博士のふるさとの民謡の大合唱には、
壇上に上がっていたゲストの人たちも参加していた。
終わると、会場の人たちと一緒に
大きな拍手を、みんなで贈り合っていた。
笑顔。笑顔。笑顔。
こんなにたくさんの笑顔を
間近で見たのは初めてだった。
となりで立ち上がって、
人一倍大きな拍手をしている
彼女の笑顔もまぶしかった。
ぼくは本当に幸せな気分に
満たされていた。
続いて、博士と握手をして
ジーンズ姿の大男が現われた。
この人なら、ぼくも知っている。
アメリカの財務長官だ。
また日本語であいさつを始めたけど
もう驚かないよ。
「みなさん、こんにちは。
いや、ただいま帰りました。」
会場のあちこちから「おかえりー」
という声が飛んでいる。
「本当なら、すぐにでも
私のふるさとの民謡を歌いたいのですが、
アメリカの国民を代表して、
いや、世界の人々にかわって、
ぜひみなさんに、
そして七人の侍と子供たちに
心からのお礼をさせてください。」
え?
米国の財務長官が、
福島原子力村にお礼をするの?
「40年前、震災が起きた年。
私は、ウォール街の投資銀行で
若き幹部社員として活躍していました。
片田舎から死にものぐるいで勉強して、
あこがれの仕事についたのです。
しかし、海の向こうの日本で
驚くべきことが起こりました。
銀行に並ぼうと訴える子供たちの涙と
それを応援するインターネットの力で、
一夜にして、世界が変わったのです。
株式市場も、銀行も、そして事業会社も
名も無い個人が集まってお金を動かしたらす
無力だということがわかりました。
それだけではありません。
日本の首相や銀行家が、
七人の侍たちが、この村で
信じられないような実験を始めたのです。
だから、私は、思い切って
仕事をやめてしまいました。
そして、この村に飛んで来て
多くを学んだのです。」
信じられないような実験?
いったい何だろう?
「まず驚いたのは、寄付の呼びかけだけで
小さな国ができたことです。
福島原子力村の美しい構想を発表しただけで、
驚くほどの寄付が世界中から集まりました。
小さな国をまかなうには
十分な財政基盤ができたのです。
世界中の国々が財政赤字や国債で苦しんでいるのに
志と夢だけで、なんと無償のお金が
世界中から集まったのです。」
そうか、この村は特区で、
いわば小さな独立国。
国づくりの資本金が必要だけど
日本政府からのお金より
世界中の寄付の方が大きかったんだ。
「次に驚いたのは、できる限り地元で経済を回そうという
最適地域圏という発想です。
私がビジネススクールで習ったのは、
世界一、給料が安いところで生産して
世界一、顧客が多いところで販売するといった
グローバルな経営モデルでした。
ところが、この村で始まった古くて新しい経済は、
たとえ値段が高くとも、なるべく地元の
それも知っている人から買おう、
その分、長く大切に使おうというものでした。
それは、法律でも新しい仕組みでもありません。
ただ、みんなで「そうした方が幸せだ」と意識して
買い物の仕方を変えるだけで実現したのです。
みんなが買い物の仕方を変えた結果、
世界中で失業が増えているのを横目に、
この村では、仕事がたくさん生まれていきました。
さらに、仕事は、みんなで分け合うことで増えました。
週に3日働いたら、あとは他のことをするという
新しい生き方を、みんなで始めたのです。
給料をもらえる仕事日の3日以外は、
地元のNPOの活動を手伝ったり
家庭菜園や釣りをして食料をまかなったり、
趣味の仕事を楽しんだりする。
そんな暮らしが当たり前になって、
みんな生き生きしていたのです。
この村では、土地も住宅も、
村から安く借りられる仕組みでしたし、
食料も、エネルギーも自分でまかなったり
ほとんどタダのように安かったのです。
だから、「食べるためにあくせく働く」
必要がなかったのですね。
それに、自然が豊かで、みんな仲良しで
誰もがお金のかからない趣味を楽しんでいた。
山登りや自転車、祭りや踊り、
読書や詩作、絵画や写真...
だれもが仕事以外にも何か特技を持って
誇りを持って暮らしていた。
これは、年中無休、24時間働いてきた
仕事人間の私にとって衝撃でした。
たしかに地位も収入も得ましたが
この村の人より、私は幸せでないことに
気づいたのです。
だから、本当にこの村に来れて良かった。
本当に幸せでした」
またも会場から大きな拍手が
まきおこった。
そうか。
この拍手と笑顔の人たちが
幸せに生きる達人なんだ。
ウォール街より
この村の方が良かったんだ。
国や会社が大きくなったり
収入が増えたりすることと
幸せになることは
イコールじゃないんだね。
「でも、私が一番驚いたのは、
お金の流れ、お金の使い方でした。
この村は、まるで中小企業のように
お金をかけずに運営されていました。
どうしても村でやらなければいけないこと以外は、
役所のかわりに企業やNPOがやっていました。
議会や役所の仕事も、ボランティアで
みなさん仕事の合間にこなしていました。
もちろん、最初の10年は、放射能の除染や、
新しいエネルギー投資にお金がかかっていましたが、
やがて、そうした原発事故の後始末も終わりました。
逆に、村の産業が花開いて税収が増えたり、
研究成果が花開いて特許収入なども増えて
村は豊かになってきました。
普通なら、そのお金を、
無駄遣いしたり、自分のふところに入れたり
ウォール街に預けて悪さをしたり!
するところです。」
長官は、ウインクをした。
場内を笑いが包む。
「ところが、この村では、
そのお金を、世界中の恵まれない国々や
地域に送り始めたのです。
ウォール街の人たちが投資をしないような
貧しい国や地域に、寄付と、無利子の融資を
続けていきました。
それも、ただお金を送るのではありません。
自然エネルギーや農業技術など最新のハイテクを
特許料抜き、人材育成つきで贈与したのです!
この村でできたことを
それぞれの文化を大切にしながら
世界中に広めていきたいと
七人の侍たちは心から望んだのです!」
ええっ。
歴史の教科書にも、
そんなことは書いていなかったよ。
自分たちだって大変だったのに
せっかく豊かになったのに
人知れず、世界の国々を
助け続けていたなんて。
すごい。
すごいよ。
「助けの手をさしのべてもらったのは、
発展途上国だけではありません。
実は、私のふるさとも、
この村に救ってもらったのです。
私のふるさとには、
かつて、いくつもの農園や工場がありました。
しかし、今では、賃金の安い中南米に移転して、
すっかり空洞化してしまいました。
学校を出ても就職できない人であふれ
所得格差は広がり、治安は悪くなる一方でした。
私は、この村で学んだことを
まずは、自分が生まれた街で試してみました。
そして、成果が上がると、
またとなりの街に広げて行きました。
そして、いつしか州知事になり、
今では財務長官となりました。
この村で学んだことを活かして、
それぞれの地域の人たちが、
笑顔で幸せに暮らせる仕組みを
米国全土に広げようとしているのです。
米国で一番のお金持ちは
有名な財閥でも創業社長でもなく。
多くの人たちが働いて積み立てた年金です。
その大切なお金、世界中の株式を上げ下げして
人や国を不幸せにするためではなく
積み立てた人たちのふるさとが幸せになるために
使えるようにするのが、私のサムライスピリットです。
なにもかも、この村のみなさんから
私が教わったことです。
本当にありがとうございました。」
長官は、深々と
会場の村人たちに頭を下げた。
壇上のゲストも
きっと同じ想いだったのだろう。
みんな、もう一度立ち上がって
一緒に頭を下げていた。
長官は、長いおじぎを終えると、
大きく深呼吸をしてから笑顔で言った。
「さあ、堅苦しい話はここまでにして、
みんなで、民謡を歌いましょう。
民謡を歌って踊るのに
お金はいりませんしね。」
場内から大きな笑い声と
そうだーっと叫ぶ声。
そして、長官が歌いだそうというその前に
はやくも会場から歌声が流れ出した。
その歌声は、みんなに伝わって
どんどん大きくなっていく。
ああ、長官も一緒に歌っている。
さっきの博士と肩を組んで歌っている。
会場のみんなも
肩を組んで歌いだした。
こんな特別な光景を、
2011年の福島の人たちは
世界の人たちは想像できただろうか。
悲惨な事故の40年後に、
日本に、それも福島に
世界を変えた人たちが集まって
肩を組んで歌っているんだ。
その時、ふと、
ぼくの肩に重みを感じた。
え。
となりを見て
今度は体中に電気が走った。
彼女が、ぼくと肩を組んで
歌っているんだ。
なんて幸せなんだろう。
ぼくはそっと目を閉じた。
すると、たしかに感じるんだ。
彼女との心の絆を。
ここにいるすべての人たち、
この村とつながっている人たちとの
あたたかな絆を。
誰もが知っている民謡を
口ずさみながら、ひとつになる。
ひとつになるって
こういうことだって
ぼくは体中で感じていたんだ。