県民会館のしまね県民福祉大会に参加する。県民を挙げて協働して福祉社会をつくる目的で毎年開かれる。多年の功績により表彰される方々の顔ぶれにも興味がある。記念講演は堀尾正明氏。NHK「難問解決!ご近所の底力」の取材経験に基づき地域活性化のヒントを様々いただけるはずだ。あいにくの冷たい雨だが有益な時間となるよう願っている。
台風に向かって進む土佐の旅 [2019年09月20日(Fri)]

DSC_1529~2.JPG台風17号の影響で高知は午後から雨となった。幸いに小雨。JR土讃線の朝倉駅から会議場の高知県立療育センターへ向かう。高知県中央児童相談所と併せて新築したばかりの会場は快適で、高知県の皆さんからは短時間ながら温かいもてなしを受けた。

会議終了後、会場近くの高知大学に寄ってみた。妻と共通の友人であるK教授にお会いする。変わらぬ佇まいがうれしい。会うのは十数年ぶりであるが、人なつっこい素敵な笑顔を見ると、こちらも満面の笑みとなる。突然の訪問にもかかわらず温かい歓待を受け、ほんの10分だが会話を楽しんだ。次は泊まりでね!と言葉を背に受けて研究室を辞去。

わたしが思う旅の三要素は、ひと、景色、食べもの。昼御飯に食べた駅前の定食屋の餡かけ唐揚げは素朴な味わいだった。店主とそのお母さんは、この味を貫いてきたのだろう。療育センターから乗ったタクシー運転手も、いごっそう的な雰囲気をたたえていた。日帰り出張ではあるが旅の気分を楽しんでいる(次は大歩危駅、まだ先は長い)。

(土佐が生んだ幕末の英傑三人。手前から武市半平太、坂本龍馬、中岡慎太郎。高知駅前にそびえ立つ巨大青銅像も旅の景色だ)
鉛筆が柔に馴染んで文字を書く [2019年09月19日(Thu)]

DSC_1522~2.JPG鉛筆を削る。機械ではなくナイフで削る手作業がいい。もっぱら使うのは9Bか10B。画材屋で買う濃くて太いのが好みだ。太いと字に表情が出て楽しい。

太いようでも字がつぶれる心配は無用。書くうちに自ずと微回転させていくので角ばった位置を使える。そのときにタッチが変わるのが気持ちいい。柔らかい黒鉛が紙になじんでかすれた感じ。実に味わい深い。

使ううちに短くなると鉛筆ホルダーが役に立つ。最後の5センチまで使える。鉛筆がまだ長いうちでも便利だ。芯先を差し込んで鉛筆ケースにするのだ。ポケットに入れても汚れない。なもんで、きょうも鉛筆のタッチを楽しんだ。
こめかみをかすめて動く空気の層 [2019年09月18日(Wed)]

DSC_1528~2.JPG風の片鱗がこめかみをかすめたと思う間もなく、正面からヒュッと吹きつけた。風は目に見える。もちろんその正体である空気は見えないが、風の流れが枝や葉を揺らす。思わぬ強風に自分がバランスを崩して風の力を知ることもある。

草原を渡る風を思い浮かべてみよう。草が順に波打ってこちらに向かってくる。そよそよと音もして、風はまさしく見える化されている。「渡る」という表現自体が絵画的で、風という自然現象を鑑賞しているようではないか。

水面を渡る風は快い。一流ピアニストの手指が鍵盤を滑るように、細かくさざ波が起っては消え、発った別の波どうしが合流して水が動く。透明な糸こんにゃくを散りばめて自由に動き回らせているようにも見える。

鳥が空を渡るのを見るがいい。逆V字に隊列を組んで羽ばたくのは憧れだ。雲の薄く渡る夕空ならば、さぞや上空から見る夕焼けが美しかろうよ。今夕の宍道湖の夕焼けは美しい。たくさんの人が待ちわびた秋を楽しんだことだろう。

(渡る風に揺れる瑠璃柳にはピントが合いにくい。それでも夕暮れの光と空にマッチした風情に溢れる)
視線上げ懐中電灯夜の武器 [2019年09月17日(Tue)]

DSC_1521~2.JPG夜ウオーキングするときは懐中電灯を持つ。振る手にまかせてブレブレ状態で歩く。目を凝らして何かを確かめたいときは肘を曲げて腰のあたりで照らす。警察官OBが懐中電灯を持った手を目の高さに差し上げて照らすのを見た。肘を直角に曲げてごっつい姿勢である。

そのメリットを考えてみた。不意の攻撃に対し、即防御する対応がとれる。高いところから電灯を振りかざせば武器にもなる。光を浴びせて相手の目をくらまし威嚇することもできる。目線から照らすのは、腰で照らすのに比べて影が出来にくくて見えやすいのもメリットだろう。腰に比べると手ぶれも少ないようだ。

昨夜は思いがけない効果を感じた。正面からアップライトで照らしてくるクルマがあった。眩しくてかなわない。足下が見えなくなって危ない。そこで高い位置からに懐中電灯をチラチラさせたら、ダウンライトに切り替えてくれた。腰から光らせていたときにはこんなことはなかったように思う。これからは、拳を挙げてごっつく照らしていこうっと。

(蕎麦畑が陽光に照らされて眩しい。澄んだ秋の光景のひとつである)
依存して高揚感にひたりたし [2019年09月16日(Mon)]

DSC_1502~2.JPGギャンブルやゲームの依存に病む人は述懐する。

パチンコ屋の喧騒が気分を高揚させる・・競馬場の解放感からすべてうまくいくと確信できる・・場外券売場の雰囲気で悦楽の入口に立つ・・ゲームのキャラクターを見たとたんにサイトに接続するよう自然に手が動く・・・。

わくわくしていいことが起こりそうな予感に満ちて、その場に臨む。うまくいって勝ったときは無上の優越感にひたり、全能感に満たされる。反対に大負けしたり、負けが込んでしまうと大変なストレスを抱える。ふつうのギャンブラーやプレイヤーであれば、勝ち続けることなどない。失敗して劣等感にさいなまれることが多いだろう。それでも気を取り直して挑んでいくが、負けて資金がなくなって生活の破綻を来すことも多い。

ゴルフを盛んにやっていたときを思い出す。数日前からワクワクして待ち遠しい。夜は早く布団に入る。アラームが鳴る前に目が覚めるのが不思議だった。ゾーンに入ってベストスコアが出たときなど、最高の気分。そんなことは滅多にない。ほぞを噛むような思いでじっと耐えるときがほとんどだ。でも魅力には抗し難くて、再び予約をしては、誰かを誘ってゴルフ場に向かう。依存症患者の気分は少しはわかる気がする。

(千日紅 (せんにちこう)は鮮烈なピンク色。気分が高揚するように思える)
練習会ギター抱えてお楽しみ [2019年09月15日(Sun)]

DSC_1519~2.JPG3人でギターの練習会。4台のガットギター、それぞれの愛器をとっかえひっかえ、音色やタッチの違いを比べながら、自分の持ち曲を演奏し合う楽しい時間を過ごす。一人で練習するのと違い緊張するが、同好の同士で刺激を与え合う。

自分だけで弾いて楽しむのは単なる自己満足。それで飽き足らないから誰かに聴いてもらう。演奏を聴いてもらうのは上手になる第一歩。下手な演奏で恥をかきたくないから、練習に身が入る。

目の前の人に何を伝えるのか。伝えようなんてことは今まで考えていなかった。せいぜい有名な曲をさらりと弾いて感心されたいとか、緊張の中でもよく弾いたと誉められたいとか、その程度のものだったのかもしれない。

それならそれでよいが、何か物足りない。演奏することで相手に何かを伝えたい、感じてもらいたい、と考えたほうがよいとある人から教わった。確かにそうだ。が、わたしに伝えるべき内面があるのか、と自問自答する。きっとある。愛情、勇気、根気、朗らかさ、理知、いろんなものがあるに違いない。

それを表現するためにも、楽譜を読む、そしてメトロノームで不動のリズムを体得する。しっかりした基礎的練習をしなければ、可哀想な演奏に終わってしまう。思想なり感情が現れる演奏というからには、ちゃんと弾けることが前提なのだ。

(オクラは習熟せずとも淡いレモン色の涼やかな花を咲かせる。いや人知れず苦労しているのかも)
停電の満月明るしギター弾く [2019年09月14日(Sat)]

DSC_0059~2.JPG昨夜は中秋の名月、今夜は満月で真ん丸。しかも雲がなくて明るい。消防署と中国電力が20時20分ごろにやって来て、近所の送電装置に故障が起こり緊急点検を行うので9時くらいにも停電になる。長くなるかもしれないしすぐ終わるかもしれない。機械を開けてみないことには状況はわからないと。

千葉で今も解決していない大規模停電の例もある。すぐに全員が風呂に入る態勢になって、洗い物を済ませて、懐中電灯を用意し、蝋燭とマッチも備えた。9時になる5分前に停電はやってきた。

まだ風呂に入っていた者のために懐中電灯で入り口から照らし、わたしは蝋燭をつけた。カーテンと窓を開けると月明かりが頼りになる。電気というものがなかった大昔には、月がどれだけ人々を力づけたことだろう。素晴らしい天然の照明装置だと思う。反対に雨だったり、新月に近いころだと暗い。よほどのことがない限り家でじっとしていたことだろう。

蝋燭を頼りにギターを取り出した。月の元のギターはなかなか乙なものだ。一曲引き終わろうとした時に電灯がついた。テレビも画面と音を取り戻した。日常が戻って嬉しくはあるが、実はわたしは蝋燭の火の揺らぎが大好きだ。

(闇を意識したデザイン。石見グラントワのロビー)
いざいざと取り替えはきく必ずや [2019年09月13日(Fri)]

DSC_1498~2.JPG【取り替えのきかない】と【取り返しのつかない】。言い回しは似ているが、貴重で大切にされている存在が前者だとすると、後者は忘れてしまいたい疎ましい事柄だ。

平穏な毎日が続くと、いつも同じで代わり映えがしない。しかし、その日、その時間は一瞬の積み重ねであり、取り替えはきかない。かけがえのない時なのだ。

大きな失敗をしたとしよう。元に戻すことはもはやできない、今となってはどうにもできない、できるなら過去に戻ってやり直したい・・・それは取り返しのつかないことなのか。

生きている限りは時間はある。取り替えのきかない大切な時を使って、また進むだけなのだ。進めや進め。きっと取り返しがつかないことはない。取り替えはきくに違いない。

(ニラの花は、細くてまっすぐな茎に咲いてどれもが同じように見えるが、それぞれは別のもの。取り替えはきかない)
ギョッとしてトイレに残す空容器 [2019年09月12日(Thu)]

DSC_1518~2.JPGギョッとした。職場の和式トイレに入ると、隅に「アロエのむヨーグルト」の空容器が置いてある。セブンイレブンのブランド名だから、近所のセブンで買って飲んだ不届き者が置き捨てたにちがいない。

さらにギョッとした。便器の溜まり場にはストローを包んでいたプラスチックごみが浮いている。このまま私が流すと、詰まることはないにしても不届きな輩に加担するようで気がすすまない。トイレットペーパーを丸めて手に取り、ごみを取り除いて「アロエのむヨーグルト」空容器の上に置く。用を済ませてから、トイレの外にあるゴミ箱に捨てた(トイレにはゴミ箱がない)。

どんな不届き野郎か、想像してみた。

臭いところが好きなクサイ奴/大汗かいてアロエを飲むただのクサイ奴/人前で飲み食いができない可愛そうな奴/ゴミはいつもは召使いが捨ててくれる無作法な金持ち/トイレで飲んだら腹をこわし酷い下痢状態のまま退散した哀れな奴/飲んだことすら忘れた不注意者/トイレで用を足したら自分の存在証明として何かを残す変な奴/手荷物を持ち過ぎてゴミを持って出るのが嫌になった無調法な奴/常にゴミを処分しないバカ者/誰かの善意を期待するノー天気者・・・・。

あーあ、考えるだけバカらしいけど考えてしまった、私は何もの?

(芙蓉の花のように優美に暮らせや、クサイ奴よ)
目まといが顔を周ってウンウンウン [2019年09月11日(Wed)]

DSC_1504~2.JPGコバエがまとわりつく。手で払っても払っても、性懲りもなくついてくる。歩くスピードに合わせて飛ぶ。今朝は結局駅までの5分間、ずっと付いてきた(同じヤツかどうかは知らないが)。

眼は赤くないのでショウジョウバエではない。調べてみるとノミバエというのだろう。整髪料や汗に反応し、アルコールなどの発酵臭や腐敗臭、たんぱく質が分解した時に出る臭いも好きらしい。加齢臭には要注意。黒色も好むようなので、髪の毛の黒さはいかんともしがたい。

「メマトイ」とも言うそうだ。なるほどよくわかる。目や顔のまわりを飛び回ってまとわりつくヤツには困ったもんだ。習性だから仕方がないのだが、この時季にはよくある話さ。

(目の前にあったとしても、決してうっとうしくはないフジバカマ。たいていは紫がかっているが、これは白い)
時を知る時にやがては管理され [2019年09月10日(Tue)]

DSC_1503~2.JPG一分一秒を争うときがある。電車に乗るのだが遅くなって時間がない。お気に入りのテレビ番組が始まるのに帰宅のクルマが渋滞に巻き込まれている。映画のチケットは持っているけれど買い物に夢中になるうちに時間が迫った・・・。ひとと会う約束の場合は2、3分は許容範囲であろうし、一刻も早く救急車の到着を待つ場合はこれにあたらない。

7時30分に発車予定の列車に乗るつもりで、駅への道を急ぐ。デジタル時計や秒針のないアナログ時計で「7:27」と表示された場合、7時27分57秒のときもあれば、7時27分02秒もある。1分近く違いがあれば大変だ。時間に精確なことは便利だが、しんどくもある。

大昔、時計がなかった頃、明るさで「昼夜」を知る。時刻を鐘で知らせる時代になると、辰の刻などだいたいの「とき」知る。家庭に時計がゆき渡り「時間」を管理できるようになる。時報で腕時計を合わせ、電波時計だと一秒の狂いもない。設定しておけばアラームが知らせてくれる。やがてコンピュータが、「時間だ、さあ動け」と指令してくることにもなるだろう。私たちは時間に管理されるようになった。

(日日草のように時間を気にせず?、悠々と咲きたい)
忘れてたいつもルーティン埒外に [2019年09月09日(Mon)]

DSC_1499~2.JPG朝ふと気がついた。忘れていた、昨日はブログを書いてない。『ブログ〜鵜の目鷹の目,旅の目で』を更新すると、ツイッターに表題の書き込みが自動的にされ、手動でフェイスブックを同内容で更新し、写真だけこれも手動でインスタグラムに入れる。この一連の動作をやってなかった。何年も続けてきたルーティンが途絶えた。

命を取られるわけでもなく、誰かから非難されることでもない。ただそれだけのことだ(案外誰か心配していてくれたかも)。きょうもまた、こうして趣味を続けられることに感謝しつつ、書き続けるだけのことである。

(夏の終わりを惜しむのか(なわけはない)、先週雨上がり後の朝顔はやけに美しかった)
人は皆思いを紡いで生きていく [2019年09月07日(Sat)]

DSC_1440~2.JPG『KINGDOM第55巻』で著者は趙国の趙峩龍に言わしめた(王騎との回想シーン)。

≪人は
 思いを紡いでいける生き物だ
 苦しみも
 悲しみも
 喜びも
 俺達はずっと
 つながって生きている
 もう随分と前から
 ずっと
 中華は かの日が来るのを待っていると≫
  (原泰久著『KINGDOM』第55巻第597話)

大中華はその思いのとおり「かの日」を迎えた。中座はあったが、今も続いている。続いているばかりか、ユーラシア大陸を凌ぎ世界へ覇権を広げる中華人民共和国。かの国の人々は「つながって生きている」。ならば、戦火を交えずに人道の価値を広げる新時代の国家、いや世界の人々を「華」という幸福に「中(あた)る」世界をつくってくれよ。
通勤の新鮮な道楽しんで [2019年09月06日(Fri)]

DSC_1505~2.JPGふだん通過するだけで降りることはないJRの駅。たまたまそこから乗る。2時間に1本程度しかない鈍行列車は出たばかりで、時間はたっぷりある。周辺を含めて散策する。

列車から見えている歩道橋。両サイドの道をつなぐ狭い橋だ。こんにちは!と挨拶。小学生の女の子たちが元気な声で返してくれる。

宍道湖が見える。灰色の湖面に夏の夕陽が反射してまぶしい。朝は刷毛で掃いたような秋の雲が広がっていたが、今は厚い雲と青空が半々といった具合。積乱雲が発生しているのだろう。

変哲もない晩夏の風景だが、十何年ぶりに見る駅の姿はすっかり変わっている。きれいに整備され、名物の勾玉(まがたま)モニュメントが観光客を誘う。鬱蒼とした木立は間引かれて明るくなった。

どことなく、旅をした気分・・・いやいやこんなんで満足してはいかん。旅に出よう、満足の旅をしよう。別世界を楽しみたい!

(花虎ノ尾 (はなとらのお)が淡くて透けた赤紫に咲いている。秋がやって来た、でもやけに暑い)
眠い目をすりすりするよ夜の中学 [2019年09月05日(Thu)]

DSC_1420~2.JPG夜間中学を全国展開していくという。文科省のプレス発表だ。夜間中学とは、市町村立の中学校で夜間授業を行う学校のことで、文科省は空白地となっている43道県・政令市に設立を求める概算要求を行った。

義務教育未修了者は少なくとも約12万人以上。基礎的な学習の場として夜間中学が有効であることに異論はない。外国人や不登校経験者が学ぶ場として貴重な存在だ。

20年以上前、山田洋次監督の映画『学校』にとても感動した。在日の人をはじめとして、貧困を主な理由として学べなかった人たちが社会的差別の狭間で苦しみながらも、力を合わせて向学心を燃やし続ける。

夜間中学がある都府県は次の9都府県。広島(広島)兵庫(神戸/尼崎)京都(京都)大阪(大阪/堺/八尾/東大阪/守口/豊中/岸和田)奈良(奈良/天理/橿原)神奈川(横浜/川崎)東京(足立/葛飾/墨田/世田谷/大田/荒川/江戸川/八王子)千葉(市川/松戸)埼玉(川口)といった具合で33校あるという。

定時制高校をこのままで、学びの場を拡大していくのはどうかとも思うが、学び直しの機会は絶対に必要だ。リカレント教育という言葉も市民権を得てきたとおりである。不登校の生徒を卒業扱いにする中学校が多いと聞く。卒業してしまったら夜間中学には通えない。制度的な改善も含めて、夜間中学から喜びの声が上がるように願っている。

(多くの個性が集まってモザイク模様の社会ができていく。夜間中学生たちよ、がんばれー)
とりあえず宿題すませ心静か [2019年09月04日(Wed)]

DSC_1509~2.JPG「とりあえず」やっておくことって、頻繁にありませんか?

・・・・本格的ではないんだが、とりあえず間に合わせで修理する。満足できるものではないが、ないよりはまし、だと思って処理する。調べものの仕事がきた、手近な資料で間髪を入れずに処理してしまう、チェックはまたあとで。用件の向きはだいたいわかった、ひとまず、さしあたってイエスの返事をしておこう・・・。日常茶飯事です。とりあえず、という言葉を、よく使うような気がします。

ということで、今夜も取り敢えず、書き終えました。宿題を取り敢えずこなした感じですね。

(宵待草は、とりあえず咲くなんてことはしない。使命として真剣に咲く。たぶん)
夏過ぎて甘い匂いのスイーツか [2019年09月03日(Tue)]

fumihouse-2019-09-03T19_47_45-1-thumbnail2.jpg辺りに甘いほのかな香りが漂っている。小さな川の縁にあるコンクリート壁には、葛の蔓が一面を覆って広がって、スペード状の大きな葉っぱが繁茂している。香りのもとを探してみると花がたくさん咲いている。藤に似たこの花は、ピークを過ぎて花びらにはシワが寄り、赤紫色も艶やかさを失いつつある。

葛の花は夏の終盤に咲く。くず粉にして菓子や料理、葛根湯にするでもない(とんでもなく手間がかかる)。雑草として生活の邪魔をする。葛は森のマントと呼ばれ、暑さ寒さを和らげるというが、この時節たいして役にたちそうもない。

きょうは蒸し暑さがぶり返したが、あの地獄の熱波を思えばなんのことはない。熱帯夜に苦しむこともなく、すやすや眠ることができる。今夜はいつもより遅い時間に帰宅する。本格的な秋は目前。よき夜となりますように(^o^)/
プレゼントたっぷり時間を与えたし [2019年09月02日(Mon)]

fumihouse-2019-09-02T18_27_09-1-thumbnail2.jpgかつて若い頃、朝まで仕事に向かうことがあった。必死になってワープロ(パソコンではなく専用機の頃があった)に向かって資料を作り印刷をし、コピーして切り貼りをして、必要な形にする。

間に合ったはいいけれど、その後は抜け殻のように能率は上がらない。うとうと眠気がとれず、風呂にも入らず髭も剃ってないから気分もすぐれない。効率は上がらず、その日は撃沈。徹夜してもあとがよろしくないのだ。何度かの経験で、朝の一時間は夜中の三時間に匹敵するというのが私の持論となった。

プレゼンティーイズム(Presenteeism)という言葉があるそうだ。アブセンティーイズム(Absenteeism/病気で欠勤する」ほどでもないが、出社していながら体調が悪くて生産性が上がらない状態のことを、プレゼント(Present/出社)と組み合わせた造語である。

形式的には仕事をしているように見えても、実は仕事をしていない。疾病就業とも訳されるが、サボタージュも含めて使用者に労働損失を与える。俗に言う開店休業状態だ。

働き方改革にあたっては日本人特有の生真面目さが壁となる。「自分は休むわけにいかない」意識が元になって、労働時間の削減が進まない。お上が主導すると一気に構造変化を起こすというのは、日本人のお得意だが、今回が最大のチャンス、あるいは最後の機会かもしれない。

(ホテルの天井は円やかで円満そのもの。淡い赤みも放って見る者を穏やかにしてくれる)
集団が大きくなって滅び行く [2019年09月01日(Sun)]

fumihouse-2019-09-01T13_30_15-1-thumbnail2.jpg集団で作業すると能率が落ちる。集団が大きくなるほど一人ひとりが出す力は小さくなっていくという。

かつて中華人民共和国の農村にあった人民公社は、農業を集団化した。ソ連でも国営農場や集団農場が主体だった。各自の労働に応じて利益を分配するという建前はあったが、破綻してしまったのは、効率が悪いばかりか、数百万単位の餓死者が出る結果になったからだ(特に中国)。核心は、サボる者がいたことである。

今朝は共同作業の日だった。取りかかりに時間がかかる人がいる。掛かっても話に夢中で手が進まない人もいる。ある程度目処がたつと、世間話に戻る。いっぽうでひたすら手と足を動かし続ける人がいる。私にはそこまでできないが、次々と仕事を見つけてマメに作業をするえらい人だ。

年一度の朝飯前の作業に目くじらを立てる必要はないが、組織が岐路に差しかかってたような時にサボる者がいる組織に将来はない。

(自治会の集会所のそばにはアメリカ・ノウゼンカズラがあった。長らく咲いてきたが、もう終わりかな)
夏終わりスイカの種を外に出す [2019年08月31日(Sat)]

fumihouse-2019-08-31T11_35_52-1-thumbnail2.jpgわたしはスイカの種を出すことができない。種を噛みつぶしてクシャッなるのも嫌だから、サクサクと果肉を噛み砕いて、さっさと飲み込むと種は知らぬ間に胃に収まっている。

害はないわけで、消化せずにウンチと一緒に排泄されるだけ。益もない。繊維質ではないから便秘解消には役立たない(もっとも私は便秘ではない)。庭でもって種飛ばしするのは好きだ。

たまたま舌や前歯の辺りに出てきた種があれば、プッと吐き出す程度だから、なん切れ食べてもほとんど皿には種がたまらない。たぶん、私がご飯に混じった砂や魚の小骨が苦手なのは、ここらへんにあるのだろう。舌と歯で選り分けて排出するのが苦手なのだ。

(今朝わたしの胃に収まったスイカ。この夏最後になるだろう)
ロボットの腕が味噌汁こぼしたり [2019年08月30日(Fri)]

fumihouse-2019-08-30T07_38_06-1-thumbnail2.jpg左側にあった味噌汁を正面にもってこようとして、右手で運んだときに悲劇は起こった。並々入っていたわけではないが、勢い余って汁がこぼれ、チノパンツの両太ももを濡らした。面積にして文庫本を開いたより広いくらい。なにやってんだオレ!と叫びながらタオルを濡らす。揺らさず静かに運ぶべきなのに、焦る気持ちが手や腕に狂いを生じさせた。不如意な調整途中のロボットのようだと自嘲する。

トントントントン周囲まで水で濡れるほど叩いて拭き取る。そして乾いたタオルでまたトントン。替えていけ、と言う家人の忠告も聞かず(時間がなかった)、そのまま出かける準備をして、今列車に乗っている。

速乾性のチノパンが乾いてくるにしたがい、味噌汁の臭いを漂わせてきた。ここ数日、定番の酒粕が切れていたのは幸いかもしれない。味噌と出汁、油揚げに豆もやし、ワカメの入った味噌汁の匂いとともにいる。周囲の人よ、勘弁あれ!

(小薔薇の香りとは似ても似つかぬ)
口角を上げて強さに笑顔なり [2019年08月29日(Thu)]

fumihouse-2019-08-29T18_12_13-1-thumbnail2.jpg≪英語の「smile」には「運が開ける」という使い方もある。ドイツの文豪ゲーテは「勇敢に、誠実に耐え抜くものにのみ、幸運は微笑みかける」(国松孝二訳)と。「笑顔」は人間としての強さの証しでもあろう≫ (聖教新聞〈名字の言〉 2019年8月7日付)

でれっとして締まらない日には敢えて口角を広げ、ほっぺたに力を入れてみよう。頬が引きつるような局面に臨んだときも笑顔を浮かべよう。背骨に心棒を差し入れるのだ。勇気の出る言葉を口に出して自分に言い聞かせるのだ。楽しみなことを思い浮かべて喜ぶのだ。そのベースは笑顔。さあ笑顔を浮かべて強くなる、良くなる、楽しめると決めていこう。
特別に大雨情報知らせるよ [2019年08月28日(Wed)]

fumihouse-2019-08-28T18_26_44-1-thumbnail2.jpg佐賀を中心にして福岡、長崎に大雨特別警報が出た。島根にも未明に目が覚めるほどにどしゃ降りして、大雨洪水注意報となった。佐賀県は特にほとんど全域が紫に塗り込められており、数十年に一度の大規模災害が迫っている、もう起きている可能性が高い、最大級の警戒を!と気象予報官が訴える。

幸いに午後になって特別警報は解除されたが、降りようによっては再警報もあり得ると。梅雨末期のように湿った空気が次々と熱い海から供給されている模様。

特別警報は6年前にできた。それまでの警報は、必ずしも避難につながらず、度重なる人命損傷につながった。異常事態が迫ることを知らせるのが、特別警報である。

6年前にも書いたが「特別」という言葉が月並みなのだ。至るところにあって、言葉自体に「特別」感はない。すでにこの言葉は目新しさをなくしている。

しかも異常気象が頻発することで、そのたびに全国にその知らせがばらまかれると、ああまたか!?と誰もが思ってしまって具体的な行動に移らない。そんな悪循環に陥っているように見える。軽率に考えると命を落とす。油断大敵である。九州北部の雨が小康状態のまま終息してくれることを願う。

(アベリアの季節も終わる。大雨ももう大概にして終わってくれや)
年寄を笑うな子供叱るなよ [2019年08月27日(Tue)]

fumihouse-2019-08-27T18_10_17-1-thumbnail2.jpg日本に古くからあるのか、比較的新しい箴言なのかは知らないが、こんな言葉がある。

  子供叱るな 来た道じゃ
  年寄り笑うな 行く道じゃ
  来た道行く道 二人旅
  これから通る今日の道
  通り直しのできぬ道

よく子供は失敗する。思わず叱りたくなる。叱られたくなくて子供は嘘をつく。見え透いた嘘でバカバカしい。また叱りたくなってくる。いきり立った大人に対し、あんたも子供時代があったろう、まぁ落ち着けや! 戒める。

年寄りは列の前でもたつく。さっき言ったばかりじゃないか。もう忘れたのかよ! と笑われたり、嫌悪されたりして身の置きどころがない。カリカリする壮健な人に対して、あんたもいずれ行く道だ、そう怒るなよ! 戒める。

「二人旅」というのがわからない。大切な伴侶のことだろうか。それとも叱る相手の子供、笑う相手の年寄りとあんたは一蓮托生の存在だと戒めるのか。あるいは単に語調を合わせて、旅は道づれ世は情け、ときたものだろうか。

同んじように思えても「通り直しのできぬ」毎日なれば、大切にしましょうぞ。

(人生の旅は若い笹の縞のように交互の色模様)
出会いには第一印象この上なし [2019年08月26日(Mon)]

fumihouse-2019-08-26T18_06_55-1-thumbnail2.jpgファースト・インプレッションは大切である。相手を見る際はもちろんのこと、自分が相手方にどう受け取られるか。第一印象を大切にしたい。やがて化けの皮がはがれたり、思わぬ良さが現れたりすることもあるので、第一印象を引きずるのは良策ではないが、大事であることに間違いはない。

会って目を交わした瞬間にこちらに対する相手方の意欲や心構えは見える。言葉を交わせばさらに印象は強まる。反対に木で鼻をくくったような態度があれば、その程度の人だと思ってしまう。わずか数秒で印象は決まると言ってよい。見た目が55%、声の感じで38%というメラビアンの法則など持ち出さなくても、私たちは直感的に相手との距離を知る。

見た目、というと顔のシワやシミ、服のセンスもどうにもならないが、せめて清潔感は感じさせるように努力はしているつもりだ。出逢いのその瞬間、大切にしたい。

(萩の花との出会い。熱い暑い盛りのことだった)
新しいパラダイスなりシチリア島 [2019年08月25日(Sun)]

fumihouse-2019-08-25T21_18_42-1-thumbnail2.jpgこの世はキスでできている。何年かぶりで映画『ニュー・シネマ・パラダイス』を見てそう思った。

いろいろなキスがある。親しき仲の抱擁と頬ずり、寝入った子供の足裏をすりすりする。これらも含めて身体接触の先にキスがある。

キスの集合体があった。アルフレードがトトに残した形見。かつて自主検閲によって切られたフィルムをつなぎ合わせたものだった。愛のクライマックスシーンが集められている。躊躇しながらの口づけ、磁石のN極とS極が一瞬で吸い付くようなキス。軽いタッチのキス、待ち焦がれた末のキス。愛する二人が交わす唇と唇、口と口・・。

トトは子供の頃、アルフレッドと一緒に観た映画を思い出しただけでなく、美少女エレナと重ねた愛の軌跡を思い出し、今の自分があることを改めて思う。生活に疲れたトトに気力が蘇る。

この世はキスでできている、とまでは言えないが、ひとに生きるエネルギーを与えてくれるものなのだ。

(優しく語りかけキスをするようにロマンチックな演奏をする・・・そう簡単にできることではない)
神々は守るや否やわが出雲 [2019年08月24日(Sat)]

fumihouse-2019-08-24T11_22_47-1-thumbnail2.jpg先日の台風10号、出雲地方にとって大山鳴動してネズミ一匹とはこのことだ。瀬戸内海から広島に入り、台風の中心辺りが出雲を過ぎていった。大雨警報・暴風警報が出ていたが、雨は少ししか降らず、風も吹き返しで少々あったのみ。他の地域では大きな土砂災害こそなかったようだが、氾濫した川があり、風の被害が出たところもある。何よりも計画運休で交通機関が止まったことの影響が大きかった。

出雲は災害が少ない、出雲の神々が守ってくれているという声をきく。八百万の神々が集まるのは旧暦の神在月じゃあないのかい? まあそれはいい。でも神々に言ってやりたい。狭い出雲だけを守るんじゃねえ! 島根全体を、日本を、世界を守れやと。八百万の神々は、あまねく諸天にあって善き神であれ! 地球の守り神たれ。

昭和58年や63年に県西部・石見を中心に起こった大災害を忘れてはならない。平成に入ってからも人の命が損なわれる大雨災害は起こった。昨年の西日本豪雨では江の川が氾濫している。油断してはならない。人間の経済活動で招いた地球温暖化を止める努力を重ねなければ、出雲を守護する神々もどこかへ去っていってしまうだろう。
ワーキング好きこそ物の上手なれ [2019年08月23日(Fri)]

fumihouse-2019-08-23T20_22_34-1-thumbnail2.jpg朝のラジオ講座を聞いていたら、Enjoy(楽しむ)のあとに続くing形に使われる動詞のベスト3を教えてくれた。

3位が playing。2位は doing。そして1位が working だ。ネットも含めて世に出回っているテキストや発話を大量に集めたコーパス(corpus)によるものだから、ほぼ英語世界において使用頻度が高い単語と考えてよい。

Enjoy working かぁ。働くことを楽しむんだなあ。キリスト教徒は仕事を一般に苦役と考えると思っていたが、必ずしもそうではないらしい。もちろんworkには、何かを操作したり、操業したり、耕す、活動するなどの意味があるけれども、広い意味で仕事である。

さあ、仕事をうんと楽しもう! と思ったが、明日は土曜日、幸いに休みだ。てなもんで、やっぱりオフがいいってもんだい。

(夏水仙も自分の仕事を楽しんでいる。咲くという大切な仕事)
気のせいさ若いと老いたは紙一重 [2019年08月22日(Thu)]

fumihouse-2019-08-22T18_31_15-1-thumbnail2.jpg日本では「若い」と言われると喜ぶ。若いことにプラスイメージがある。反対に「老い」は負の感覚だ。「まだ、若い」と「もう、老いた」、この言葉には対極の価値観がある。

若いは綺麗(あるいは素敵)の十分条件か? そんなことはない。猫背で立つ姿の見苦しい若者が多いことよ。凛とした後ろ姿の美しい年配者も多い。それでも、若く見られたいと誰もが望み、シワやシミが増え体力がなくなったと嘆く。

老の字が意味する、古くなって役に立たないイメージが強くなり過ぎたのだ。本来ある「経験を積んだ人」(老練など)の意味が消えてしまったように思える。だから尊称としての「老人」の言葉は死んで、むしろ差別的言葉にすら聞こえる。

「老」は、腰を曲げて杖をつく人の象形から出来ている。ということで、年寄りを大事にしようではないか。もっと大事に扱ってくれよなぁ。

(立派な待合いベンチになった年輪を刻んだ巨木。おっと、このくぼみが棺の人型に見えてきた)
収縮しこむら返りに目が覚めて [2019年08月21日(Wed)]

fumihouse-2019-08-21T18_27_55-1-thumbnail2.jpg目が覚めた。よく寝たようだから、間もなくアラームが鳴るだろう。右足ふくらはぎに違和感あり。案の定、数秒後に足がつった。手を伸ばしたがもう遅い。筋肉が緊張してこわ張る。痛い、たまらない、誰が助けて・・。

揉みほぐしても緊張は解けない。姿勢を替えて体を起こす。30秒以上苦しんだろうか。ほっとひと息ついて横になったとたん、再びこむら返り。収まるまでの長い時を待って(とてつもなく長く感じる)、立ち上がった。急いで水を飲む。夕方の今になっても右足に変な感じが残る。誰がたっぷりマッサージしてくれないだろうか。

足はなぜ、つるのか。ふくらはぎの筋肉が伸びているという信号を中枢神経が受けとるのだが、神経伝達に不調が起こって、必要以上に収縮せよ!と信号が出てしまい、ふくらはぎが過度に収縮してしまうのだそうだ。

原因として考えられるのが、水分やエネルギーが不足して、筋肉からの信号がうまく出なくなるのが一つ。風呂上がりに水分補給をしたはずなのだが・・。体の冷えによって筋肉が過緊張する。昨夜は涼しくて寝やすかった。寝る前にはエアコンも使っていたし、それが原因か。三つ目が加齢による筋力の衰え。以前から夜中につることは多かったから、今さらかな?

寝る前のストレッチとマッサージを1分くらいはかけようかと思う(今はわずか10秒)。そして、水分補給も改めて確実にやっていこう。

(足がつると、地味で古い革のトランクのように、世界は色を無くす)
儚んで死んではならぬ命は大事 [2019年08月20日(Tue)]

fumihouse-2019-08-20T18_46_50-1-thumbnail2.jpgまだ先だが、9月10日からの一週間は自殺対策基本法によって「自殺予防週間」とされている。島根県では、自殺ではなく自死という用語を使ってキャンペーンを行う。自死の言葉には、自殺はいけない!という心理的抑制力を弱めてしまうという反対意見もあるが、亡くなられた方や遺族、未遂者の尊厳を傷つけないよう配慮する意図がある。

いずれにせよ、誰かを自死に追い込んでしまう社会は闇である。啓発活動がもっと必要であることに異を唱える人はいないだろう。悩みをかかえた人が受けてほしい支援の中核は相談体制。そして周囲の心遣いである。厚労省が作ったここ数年のポスターを眺めてみた。

【H27】気づきの輪、もっと広げよう
【H28】そばにいるからね。あなたのために、何ができるのだろう。
【H29】あなたが悲しいと、わたしも悲しい。あなたがうれしいと、わたしもうれしい。
【H30】ほんの少しの勇気と行動が 世界をやさしくする

変化に気づき、声をかけ、寄り添う。じっくり耳を傾け、温かく見守って、支援先につなげるのがゲートキーパー。みんなが助け合って、自死に追い込まない、追い込まれない社会をつくろうと訴えてきた。

その甲斐あってか、1998年から14年連続で3万人を超えていたのが、2012年以降は3万人を下回った。2万人以上が自ら死を選ぶというのが異常であることに変わりない。そして今年のコピーは次のとおりである。

  待っています あなたの声を
    悲しい・つらい・助けて・苦しい

こころの健康相談統一ダイヤル(0570-064-556)やSNS相談の検索先も示した上で、身近な人が見守り援助のゲートキーパーになることで命を絶つ人を減らそうと訴える。ゲートキーパーとは特別な人でなくてもできる、いつでも・だれでも・どこでも・・・とその役割を強調する。つまり、温かい社会というのは少しおせっかいなのだと思う。

(武田信玄公の肖像がたくさんの人の写真で出来上がっているように、人間は一人では生きられない。温かい一言をかける勇気が必要だ)
沁々とうらぐわしくて秋の夕 [2019年08月19日(Mon)]

fumihouse-2019-08-19T17_29_32-1-thumbnail2.jpg【心細し】
もちろん、「こころぼそし」と読む。「うらぐわし」とも読むそうな。知らなかったぁ。万葉集には次の文があるという。

 朝日なすまぐはしも 夕日なす心細しも(朝日は目映く美しく、夕日は心にしみて美しい)

心にしみて美しいさまを、こんな日本語で表現するなんて知らなかった(古語だが)。羽田空港に「旅する日本語展二〇一九」という展示があり、読み進めるうちに出会った言葉である。旅と日本語をテーマにして耳慣れないけれど美しい日本語を脚本家の小山薫堂氏が執筆している。空港の搭乗ロビーにふさわしい旅情を添えた。一部を引用する。

  自分の内側を見つめるには
  確かにひとり旅がいい。
  素敵な風景や人の優しさに触れて
  心の中でそれらの美しさを反芻すれば
  それが自分のいちばん深いところに沁みこんでいく。

  うらぐわし
  ――――
  心にしみて美しいさま。

(ひまわりの花で出来たクマのプーさんは心細くない。なんせ、花嫁も花婿もそばに座っていてくれるんだから)
結婚し親族のかたち新展開 [2019年08月18日(Sun)]

fumihouse-2019-08-18T15_08_00-1-thumbnail2.jpg結婚する。形式は文化によって様々だが、男女が出会い、結ばれ誓い、同じ屋根の下で暮らし(例外あり)、新しい家族をつくる。組み合わさった縁が輪を広げ、姻族・血族が新しい関係性をつくる。

結婚の儀式では、親族同士が旧交をあたため、新たな出会いもあって一族としての新出発となる。続く披露宴では、酒を酌み交わす祝いの宴で笑顔が絶えない。親族は新たなパワーを獲得していく。

人間というものの強みは仲間をつくり、協力して危機を乗り越えること。ホモ・サピエンスはそうして進化してきた。結婚の縁が厄災の元となる副作用もたまにはあるが、親族という縁が果たしてきた役割は計り知れない。DNAを複製するという無限の組み合わせの妙から、人類は英知の可能性を開いてきた。

義理の姪っ子が結婚した。おめでとう! 花嫁は二人の姉に並んで華の和を広げた。若き美人三姉妹の人生行路はすでに分かれてはいるが、仲は睦まじく麗しい。それぞれが善き伴侶とともに幸あれ! そして悪戦苦闘をずんずんと乗り越えていってくれたまえ!

(人前結婚式で見せてくれたウェディングドレス後ろ姿)
体操で均整とれて健康に [2019年08月17日(Sat)]

fumihouse-2019-08-17T12_46_42-1-thumbnail2.jpgラジオ体操を見せる「テレビ体操」を週一度、日曜日のEテレで見ている。短歌と俳句講座の合間の10分間(朝6時25分〜35分)なのだが、この番組の作りは、編集なしで音楽もタイトルも同時に入れるのだそうだ。NGが出ると一からやり直す。

東京女子体育大学の卒業生が多いが、前半は3人、後半が7人の模範体操がある(一人は椅子座りで軽めの動き)。たいていは寝っころがってボーッと見るばかりだが、たまに触発されてやってみる。

手足を伸ばす、勢いをつけて曲げる、縮めてからぐんと伸ばす。そのうちに汗をじわりとかいてくる。チンタラやっている時には気がつかないが、意外とハードな運動であることがわかる。均整のとれたプロポーションのアシスタントがテンポよく動くこともあるが、体操は利にかなって美しいことに感心する。

ただいま中央線のあずさ号に乗って甲府へ向かっている。旅行中なもんで、明日は見ないだろう(関東地方には猛暑がぶり返している)。
夏が来て去る日を思うツクツクボウシ [2019年08月16日(Fri)]

fumihouse-2019-08-16T21_10_41-1-thumbnail2.jpgツクツクボウシはお盆の入り13日にやってきた。去年より11日遅い。ウィーウィーウィーウィー ツクツクボーシ、ツクツクボーシ、ツクツクボーシ ウィーヨウィーヨウィーヨ。グジュグジュ……と終わるのも好きで聞き惚れる。三段、四段の多重奏を独り奏でる。

いつも蟬のことを書くのは、この通奏低音が夏になくてはならないからだ。9月も末になって蝉時雨がなくなると寂しい。初鳴きをまた書く(私が聞いた日)。

 7月 8日 ニイニイゼミ
 7月10日 ヒグラシ
 7月19日 アブラゼミ
 7月26日 クマゼミ
 7月29日 ミンミンゼミ
 8月13日 ツクツクボウシ

ツクツクボウシが仲間に入って蟬の夏が完成した。そう遠くない日に秋の風は吹く。

(近頃のペンライトは派手だ。King & Princeのコンサートで使った。もちろん私が使ったものではない)
天才が一夜に見積り数式で [2019年08月15日(Thu)]

fumihouse-2019-08-15T12_53_14-1-thumbnail2.jpg『アルキメデスの大戦』では、菅田将暉の怪演が見られた。怪しいというか、迫真の議論場面、そして一心不乱に複雑な数式を黒板に書き記して居並ぶ海軍幹部たちの鼻をあかす。人を説得するとはこれだけの力量が必要なのかと思う。それは数学に限らない。並外れた何らかの技量に加えて、相手や国家を思う真心が合わさった時に人は感動し、納得してくれるものだからだ。

東京帝大の中退学生から、いきなり尉官を超えて海軍の佐官(小佐)になった櫂(かい/菅田将暉)。配下となった少尉(柄本佑)にとっては、軍隊経験もない若造が上官となる屈辱であったが、やがて櫂の姿に魅せられていく。二人の掛け合いに笑った。

美しいと思うものを何でも測らずにはおられない天才数学者・櫂。変人である。そのことを公言してはばからない。戦艦だろうが、芸者や美女だろうがサイズを測り、美しさの由縁たる比率を導き出そうとする。雅な遊び・投扇興をするにあたっても数学的に解明しようと試みる。その櫂が海軍に入って櫂で船を漕ぐことはないにしても、櫂君と呼ばれると海軍が連想されてシャレになる。

自己の利益を最大限得ていこうとする我欲、組織の深謀遠慮が渦巻いていた。議論に勝ったはずの技術の造船中将に櫂が最終的には屈してしまうのも、議論の力であった。アメリカとの戦争を避けようと論陣を張っていたはずの山下少将一派にも腹に一物があった。「数字はウソをつかない」と数学の力を信じた櫂だったが、人間の力というものに最後は丸め込まれてしまったようだ。

(オミナエシの季節。74年前のあの日にも、小さな五角形の花弁を咲かせていたことだろう。今日は敗戦の日。日本の再出航であった)
激しくて渋滞ゆるりと進んでる [2019年08月14日(Wed)]

fumihouse-2019-08-14T19_20_46-1-thumbnail2.jpg帰省ラッシュで激しい渋滞が各地で起こっているとニュースが先週末に伝えた。「激しい」に違和感があった。

渋滞最後尾にトラックが突っ込んで十数台の玉突き事故、というならば「激しい」と表現するにふさわしいが、自動車道をとろとろ進む車列のなんと穏やかなことか。仮に事故が起こっても、ついうっかり前の車にコッツン程度で重大事にはならない(処理は大変だが)。

ここでいう「激しい」は、渋滞の程度が甚だしくて目的地に到着するまでは険しい道程が続く、焦りまくってうんざりした気分を表している。当人たちにとっては「甚だしくきつい」のだが、気持ちはゆらゆらと「激しく」動いている。

激しいといえば、台風10号の接近に伴い、これから暴風が吹く。猛烈な雨も心配されている。まさに、激しい気象に生活が翻弄される一昼夜となりそうだ。どうぞご無事で!

(ドラマ「凪のお暇」で凪ちゃん(黒木華)が美味しさを強調した完熟したゴーヤ。まあ甘い、でも全部食べる気にはならない。私たちの舌は贅沢だ)
悲しみの八月半ば蝉時雨 [2019年08月13日(Tue)]

fumihouse-2019-08-13T18_21_25-1-thumbnail2.jpg1985年8月12日に事故は起こった。羽田から大阪・伊丹に向かう日本航空のジャンボ機123便が群馬県の山奥に迷走の末墜落し、520人が死亡した日航機墜落事故である。お盆休暇前の月曜日、帰省客やビジネス客多数が惨禍に遭われた。

3年前の2016年から始まった最も新しい国民の祝日「山の日」はその前日の8月11日。山に親しみ山の恩恵に謝することが趣旨であるが、お盆休みにまとめて連続休暇を取りやすいとして、当初は12日に決まっていた。

しかし、8月12日は墜落事故の日であり、しかも墜落したのが御巣鷹の山中であったことから見直しが求められ、8月11日に変更された。漢数字の八の下に11を置くと山裾に2本の立木があるように見える、あるいは山に向かって進む一本道があると言われたが、後付けの知恵である。

今日は13日。夕刻はお盆の迎えとなる。日航機事故、広島・長崎の原爆、太平洋戦争敗戦の日、そして初盆も含め、亡くなった多くの方々のために法要の数日間が始まる。蝉時雨がかまびすしい。

(多少派手目の迎え火か? 11日夜の出雲おろち祭りの花火)
ひとは皆空と宇宙とつながって [2019年08月12日(Mon)]

fumihouse-2019-08-12T14_54_34-1-thumbnail2.jpg「ひとは誰もが空とつながっている」、帆高が発したそんなセリフが印象に残る。天気が気分に与える影響は計り知れない。太陽が燦々と照りつける春の朝と激しい雨音に目覚めた朝とでは、比べるべくもない。

映画『天気の子』は陽菜を「天気の御子」とした。すなわち天気という神につながる「巫女」。人柱と表現したが、むしろ生贄である。晴れる願いを天が聞きいれる代償として、陽菜は自分を差し出さなくてはならなかったが、帆高は諦めなかった。

新海誠監督の前作『君の名は。』では、三葉と瀧は逢魔時を媒介にして運命を開きあったが、最後には相手の名前ばかりか、相手の存在すらも認識できなくなる。今回は穂高と陽菜はハッピーエンドになりそうだ。最初の映画、『言の葉の庭』を見たくなってきた。

高校生や中学生がたくさんいた。なかでも男の子が多いのが印象的だ。あんなふうに告白したいのだろうなあ、と思う。彼らにとっては地球環境が危機的に変化している現状を憂う社会派ドラマではなくて、甘酸っぱい青春映画として見えたのかもしれない(巨大プール何十杯もの雨水が一度に落ちてくる豪雨の形容。あれは彼らにも響いただろう)。

ひとは誰もが空とつながり、天気は地球と一体、そして宇宙ともつながる。恋愛模様も含めて人間の営みは地球だけでなく、宇宙をも動かす。なんせ、天気は天の気分なのだから。

(熱帯夜が昨晩はましになったとはいえ、今日も酷暑が続く。台風10号が秋の空気を運ぶという観測に期待したい、被害は無しにして)
ほうれんそう旨い食べ方おひたしに [2019年08月11日(Sun)]

fumihouse-2019-08-11T06_42_17-1-thumbnail2.jpg@Hound_7氏によれば、【ほうれんそう】は、【おひたし】にしてたべると上手い(旨いではない)のだそうだ。

ほうれんそうは常識化した報告・連絡・相談であるが、おひたしは次の頭文字である。

 お/怒らない
 ひ/否定しない
 た/助ける(困り事あれば)
 し/指示する

氏はこのことを心掛けることによって、たとえ悪い事柄でも部下(とくに新人)は早めに相談してくれるようになるので対策を打ちやすいと。22.9万ものいいね!がされた。

気になることが出てくれば上司(先輩含む)に報告する。関係者や部署に連絡し、不慮の事態に備えて相談し助言を受ける。これは風通しの良い職場や人間関係がないと難しい。報告のたびに小言や軽い叱責が待っているとすれば、ほうれんそうなど気軽にできないではないか。部下をもつ者は誰もが心しておきたいことだ。

(鋭いビジネス感覚の中にも、ホッホッホとにこやかに鷹揚たる態度でありたいものだ)
暑い中胸のポケット熱いよお [2019年08月10日(Sat)]

fumihouse-2019-08-10T09_26_07-1-thumbnail2.jpgスマホが熱い。胸ポケットに入れているのだが、ここ数日、ホカホカだ。寒い頃なら歓迎しても、今の時季はかなわない。熱いのは暑さのせいだ。

炎天下の自動車に放置するのは論外としても(死んでしまう)、アプリを開きっぱなしだと発熱する。特に地図やブラウザ、SNSは閉じずにそのままにしておきやすい。それでなくても忙しいCPU。できるだけ休ませてやりたいものだ。使いながらの充電などもってのほか、バッテリーに負荷をかけ過ぎてはいけない。

発熱したスマホを急激に冷却すると結露する。冷蔵庫に入れたり、防水だからと氷水につけたりするのは厳禁。できれば電源を切って扇風機に当てるのがよいそうだ。

スマホとともに暮らす毎日、大切なパートナーである。大事にしてやりたい。もちろん依存的になっては生活を崩す。あくまでも適度に、が一番。

(スマホと違い、茄子の花には適度な水分が必要だ)
ミンミンが森の彼方に消えていく [2019年08月09日(Fri)]

fumihouse-2019-08-09T19_50_29-1-thumbnail2.jpgこの夏は7月29日がミンミンゼミの記念日。記念日だって? そう、記念日なんだ。その日の朝、うちの近くで初鳴きを聞いた。暑くなる日中のことは忘れて、声に聞き惚れた。

だがそれっきり、とんと聞こえない。目立ちすぎて鳥に食われたのだろうか。それとも寂しく死んでしまったのか。どこもかしこもニイニイゼミとアブラゼミ、そしてクマゼミの天下である(不思議と松江市内ではクマゼミを聞かない)。ミンミンくんは、絶滅危惧種となって、天然記念物化してしまうんじゃないかと危惧している。

彼らは生きる存在として、鳴き声で主張している。ミンミンゼミよ、土から出でよ! ここ出雲で生きる証をたてるのだ。君たちが孤高の鳴き声を披露してくれるのはいつだろうか。楽しみにしているよ。

(典型的だと私が思うムクゲの花は、肌がきめ細かくて)
炎天下20年前とは様変わり [2019年08月08日(Thu)]

fumihouse-2019-08-08T12_30_41-1-thumbnail2.jpg炎天下、目的地近くでバスを降りて歩いていたら、20年前を彷彿とさせる光景に出くわした。シルバーヘアの紳士が汗をぬぐいながら前を歩いている。

仕立てのいい濃紺スーツの上着を左手にハンカチと一緒に持ち、右手には少し大きめのビジネスバッグ。黒い傘を乗せている。台風由来の雨が降ったのは前日だから、出張帰りか、昨日松江にやって来たビジネスマンとみた。ワイシャツは鮮やかなブルーでひとつ折り返してある。シャキッと歩いてはいるが暑そうだ。ネクタイをつけていたかどうかは確認できない。

クール・ビズが言われるより前から夏のネクタイを止める動きが出た。それでもオシャレさんはネクタイを解かず、長袖に腕を通した。クール・ビズとなって、酷暑が尋常でなくなって、夏の服装は急速に清涼化しメーカーが宣伝に力を入れた。ポロシャツは定番となった。

シルバーヘアの人の後ろを歩く私はというと、コットンパンツ仕様のウルトラライト・パンツで軽くて涼しい。むろんポロシャツで、日傘までさしている(多少抵抗感は残るが)。わたしは今さら20年前には帰れない。

(百日紅は猿滑る。すべすべで光沢のある幹。花はその名のとおり透けた紅色が爽やかだ)
上陸し思うがまま暴れゴジラ [2019年08月07日(Wed)]

fumihouse-2019-08-07T17_11_02-1-thumbnail2.jpgきのうは午前5時に台風8号が宮崎市付近に「上陸」した。台風は見えないが、観測されるレーダーや気圧配置で台風はそこにいるのがわかる。暴風やどしゃ降りの雨で台風が上陸したであろうことがわかる。しかしそのものは見えない。観測予報で見える化されるのが当たり前になってしまったが、便利な世の中だ。

ゴジラをはじめとした怪獣は海や空からやって来て「上陸」した。姿は見える。直前になれば上陸地点が判明して避難誘導が始まる。みな必死で逃げる(へらへら動くエキストラがいたものだが、今のゴジラ映画は真に迫る)。見えるということは大事なことだと思う、人を動かすから。

迫り来る危機はふつうは見えない。まあなんとかなるだろう、今までもなったわけだし。自分には火の粉は降りかからないさ・・・そうした正常化の偏見ってやつで、人は危機を小さく見積もる。

9号と10号も続けて列島をうかがっている。高い海温は台風にエネルギーを与え、日本近海で急速に強力になる。被害が出ませんように・・・。

(屁糞かずらというありがたくない名前をもらったこの草花も、酷暑に耐えて咲いている)
夜明け前今も昔も夜は続く [2019年08月06日(Tue)]

fumihouse-2019-08-06T18_40_07-1-thumbnail2.jpg映画『夜明け前/呉秀三と無名の精神障害者の100年』を見ると百年という歳月の速さに感じ入る。精神科医・呉秀三の物語である。

1世紀ほど前の1918年に『精神病者私宅監置ノ実況及ビ其統計的観察』を呉医師は著した。そこには精神障がい者が置かれた悲しい「監護」実態があった。看護ではなく、監禁保護である。

当時の法律(精神病者監護法)では私宅監置、通称「座敷牢」に閉じ込められて外界との接触を断たれた患者に人権はなかった。社会にとって危険な精神病者を監禁するという発想から生まれた法律である。その差別の実態は長く残り、今でも偏見はつづいている。

狐や狢(むじな)の憑きものが発したり、祟りからくるという前近代的な認識は変わりつつあったものの、解明されない脳の病気であることは同じだ。医者にとっても治療は暗中模索。薬もない時代である。その中で、呉秀三は患者を人として遇し、座敷牢と身体拘束廃止を目指した。

呉医師は述べる。精神病者が不幸なのは病を受けたことだけではない、日本という国に生れたことなのだ、と。「我邦十何万ノ精神病者ハ実ニ此病ヲ受ケタルノ不幸ノ外ニ、此邦ニ生レタルノ不幸ヲ重ヌルモノト云フベシ」

呉医師は医療者が患者と向き合うことを望んだ。今や患者さんを一人の人間として尊重する考え方に変わった。それでも映画の解説者は、座敷牢から病院監護へ替わっただけであり、心の中にある見えない檻や壁を取り去らなければならないと警告していた。長期の社会的入院が実態としてある。課題は大きい。
台風がそよそよ風を連れてきて [2019年08月05日(Mon)]

fumihouse-2019-08-05T23_20_20-1-thumbnail2.jpg台風由来の風がある。風はあっても涼しくはない。竹が揺れてサワサワと音をたてる。台風8号が湿った空気を伴って、この暑さを居座らせている高気圧を刺激する。そして明日は九州南部を直撃。さらに台風9号も発生し、加えて10号もできそうな気配。

星空は瞬く。上空が不安定な証拠だ。薄い雲がかかってはいるが、夏の星座と木星、火星は明るい。明日には台風由来の厚い雲がかかり、雨が降るのか。それとも垂れこめた雲に閉ざされて空気がますます熱くなるのかはわからない。

ともあれ、大型の竜巻と説明される8号台風が被害をもたらさないように願いたい。

(稲妻が米を実らすという。米にも花が咲いて稔りの秋は近い)
十八年二十一世紀に生きた今 [2019年08月04日(Sun)]

fumihouse-2019-08-04T16_29_22-1-thumbnail2.jpg21世紀が始まってから早くも18年7月あまり。月日が経つのは速い。これからも加速度を増すように過ぎる。詩人・谷川俊太郎が2001年元旦に書いたエッセイである。

≪余人は知らず私にとって二十世紀で最も重要な出来事は、自分がこの世界にやって来たことだと思う、したがって二十一世紀でもっとも重要な出来事は、自分がこの世から去って行くことではなかろうか≫ (「二十一世紀最初の一日」谷川俊太郎,ひとり暮らし,新潮文庫)

まさにそのとおり。二十代以上のひとにとって22世紀まで生きることは、まずあるまい。あったとしても、残照の数年を過ごすのみ。大切な時間はこの21世紀にある。いまを大切に生きよう。

(晩夏のイメージがあるが、キバナコスモスの群落があった。花色はオレンジ。酷熱だった残照を受けて鮮やかだ)
黒い目はきれいか如何女の子 [2019年08月03日(Sat)]

fumihouse-2019-08-03T14_10_39-1-thumbnail2.jpg大丸2️黒い目のきれいな女の子大丸2

この修飾名詞をふつうにとると、[黒い目のきれいな][女の子]となるが、修飾のさせかたにより18通りになるのだそうだ。場合分けに挑戦した。

○黒い目がきれい、と考える。
 1[黒い目がきれいな][女の子]
 2[黒い目がきれいな][女性の子供]
 3[黒い目がきれいな][女性といる子供]

○目がきれい、をひとまとめ。
 4[目がきれいな][色黒の女の子]
 5[目がきれいな][色黒の女性の子供]
 6[目がきれいな][女性の色黒な子供]
 7[目がきれいな][女性といる色黒の子供]

○容姿がきれい、と考える。
 8[黒い目で][きれいな女の子]
 9[黒い目で][きれいな女性の子供]
10[黒い目で][きれいな女性といる子供]

○きれいの修飾を二股にかける。
11[きれいな黒い目で][きれいな女の子]
12[きれいな目が黒くて][きれいな女の子]
13[きれいな黒い目で][きれいな女性の子供]
14[きれいな目が黒くて][きれいな女性の子供]
15[きれいな黒い目で][きれいな女性といる子供]
16[きれいな目が黒くて][きれいな女性といる子供]

ここでグロッギー。頭が暑苦しくなったので、考えることをやめた。

(あまりの暑さに夏の花、キョウチクトウもしなびた感じ)
人間よ危機に臨んで何思う [2019年08月02日(Fri)]

fumihouse-2019-08-02T17_19_05-1-thumbnail2.jpg人間というものは、いともたやすく危機に陥る。病気にかかり、怪我を負い、大切な人を亡くし、貴重なものを壊し盗まれ、災害で生活を奪われる。予測可能ならまだしも、朝に平安だったものが夕には憂いに沈む。

不運もあろう。油断からくることもある。巡りあわせだと諦めて堪え忍ぶこともある。耐えかねて泣き叫ぶこともあろう。なんでこんな不運が、と天を仰ぐ。

いま私に災難が降り注いでいるわけではないが、何時その状態にならないとも限らない。苦難もまた意味があると信じて耐える、そして邁進する。長い人生からすれば一瞬のこと。しかし、苦しむ時間は永遠の長さに感じられる。それでも後年振り返ってみれば、何らかの意味があったと感じられるにちがいない。

(人間余裕がなくなると空を眺めることすらできない。きのうと同じく、きょうも酷暑の怨めしい空となった)
難しや体温調整常夏に [2019年08月01日(Thu)]

fumihouse-2019-08-01T08_12_15-1-thumbnail2.jpg上着を着た、寒い。バス車内の冷気吹き出し口から強めの風が出てくる。手元で調整不能。上着を持っててよかった(^-^)/

外は炎天下、夜は熱帯夜。冷気と熱気を行き来しながら昼間を過ごし、夜はエアコンの長時間使用で冷えていく。タイマーを使い切れば切ったで暑くて目が覚める。

不調になる人が増えた。わたしも疲れがたまったのか、肩がこる。ご注意召されよ。みなさま、どうかお健やかであれ!

(炎天下に咲くサルスベリの花は純白。心地よい襞が小さくカールしている)
シャーシャーとデカイクマゼミ参戦す [2019年07月31日(Wed)]

fumihouse-2019-07-31T22_18_17-1-thumbnail2.jpgまたもや蟬のことを書く。夏は彼らの季節、彼女らの世界だからだ(人間界には関係ない?)。私が初鳴きを聞いた日だ。

 ニイニイゼミ/7月8日
 ヒグラシ/7月10日
 アブラゼミ/7月19日

ここまでは以前に書いた。彼らは主張しており、ここに生きている意味を示すために鳴く、とも書いた。

 クマゼミ/7月26日
 ミンミンゼミ/7月29日

土曜日の27日には大阪へ行った。新幹線の乗り換え・岡山でも、大阪・上本町の街路樹でもシャーシャーと大合唱がビルに反射して鳴り響いた。出雲のクマゼミは単独で鳴くから、ジュワジュワッと鳴く。やがてお盆のあたりにはツクツクボウシが仲間に入る。これで蟬の夏は完成する。

(命短い蟬たちよ。薔薇の寝床でやすらかに眠りたまえ)
少年よ柳は緑花紅 [2019年07月30日(Tue)]

fumihouse-2019-07-30T19_32_26-1-thumbnail2.jpg松江の住宅街を歩いていた。歩道のない道路の右側を歩いていると、向かいから少年が自転車に乗って走ってくる。その20メートル後ろからは2トントラックがやってくる。

重なって危ない、やだな、と感じた私は、右手にある住宅の駐車スペースに入り込んで歩き続けた。少年がすれ違いざまに、「すいません」と言うではないか。おっとアッパレ、松江の少年よ、できるなお主! 

そういう私は、予想もしなかったその言葉に対して一言も発することができなかったのです。あれまあ、トホホ。

(松江の住宅街に割いていた柳花笠。少年よ、君を称して、柳は緑花は紅、というのかなあ。んなことはない。気のつく礼儀よい子なんだねえ)
木曜と土曜の夜は星眺む [2019年07月29日(Mon)]

fumihouse-2019-07-29T08_08_09-1-thumbnail2.jpg暑い日が続く。夜になってもエアコンがなくては汗だくだ。それでも夜空を見上げると涼しげに感じる。昼間の熱で靄がかかっているために天の川はハッキリしないが、夏の星座が輝かしい。

ベガ、アルタイルの七夕組に白鳥座の尾っぽのデネブを合わせて夏の三角形。銀河の中心に向かって射手座には土星がいる。さそり座には明るい木星がおり、1等星のアンタレスも霞んで見える。この夏は賑やかな星空が楽しめる。
市松と五輪に染まれ東京よ [2019年07月28日(Sun)]

fumihouse-2019-07-28T22_30_31-1-thumbnail2.jpgオリンピック一色に染まる東京、と報道機関は言うが、田舎にいるとそんな感覚はない。今月始めに東京へ行ったとき、市松模様からイメージしたエンブレムを使ったポスターをたくさん見たのは見たが、溢れている印象はなかった。きのう行った大阪にはオリンピックはない、G20をやったばかりだし。ともあれ、1年後7月24日には東京五輪が開幕する。

マスコットは十分知れわたってない。「ミライトワ」は藍と白の市松模様が使われる未来的なデザイン。未来と永遠を合わせた良い名前だ。「ソメイティ」はピンクと白の市松模様。染井吉野と英語のso mightyからとられたという。両者とも申し分のないデザインと名前だと思う。

JTBが450万円で開会式からの17日間で16競技を観戦するという豪華版ツアーを売り出したそうだ。応募するのはどんな人だろう。わたしはたぶんテレビ観戦かなあ。
踏み荒らし部屋には象がタブーなり [2019年07月27日(Sat)]

fumihouse-2019-07-27T08_22_23-1-thumbnail2.jpgアメリカには「部屋の中の象」という慣用表現があるそうです。像ではありません。動物の象です。There is an elephant in the room. と使います。よほど大きな屋敷でないと入らないではないですか。そんなものいてもらっては困る、だから見て見ぬふりをするのが、部屋の中の象です。

この喩えは、構成員にとっては常識なのに口にしない、できない大きな問題を意味しています。難しくて解決できなかったり、話題にすることが不愉快だから、あえて触れない暗黙の了解があるわけです。

アメリカ人というのは、ストレートで何でも議論する印象がありますから、面白いですね。彼ら彼女にも日本人的な空気を読むところがあるのです。

私たちの組織や集団にも「その問題」があるはずです。そこを突っつき過ぎて嫌われても困りますが、リーダーであれば、問題を放置したままではいけません。部屋の中に今いる象というタブーに挑戦していきたいものです。

(古代バビロニアで生れたてというペイズリー。よ〜く見ると面白い。近ごろネクタイの柄として返り咲いてきた)
タラレバをタイムマシンで検証す [2019年07月26日(Fri)]

fumihouse-2019-07-26T17_29_56-1-thumbnail2.jpgタラレバがある。誰にでもある。ああだったらよかったのに、こうすればもっとましだったのに・・・。毎日はタラレバの連続だ。人生はタラレバでできている。

仮にタイムマシンで何十年か前に返ったとしよう。私の人生は順風に帆を満々と張って、自由自在の生活となって今に至るのか(他の人へ与える影響は無視する)。

意外とそんなことはないような気がする。さかのぼって違う選択をしたとしても、毎日は選択の連続だ。一瞬一瞬が選択と言ってもよい。行くか行かぬか、歩くかクルマか、定食にするか八宝菜にするか(今食べたい)、トイレに行くか我慢するか・・・。その連続で1日が終わり、1年10年と経っていく。

その人がもつ生命の傾向性というものは本質的にはそう変わらない。さかのぼったときには大違いの人生が開けても、いつの間にかおんなじようなところに収まっていくんじゃないだろか、と思うのだ。もちろん検証はできない。

(検証可能な梅雨明け、きのうの空)
分断と統合の境いまここに [2019年07月25日(Thu)]

fumihouse-2019-07-25T19_59_39-1-thumbnail2.jpg山陰中央新報の元旦号の社説にこうあった(もう7月も経ってしまったか)。

≪分断ではなく統合の思考、さまざまな立場の声をくみ取る姿勢、いまほど多様性を受け入れる「寛容さ」が求められている時はない。居心地の良さに安住するばかりではなく、時には離れてみることも必要だ≫

この言葉は、トランプ政権に言われたのかと思っていた。あるいは暴言と嘲りを繰り返すヘイトスピーチの主に対しての論考だとも思った。それだけではなかった。

日韓請求権協定は、日本が韓国に多額の経済支援を行ったので両国間での請求権は完全に解決したとする内容ではあるが、個人の請求を否定するものではない、とする対立意見もある。

徴用工の未払い賃金や非人道的な扱いに対する補償、軍人・軍属への恩給裁定の不備、在韓被爆者問題や従軍慰安婦問題の見逃しなど、個人の請求権は協定対象外だとする考えである。

安倍首相はハンセン病家族の訴訟を敗訴のまま確定させ、いま話し合いが始まったところだ。同様に、他国の人びととも胸襟を開くときではないだろうか。たとえ、強制徴用ではなく自主応募者であったとしても、戦後に日本国民としての資格を失っていたとしても、強制的な慰安婦ではなかったとしても、あの日本に軸足を置いて苦しんだ当事者であることは間違いないからだ。メモリや携帯ディスプレに欠かせない化学製品の輸出規制強化もその延長にある。やるならもっと国際社会にもわかるよう、日本は丁寧に説明しなくてはならない。

(ルドベキアはアメリカ原産。大きな黄の花びら8枚で真ん中がこげ茶色だが、たまに中まで黄色のがある)
経年の劣化恐ろしもったいない [2019年07月24日(Wed)]

fumihouse-2019-07-24T19_36_26-1-thumbnail2.jpg電気製品などが経年劣化すると危ない。特に高齢者にとって事故の危険が増す。そんな提言を経済産業省の有識者会議が出している。

電気製品やガス・石油機器は使ううちに劣化する。当然のことだ。まだ使えるのにもったいない、今の使用状態でなんら不満はない、新機能満載の機械は使いこなせないなどの理由で買い替えをしないうちに事故が起きる。高齢者世帯が増えるにつれて危険率は高まる。

提言はこう述べている。
≪モノを長く大事に使うことは美徳です。そうした観点から、消費者は一般に、耐久消費財を壊れるまで使い続ける場合が少なくありません≫

耐久消費財という言葉を久しぶりに聞いた気がする。私たちはすぐに買い替えるようになった。そう踊らされているかのように。でも、もったいないという美徳は忘れたくない。

重大な製品事故には、製品そのものに起因する場合、施工不良の場合、誤使用・不注意があるが、購入から15年以上たつと割合が15%程度になるそうだ。さらに20年を越えると30%を超える。

町の電器屋さんがあるところはよいが、量販店しかないようなら、修理はできない。残念だが買い替えるしかないようだ。もったいないと言っていたら元も子もなくなる。

(花は経年劣化する。経年どころか、数日で盛りを越えて、萎びて、落ちていく。だから美しい。この草花、調べたけれどわからない、何だろう)
読みかけの本を進めて栞落つ [2019年07月23日(Tue)]

fumihouse-2019-07-23T20_23_20-1-thumbnail2.jpg読みかけの本に栞を挟んで目印とする。時間切れで挟む場合もあれば、眠たくなって本を置くときもある。

「栞」は枝折る(しおる)の連用形から転じたもの。漢字の成り立ちは、平らに削られた二本の竿と木の象形から出来上がっている。

山道に迷うことがないよう道端の木の枝を大きめに折ると、帰りの目印になる。山登りというやつは往路と復路では景色がまるで違う。ふと間違って遭難しないための工夫である。

本を読む、新しい世界に出会う、意味が解せなくてしんどい思いもある、ある程度まで進むと展望が開ける・・・そうした遭難防止のガイドとなるのが、栞というわけだ(しょっちゅうなくすけど)。

本をゆっくり読みたいなあ。寝る前と列車に乗ったとき程度で、まとまって集中して読むことがない。本の世界にどっぷり浸かろう。たまには声を出して読むのもいいもんだ。途中の景色、登りきった展望も最高にちがいない。

(ビオラを本に挟んだら、いい感じの栞ができるかも)
空気にも真夏の到来休み来た [2019年07月22日(Mon)]

fumihouse-2019-07-22T19_22_17-1-thumbnail2.jpg多くの学校で夏休みに入った。部活があったとしても通勤・通学列車に乗る生徒は少ない。座れないときもあった先週までに比べると、席には格段のゆとりがある。町中にもゆとりがある。小学生が列を作って登校していないことが原因だ。静かで道が広い。

きのうは蒸し暑さを感じた。冷房の効いたショッピングセンターから駐車場に出ると、蒸した空気が鼻腔を包んだ。この夏初めてのことだと思う。夏らしい夏がやってきた。どうか穏やかであってくれよ。

学生にとって解放される夏休み。ハメを外して介抱されるようではいけないが、快方も早かろう。たまには試験の解法にでも取り組んで頭の体操しようじゃないか。夏の活動をしっかり記録に取って秋に会報を充実させる(何の?)。それとも良い知らせ、快報かな?

勤め人にとっては暑さに呻吟する季節だとしても、少しは夏休みがある。若い頃の開放感も思い出して、ウキウキしてこないかな?

(花の色やら形から鬼百合とは、これいかに? 暑い夏にますます暑さを感じさせるのは確かだ)
めぐり逢う人と別れて悲しけれ [2019年07月21日(Sun)]

fumihouse-2019-07-21T18_02_27-1-thumbnail2.jpg感謝状が授与されても拍手はない。授与される当の君に代わって、失意の奥さまが受け取られた。悲しくて酷い、島根県知事からの感謝状。今となっては空しいが、君が職員として全力で生きた軌跡。偉大な価値がある。

君はもういない。最近撮ったものだろうか。集合写真から切り取った遺影。迫りくる病魔に負けまいと歯を食い縛り、口角を懸命に上げているように見える。

式前に流れるBGMはアンドレ・ギャニオンのピアノ曲「めぐり逢い」。君は多くの人とめぐり逢った。わたしとも出会ってくれて、ともに仕事をしたことに感謝の気持ちが湧く。悲しい旋律が肺腑をえぐる。それでいて安らかになる優しいピアノの音色。

君は喜怒哀楽すべての想い出を抱えて今世を去る。生命は宇宙に溶け込んで縁をもって再び生をなす、という永遠の生命論からすれば、君はいずれ誰かとめぐり逢う。どうか、君よ幸せであってくれ。
君づけし松陰先生空気変え [2019年07月20日(Sat)]

fumihouse-2019-07-20T12_05_43-1-thumbnail2.jpg衆議院議長が国会で議員を『君』づけするのは衆議院規則と先例録に定められているのだそうだ。参議院もそれにならう。

始まりは伊藤博文。初代総理大臣のルーツは松下村塾にある。塾内の身分差を解消するために、吉田松陰は敬称を君(くん)に統一。二人称であなたのことを、君(きみ)とした。そして分け隔てなく議論ができるように環境を整えた。以上、週刊現代7.13\20号の「今週のへえ〜、そうなんだ」より受け売り。

私たちが使う「くん」や「きみ」が吉田松陰(山口・萩の人は松陰先生と言うが)に起源があると初めて知った。ちょっと遠慮のある同級生や同期生に使う「くん」。目下の男性に使う「くん」。同格か少し目下の男女に使う「きみ」。なるほど、おもしろいことを知った。

(ムクゲと呼ばれるこの花。韓国の国花。両国政府が火花を散らすが、日本は木で鼻をくくるような説明に終始するのではなく、韓国国民に届く丁寧なアピールを繰り返すべきだ。でなければ、永久に恨まれたままになる)
蝉時雨真夏の使者よここにあり [2019年07月19日(Fri)]

fumihouse-2019-07-19T19_19_32-1-thumbnail2.jpg7月8日はニイニイゼミの初鳴き。昨夏以来の鳴き声は懐かしい一方で、蝉時雨とともに暑すぎる真夏が来たのにはうんざりもする。

蜩1号は7月10日だった。ヒグラシだ、魚の鯛ではなく、カナカナゼミを聞いた。深山に立ち入った趣で日本の夏!っていう感じ。数は少ないが聞き入った。

きょう7月19日はアブラゼミの初日。ウルトラマンに登場する悪者星人が発する攻撃光線のように、絶え間なくジージーと音を出し続けるマメなやつだ。

彼らは何のために鳴くのか。自分を主張している。私はここにいる。ここに生きている。単にメスを求めて鳴いてるんじゃない。生きる意味を自分で見いだしたい・・・と主張するかのように、いやきっとそう思っているにちがいない。

(暑い真夏はパイナップルでも食べる?)
健康は心と体の相互作用 [2019年07月18日(Thu)]

fumihouse-2019-07-18T21_01_58-1-thumbnail2.jpgまあそう気にするなよ。気に懸けてくれるのは嬉しいけれど、気に病むほど心配したら毒だよ。もて余すことはひとまず置いて、別の楽しいことを心置きなくやろうや。

でも確かに頓着しない人は増えたよ。少しは気兼ねして気を遣えやと苦言を呈したくなるもんだ。屈託ないという表現が似つかわしいのは幼児までだね。

あまり世を悲観して若い世代を案じると、年寄りの冷水と取り越し苦労されてしまうね。きっと心臓にはよくないだろうから。まずは自分の将来のことを思案に暮れて憂慮するのがいいのかも。

かといって下手な考え休むに似たり。怖れても杞憂に終わるんだ。少々ピンチはあったとて、最後は胸を撫で下ろしてなんとかなると思いたい。ときには危惧があたって困り果て、苦渋の決断ということもあるかもしれないが、行き詰まったら原点に帰ろう。みな誰もが自分が拠り所にできる元気の源があるでしょ? 

窮すれば通ずるものさ。手詰まったように思えても必ず一手は見つかる。どうしようもなく手を焼く案件が出てきたら肩の荷が降りるまで、ひとまずガンバることだね。それでも往生したらどうするって? 往生際が悪いと言われても、じぶんなりにやってみるだけなのさ。

(言葉も使いようで気にも病む。ひまわりのように明るく咲きたいね)
望んでも苦労したくないけれど [2019年07月17日(Wed)]

fumihouse-2019-07-17T18_20_47-1-thumbnail2.jpgさまざまな苦悩がある。
望みもしないのに勝手に招かれる苦悩。
蒔いた種ではないけれど押し寄せてくる苦悩。
自らがおびき寄せた苦悩。
自己責任とも、自業自得という名の苦悩。
身から出た錆という言い方もある。
いずれにせよ、当人にとっては苦悩そのもの。
苦労とは眼前にそびえ立つ山。
自分の中に望んでつくる苦労もある。
艱難辛苦とは言えない小さなものであっても、
乗り越えた喜びは大きい。
そんな楽しみでもって、
気高い自身を築くことができるだろう。

(楽しげに咲いているアサガオにも苦労はつきないことだろう)
燃え尽きて天の国にて会えるのか [2019年07月16日(Tue)]

fumihouse-2019-07-16T21_04_23-1-thumbnail2.jpg『天国でまた会おう』は美しくも残酷、そして少し笑えもするフランス映画だ。舞台は第一次大戦で独仏が対峙した塹壕の中。そして戦いに勝って繁栄するパリ市内。

年配の元仏兵士アルデールは、同じ部隊だった若いエドゥアールと大博打を打った。エドゥアールに宿った類いまれな絵の才能。戦没者記念碑の建設巨費をだまし取る計画を二人は成功させた。騙した相手はエドゥアールの父だった。

戦死を偽装していたエドゥアールは、確執して別れた父を二重に騙した。エドゥアールが絵の道に進むことを許さなかった父と彼は相容れない。袂を分かった父子だったが、父は息子が生きていると知る。二人は抱き合い和解した。しかし、息子は「天国で会おう」と言い残して命を絶った。

傷痍軍人となったエドゥアールには鼻から下の顔がない。言葉も失った。身体と精神がそろっていない彼にとって、自分は自分でなくなった。どんなに絵の才能が際立っていても彼は彼として完結しなかったのではないか。顔がないことがどれだけの悲惨をもたらすか、私には想像できないのだが、エドゥアールには生きる希望が残されていなかったのだと思う。

彼はアルデールと少女と三人で暮らした。二人がいたからエドゥアールは生きた。大きな存在だったと思う。でも、それは自分の喪失感を埋め合わせるのには足らなかったのだろう。そこに、父との相克でぽっかり空いていた穴が埋まった。父と和解して最上の幸福感を得てしまったエドゥアールには、もう喪失は考えられなかった。だからそこで、ジ・エンドとしてしまったのだろうか。幸せでお腹いっぱいになったようにも思う。生きよ!生きて喜びを絵で表現せよ!という声が聞こえたのかもしれないが、彼は燃え尽きた。

(エドゥアールは燃えて真っ白になってしまった。カスミソウは燃えて灰になったわけではないが)
風切って風から逃げて月がある [2019年07月15日(Mon)]

fumihouse-2019-07-15T22_37_03-1-thumbnail2.jpg雲を切って月が走る
湿った空気と風をもたらす低気圧
それと一緒に雲がやって来た
満月を覆い隠そうと雲が走る
月は逃げる
雲なんかに捕まってたまるか
逃げろや 逃げろ
わたしは捕まらないよ
そんなふうに見える満月前の今夜の月と雲

(ダリアの花も走るだろうか。たぶん配送のトラックとともに走る)
傾聴の心をのせて隠し預金 [2019年07月14日(Sun)]

fumihouse-2019-07-14T08_08_09-1-thumbnail2.jpg真剣に相手の話を深く聞く、すなわち傾聴するためには、心意気のほかに技術も必要だ。自分が聞きたいことだけを聞くのではなく、丁寧に耳を傾けるからこそ、傾聴という字が当たっている。共感的態度で受容することができれば、心は開かれて、来談者は答えを自ら見いだしていく。

【聴】の字を分解してみよう。<耳>をまっすぐにして、<目>を見開く。目が吊り上げられて横になっているということは固定観念を打破せよと訴えているのか? <心>を開いて下支えにして受ける。

傾聴には、かくしよきん が必要なのだそうだ。不正会計ではない。関心を言葉に表して共感しよう。

 <か> 関心を持つ
 <く> くり返す言葉
 <し> 質問して話を深める
 <よ> 要約する
 <き> 共感する
 <ん> 意見は最後に述べる

(心を目と耳にのせて相手に届けよう。郵便を使うという手もある。松江市内のポスト)
合いの手に相手愛して駆け抜けて [2019年07月13日(Sat)]

fumihouse-2019-07-13T17_05_51-1-thumbnail2.jpg「自分のペースではなく、愛いてのペースに合わせながら話をするのは難しい」というワープロ変換ミスがありました。実にいいじゃないですか。

「愛いて」は「愛い手」。合の手を入れながら相手を見て睦み合いながら二人でペースをつかんでいく。困っていたら愛の手を差し伸べて、調子に合わせて掛け声を差しはさむ。手ごわい難敵には手ぬるい対応ではなめられます。手拍子とって勇気を鼓舞するときもありますね。

働き手が足りないとき、難局に手が余るときは、お互い手を貸し合いましょう。手厚いケアで助け合いましょうぞ。手広くやるのもよし、一瀉千里に一手を定めて駆け抜けるもよし。ともあれ、長すぎる文章は嫌われますよ。どうぞ、手短に!

(ランタナだって季節を合いの手にして徐々に色を変えていく)
夏なれば上着が必須手放せぬ [2019年07月12日(Fri)]

fumihouse-2019-07-12T21_00_08-1-thumbnail2.jpgクールビズだからポロシャツ、通気性のよいパンツに加えて薄手の上着を着ている。暑ければ脱いで手にもつのだが、いま時分上着が欠かせない。冷房対策のためである。

列車やバスの吹き出し口が間近にあると時折寒い。運行者の考えによっては、冷やすのが良い顧客サービスだと心得違いをする場合もあって、上着は手放せない。カーディガンを羽織る女性は日焼け対策も含めて必須アイテムかもしれない。

会議に出席した場合は膝掛けとしても必要だ。膝に乗せてちょうどよい。寒ければ普通に羽織る。どうしようもなければ、主催者に願って設定温度を上げてもらう。風邪をひいてはつまらない。夏風邪ほど辛いものはないからね。

(涼しげな千年ハス。荒神谷遺跡公園の田んぼ池に咲く群落だ。今年は気候の具合か、花の数が少ないようだ)
ティーバーで笑い堪えずバスの横 [2019年07月11日(Thu)]

fumihouse-2019-07-11T19_50_09-1-thumbnail2.jpgバスの横の席に座った若い女性の体が揺れている。首を傾けて様子を見る。イヤホンを付けたスマホを右手に、左手は口を押さえている。笑いを必死にこらえているわけだ。こらえきれなくて、クスクスと声も漏れている。バラエティ番組だ。たぶんティーバーで、見逃した番組でも見てるんだろうね。

笑う門には福来る。笑え笑え、愉快に笑えや。音が出ないように声を出さないように、礼節は備えている。笑い過ぎて体が揺れて息が漏れるのは、娘さんの愛嬌だよ。

笑いは免疫力を高める。一回笑って効果3時間だという。演技で笑ってもよし。はっはっはっと笑おうよ。笑いは体の宝なり。あの娘さんは巧まずして笑いで健康になっていく。さて俺も笑おっと!

(風に吹かれてネジバナも揺れ動いている。これもまた愉快なことなり)
働いて精魂込めてよき加減 [2019年07月10日(Wed)]

fumihouse-2019-07-10T18_46_17-1-thumbnail2.jpg人間とは不思議なもので、働くことに精魂込めていくほどに充実感を味わえるが、それが過ぎると疲れてしまう。ちょっとしたつまずきで精神的な失調をおこすこともある。過ぎたるはなお及ばざるが如しと言う。

反対に働かないとどうなるか。小人閑居して不善をなすと言うとおり。暇をもて余す。第一、カネが回らなくて個人も社会も経済的に困る。充実した毎日を過ごすためには、学業なり仕事なり、打ち込むものが絶対に必要だ。

精神的病いが多いという。みんな疲れているんだ、きっと。仕事のやり過ぎで、身を粉にしてまで働き過ぎで燃えつきてしまうのは残念なことだ。精魂尽きるほどやってはいけませんよ! みなさん、少しは休んでくださいね、と自戒を込めて述べておく。

遊ぶことも大切なこと。一生が一回限りなのは誰しも同じこと。病気をするかもしれない、不慮の事故に遭うかもしれない。先行き不透明な人生にあって一期一会のひとときを大切にしましょうぞ。たまには、気の合う友人とバカ話に興じて、乾杯するのもいいじゃないか。

(アメリカ・ノウゼンカズラの黄色いのは珍しい。黄は映える色、元気の出る色だ)
自転車を押して歩くは壊すもと [2019年07月09日(Tue)]

fumihouse-2019-07-09T17_38_11-1-thumbnail2.jpg自転車に乗らず、押して歩く人を見かける。朝の通勤、リュックスタイルの中年男である。なぜ自転車を押すんだろう、想像してみよう。腹は少々出ており、革靴を履いている。

・・・・去年人間ドックへ行ったんだ。メタボを解消するよう指導されたんだがねえ。少々運動しても腹は引っ込まない。一晩呑めば元の木阿弥さ。まっいいか、と思っていたんだ。そしたらこの冬狭心症だよ。胸が締め付けられて経験したことのない痛みがあった。青白くなって冷や汗も出る。病院で検査してもらったら狭心症だって。本気で痩せようと思ったよ。ジム通いも続かないだろうし、通勤で歩こうかと。職場までは5キロ、これは遠すぎるね。じゃあと思いついたのが自転車だ。歩いて歩いて、辛くなったら乗ってペダルをこげばよい。そんなんで自動車通勤を止めてちょうど3ヶ月経ったところだよ・・・・

自転車で押して歩くのはバランスが悪い。右手がグッと前に、左手はちょこん。肩の張りが左右で違う。ペダルが足に当たるのが嫌だから体の軸は右に傾いて、たぶん肩こりがひどくなる。腰痛だって出てくるにちがいない。バスに乗って停車場の3つ前くらいで降りて歩くとか、リュック持ってるんだからスニーカーにして、徹底して歩く覚悟を決めたらいかがかな?

(アガパンサスが乱れ咲いている。スカイブルーの爽やかな色合いは涼しげだ)
セミ1号使者が来たなり夏始め [2019年07月08日(Mon)]

fumihouse-2019-07-08T16_38_59-1-thumbnail2.jpgセミ第1号である。私が聞いた初鳴きニイニイゼミは、松江の街路で何匹かまとまって多重に奏でていた。昨夏は6月29日、2017年が7月2日だったことからすると、7月8日は少々遅い。

6月後半は暑かったのに、九州中南部に大雨をもたらした線状降水帯が冷たい空気を運んできたのだろうか。この一週間は冷え気味で、セミが外界へ出るのをためらったのかもしれない。

今週末は海の日を含んだ三連休。それから学生たちは夏休み。夏は駆け足でやってきて、あれよという間に過ぎ去っていく。夏よ、適度な暑さであれ。適度に雨を降らせよ。災害を起こすなよ!

(夏の使者・ノウゼンカズラ。たわわに咲くようすは艶かしいが、一輪だけだと程よく品がある)
挑戦と決意の末に活路あり [2019年07月07日(Sun)]

fumihouse-2019-07-07T16_58_08-1-thumbnail2.jpg天才と言われる人がいる。スイスイと上手に楽器を演奏し、新しい概念を簡単に使いこなし、スポーツでもあれよと言う間に玄人の域に達する。傍目には、努力や練習を重ねなくてもできてしまうように見える。凡人には、うらやましく思える。

≪何事も、最初から、うまくいく人などいない。努力を重ねても、なかなか思うようにいかないのが現実だろう。そんな時は、浮き足立たずに「何のため」という原点に立ち返る。心新たに、再び行動を開始する。何度も決意し、何度も挑戦を繰り返す中で人生の活路は開かれる≫ (聖教新聞〈名字の言〉 2019年7月2日付け)

天才とは努力の人であり、丹念に飽かず繰り返す愚直の人であろう。他人には努力の痕跡を見せないところが、天才たる所以である。そして「原点に立ち返る」ことのできる人。思い定めて決意と挑戦を繰り返せば、誰でもなにがしかの天才になれるに違いない。

(天才はある面、目配りや心づかいの天才。自分の持つ資源を一点突破させて状況を開き、人心も収攬して目的を達する。千年ハスの種は面白い)
絶滅の危惧をかかえて各技術 [2019年07月06日(Sat)]

fumihouse-2019-07-06T16_43_59-1-thumbnail2.jpg人口減少時代です。多くの団体や組織が縮小傾向にあり、存続が危ぶまれるものも増えました。危ういことは技能や技術も同じです。継承させて次代に伝えていかなければ、やがて絶えます。過去のものとなって技術は死んでしまうのです。

古代ローマ時代のコンクリート技術もそのようです。現代の石灰と砂と水によるコンクリートはせいぜい百年ですが、ローマのものは千年というではありませんか。が、技術は絶えました。

知識はどうでしょう。知識を紙に文字情報として残したから、人類は知識を幾何級数的に増やして、いま繁栄を謳歌しています。では全てを文字情報や映像によって継承できるでしょうか。意外とこれが難しい。知識を実地に生かそうとしても、コツや微妙な間合いといった情報が意外にも重要になってきます。師弟関係など人から人への丹念な伝承行動がなければなりません。

世の中に消えてしまった技術は山ほどあります。絶滅危惧種は生物の世界だけにあるのではなく、人間社会も例外ではありません。

(飛行機を整備し、操縦し、管制し、席を配置する技術も全てが継承されなければ、二百年後には飛行機は博物館入りしてしまうでしょう)
家と冢二つ並んで分けられぬ [2019年07月05日(Fri)]

fumihouse-2019-07-05T17_14_29-1-thumbnail2.jpg【塚】という字が気になった。墓である。土を盛り上げて墓標とする。転じて、土が小高く盛り上がっている場所や目印のために土を高く盛り上げたものをさす。古墳は両者の意味を兼ねる。古代豪族の墓であり、かつ一族の権力を誇示する象徴となった。

左の「土」は、土地の神を祭る為に柱状に固めた土の象形だという。右の「冢」は、人が腕を伸ばして抱えこんだ象形と足を縛った豚の象形。生けにえの豚を供えたわけだ。

【冢】と【家】は似ている。部首のひら冠、う冠の違いである。家には煙抜きの煙突がある。大きな家や2階建てのない昔は、遠くから見るときっと人家と塚の区別がつきにくかったのだろう。煙突らしい棒が立っているのが【家】。無いのが【塚】というわけだ(これは私の想像)。生きているうちは家におり、死んだら塚(冢)に入る。入るのはおんなじようなものだ。

東京に来ている。東京にも【塚】がある。京王線の笹塚駅、丸ノ内線の新大塚駅など。どんな塚があったのだろうか(^o^;)

(高度九千メートルを超える空、若狭湾上空。大雨を九州にもたらした梅雨前線を避けて、きのうはいつもと違う飛行ルートを通った)
元気出せ心の底から元気出せ [2019年07月04日(Thu)]

fumihouse-2019-07-04T18_00_13-1-thumbnail2.jpgマスコミがよく使う句があります。【元気をもらった】です。感動的な場面に立ち合った人がインタビューに答えてこう言うのも普通になりました。新聞には【感動をありがとう】と見出しがつきます。

元気をもらったり、あげたりできるものでしょうか(あまのじゃくに考える)。元気は受け身の態度でもらうものではないと思います。誰かに会って嬉しく思い、互いを思いやり、縁に触れて刺激を受けて、楽しさを分かち合って、エネルギーを湧き立たせるんです。それが元気だと思います。元気とは受動的ではなく、能動的な精神活動の発露です。

見たり聞いたりした素敵なことに刺激されて、相手が頑張る姿に触発されて感動したのであれば、そう表現すればよい。 元気を“もらった”ような気がしても、心の底からやる気が湧いて出てこない限りは、その場だけのことに終わってしまいそうです。元気や感動は自分の命の底から湧いてくるものです。

(カボチャの花を見て元気になる人は少なかろうが、実を食べると健康になる)
あってほしい希望の観測役立たず [2019年07月03日(Wed)]

fumihouse-2019-07-03T19_48_30-1-thumbnail2.jpg危機管理すべき時が迫っている。いや来ている。九州南部に降り続く記録的大雨によって鹿児島・宮崎では96万人もの人が避難指示を受けている。

大雨が降っているし、予報官がさらに降ると警告しているけれど、快適な家を離れて避難所に移るのは面倒だ。まわりに気を遣うし、着くまでにびちょびちょの道のりを不安なまま進まなければならない。今は小康状態だし、大丈夫じゃあないかい?

そうした希望的観測を誰もがとりがちだ。リスクを最小限に見積もってはならないのだが、そうあってほしくないという“根拠のない希望”が大きくなる。甘い目論見を天災は崩していく。正常化の偏見に惑わされて、こんなはずではなかったとホゾを噛んでも遅いのだ。

≪「かくありたい」という願望は、人の心の中で「かくあるべし」と変化し、一瞬ののちには「かくある」と断定されてしまう≫ (浅田次郎『真夜中の対話』SKYWARD December 2015)

被災しそうな皆さん、どうか無事に逃げおおせてください。避難が空振りしてもいいじゃないですか。
タラレバで爆弾並みの低気圧 [2019年07月02日(Tue)]

fumihouse-2019-07-02T18_57_16-1-thumbnail2.jpgシナノ企画が1977年に製作した映画『八甲田山』は、同作の『砂の器』に次ぐ名画と言ってもいい。軍隊というもの、日本における組織のあり方について考えさせてくれる。心構えを万全にして事前の準備がいかに大切かを思い知らされる。八甲田山雪中行軍で二百人近くの軍人を失った実話に基づく事件を、新田次郎が小説に描いた。

東北とはいっても雪の怖さを知らない太平洋側に生れた青森連隊の将兵たち。兵卒によっては遠足気分だった。それを率いる将校も一部は軽い気持ちで厳冬期の山岳に入ろうと考えていた。一方で弘前連隊の徳島中隊長(高倉健)は二十数名の少数精鋭主義をとった。遭難することもあり得ると悲壮な覚悟をもって双肩に責任を担った。将兵は日本海側に生れた者ばかりで雪には多少慣れているが、冬の八甲田山は決して人を寄せつけない(犠牲者はゼロ)。

青森連隊の指揮命令は神田中隊長(北大路欣也)に執らせるといいつつも、日露戦争の開戦を控え(実際2年後)監察と称して山田大隊長(三國連太郎)が伴っていた。彼は気まぐれな命令を連発し、結局はほとんどを死地に追いやった。指揮官としての神田中隊長は有能であったが、不運が重なり過ぎた。小回りのきかない大人数、上司への遠慮、引き返す勇気を持てなかった悲劇、複数回の判断ミス、超弩級の低気圧帯が通過したこと。タラレバを考えたらきりがないが、残念でたまらない。

(今朝松江駅でもらった、自衛官募集キャンペーンのティッシュ。現代の軍隊・自衛隊は隊員の命を大切にしてくれよ)
誠実に多様な未来示してよ [2019年07月01日(Mon)]

fumihouse-2019-07-01T17_33_46-1-thumbnail2.jpgきのうのサンデーモーニングで、薮中三十二氏(元外務事務次官)がトランプ大統領の性格を軸にして政策を解説していた。特徴として次の4つがあるという。@サプライズ、A個人的な好き嫌い、B直感と思いつき、C平気でウソ。この4つはトランプ劇場と言われる一端を示してくれる(ふつうの劇場ならとうに潰れているが)。

二期目の選挙態勢に入って自国選挙民の歓心を買おうと、昨日金正恩朝委員長と面会したのもその一つ。ツイッターで呼び掛けたというから極めつけの思いつきだ。米大統領として初めて軍事境界線を越えたのは悪くないが、その軽薄さは薄氷を踏むようだ。

金正恩との個人的関係を築くことで得点を稼ぐ。プーチンとも長い付き合いがありそうだし、習近平とも恫喝も含めて個人的つながりで乗りきろうとしているようにも見える。

アメリカファーストだから、古くからの同盟関係は軽視している。カネ次第、交渉で自国有利に持ち込む豪腕さで利益を得る。人権や民主主義にはとんと無関心。軽薄だから人気取りは考えても出口戦略がない。常に出たとこ勝負だから、不安がつきまとう(周囲には)。

この大統領、いったいどうなってるんだろう。早いとこ民主党は候補者を一本化して、強力な対抗馬が登場してほしい。

(花の世界に多様性がなくなったらさぞかしつまらない。写真は爽やかな夏の睡蓮)
会心の買い物上手うらやまし [2019年06月30日(Sun)]

fumihouse-2019-06-30T12_35_46-1-thumbnail2.jpgショッピングセンターに入ると、どうぞごゆっくりお買い物をお楽しみくださいませ、とアナウンスが聞こえる。「買い物を楽しむ」、なるほどね、楽しむんだね。

○○が欲しくて売り場を目指し一目散。時間がなければなおさら急ぐ。目的を達したら駐車場まで一直線。楽しむ余裕など、どこにもない。

漠然と□□が欲しい、でもはっきりこれといって決まった商品はない。欲しいものを絞れていないことは多い。ディスプレイを見て、おおこれだ!と気持ちが決まってすぐに買えればそれでよし。そうでなければあれかこれか迷う。買うべきか買わぬべきか迷う。ほかの店に足を伸ばして吟味すべきか否か迷う。必要の度合いと金額など条件をあれこれ考えて迷う。

一期一会でエイヤッと買う。ときには支払う段になっても迷っていたりして、覚悟を決めかねる。のちにほかの店で、良さそうな安い同等品を見つけて後悔したりなどする。会心の出来はむしろまれなこと。買い物とは、意外と楽しめないものだ。迷うとは、別名苦痛なり。そんなこと、ないですか?

(出雲名産のぶどう・デラウェア。これを見て買うか買わぬか迷う人もいることだろう)
口角をキュイっと上げて上機嫌 [2019年06月29日(Sat)]

fumihouse-2019-06-29T15_36_51-1-thumbnail2.jpg上機嫌でいることは素敵なことだ。その効用は計り知れない。自分にとっても他人にとっても、それは同じこと。

笑顔が伝染して周囲を明るくしてくれる。自身も連鎖反応して少々不快なことだって、何のことはない。美しいもの、感動的なことが素直に心に響いてくる。60兆個の全身の細胞に作用して、病気の発現を防いでくれるだろう。いいアイデアもたくさん生まれる。不機嫌から生まれる考えが創作を刺激する芸術があるかもしれないが、ふつうの人にとっては下手な考え休むに似たりである。明るく静かに布団に入れば、深くて快適な眠りを得られるにちがいない。

いいことずくめではあるが、そうは問屋が卸さない。縁に触れて私たちの生命は大きく振幅する。いつも上機嫌ではいられない。それでも口角をキュイっと上げて笑顔のふりでもしてみよう。少しはいい展開になろうというものさ。

(上機嫌にニコニコしていそうなバラの花。見て不快なひとはいないだろう)
美はここに心開いて見るがいい [2019年06月28日(Fri)]

fumihouse-2019-06-28T18_26_56-1-thumbnail2.jpg哲人ゲーテはいいました。心開けや、諦めてはいけないよと。

  こころが開いているときだけ
  この世は美しい
  おまえの心がふさいでいたときには
  おまえは何も見ることができなかったのだ

世界はうつくしい。見る者を柔らかに別世界へいざなってくれる。心の目がふさいでしまえば存在しないと同じこと。境涯を広げよ、努力を怠るな、理想に恋し続けよ、とゲーテは私たちを励ましてくれるのです。

(雨に濡れる紫陽花がまた美しい。入梅したばかりだが、今日の午後は梅雨明けしたのように暑く、空が澄んでいた。入道雲も見事な出来ばえだった)
あれやこれやらずもがなに日が暮れて [2019年06月27日(Thu)]

fumihouse-2019-06-27T18_54_06-1-thumbnail2.jpgやらずもがなの苦労。ひょんなことで背負い込む仕事、ほかの誰かの無責任が原因で降りかかる災難、自らの不運が巡りめぐって膨大な手間になる、何の因果か困ったものさ・・・よくある話だ。

考えてみれば、安穏に過ごしたいと誰もが思っている(波乱万丈、混沌が大好きな人もいようが)。そこに突発的に起こるトラブルに巻き込まれて往生する。やらなくてもいいこと、感じなくてもいい痛み、聞かなくてもいい話・・・。

全てはやらずもがなの苦労かもしれない、と思われてくるのだが、果たしてそうだろうか。その面倒さに音をあげて、こんなの嫌だとやりきれなく思って、言わずもがなの失言をして、窮地に陥ってしまう恐れもある。じっと辛抱するんだよ。必ずや因果の理法が作用して、よき展開が巡ってくるにちがいない。今の苦労に意味はある。きっと使命だったんだ。

いまこの時に苦労している人よ。もちろん一概には言えないけれど、そう思い切って覚悟を決めようよ。

(元気印の黄色の花、ゴーヤの花が咲いている。暑い夏にゴーヤを食べて元気になってと花が咲く)
恵みあれ体は生きる資本ぞな [2019年06月26日(Wed)]

fumihouse-2019-06-26T17_46_35-1-thumbnail2.jpg【恵体】という言葉ができたそうな。「めぐたい」と読むそうだよ。あるいい体格のプロ野球選手を称して誰かが使ったのが始まりだそうだが、なんだか卑猥な印象だよ。恵まれた体格や体型、見事なプロポーションを持つ男女に使われるネット言葉だそうだ。

語源が気分的な言葉だけに、読みも適当。「えたい」や「けいたい」と読む場合もあるとのこと。きょうはホント、適当で得体のしれない投稿で、すんませんなあ。

(きょうは適当に、ドクダミの花でも見といてけれや)
酸っぱくてヤマモモの種吐き出すぞ [2019年06月25日(Tue)]

fumihouse-2019-06-25T19_05_42-1-thumbnail2.jpg街路樹にヤマモモの実。赤銅色に紅を混ぜて炙ったかのようないい色に染まる。美味しそうだ。一粒とって口に入れる。表面のつぶつぶが舌に心地よいが、甘みを感じる前に、口内には酸っぱさが広がる。でも甘いことは甘い。やがて渋みが出てきた。もっと熟せば甘くなるものか。そうはいくまい。やっぱり渋くて酸いのだ。

ここは幹線道路のすぐ脇の街路。排気ガスがこびりついてはいないのか。道路管理者が害虫駆除のため農薬を振り撒いてはいないのか。いろんな危うさがあるはずだ。もうガジガシ噛んでしまって、種があらわになっている。危険だと思わないのか? と自問自答。まったまにはいいか!
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