シンポジウム「人道支援と危機管理」へどうぞ [2012年10月30日(Tue)]
人道支援にはさまざまな危機が伴うことは、私自身、国際赤十字の駐在代表として印パ戦争(1972年)やベトナム戦争で何度か生命の危険を感じたことがあるので、よく自覚しています。
また、長年関わってきた難民を助ける会(AAR)でも、亡くなったり、大怪我をしたりという人が何人もいます。
そんな重要な課題を討議しようと、立教大学の教授で難民を助ける会の理事長でもある長(おさ)有紀枝さんが中心になって、シンポジウム「人道支援と危機管理」を開催します。11月16日(金)18時40分から21時まで、立教大学池袋キャンパス(池袋駅西口から7分)、入場無料。
これは何度でも開催してほしいテーマ。是非、海外ボランティアに関心のある方や支援者の方々には参加してほしいシンポジウムです。
お申し込み、お問合せは電話:03−5423−4450(難民を助ける会へ)
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吹浦 忠正
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郷 隼人さん,朝日歌壇に復活 [2012年10月30日(Tue)]
在米・在獄の歌人である郷 隼人さんの投稿歌が 久々に朝日歌壇に入選した。嬉しい!
きのうはこれだけで幸せな気分だった。
わが詠みし 短歌(うた)を待つ人居てくれる 何て幸運(ラッキー)な奴なのだ俺
入選歌第一首として選んだ佐々木幸綱氏は 「評」にこう書いている。
「第一首、昨年の四月以来久々の郷 隼人氏の投稿歌である。待望する声がアメリカの獄中にもとどいたのだろう。新聞歌壇の原点を思い出させる一首」。
郷さんファンの私としても、こんなうれしいことはなく、今や郷さんとの最大のパイプともいうべきHさんに早速お電話し、喜び合った。
終身刑に服しておられる中で、ひたすら歌を詠むことで心を支えてこられ、おそらくは朝日歌壇で圧倒的に多く入選実績をもっておられるのではあるまいか。
この人が受刑者移送条約(日本は2003年に加盟)で日本の監獄で刑に服すことも可能ではあろうが、なかなかそうは進まない諸事情もありそうだ。
ファンとは勝手なもので、郷さんの歌に接したいばかりに新聞を購読しているのかと言われるくらい、毎週、月曜日の朝日歌壇がいよいよ楽しみになってきた。
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吹浦 忠正
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尖閣諸島で米軍射爆演習の映像を [2012年10月29日(Mon)]
熊「尖閣諸島ってさ、台湾や中国がいちゃもん付けてきたのは」
八「国連のなんとかという機関が周りに石油があるかもって言ってからだよね」
熊「それって、あんまりだよな」
八「うん、それまでほっといたんだよね」
熊「いくら、昔は明だか何だかのものだったとかいってもさ」
八「ほったらかしにしてたんだもんね」
熊「1895年に日本が閣議決定しても何も言わなかった」
八「ぬかってたってことだ」
熊「いや、関心がなかったか、当然、日本のものだと思い込んでいた」
八「と国際法ではいわれるんだ」
熊「しかも、戦後は米軍が射爆場として使ってたちゅうじゃないか」
八「1978年6月までは本当に使っていた」
熊「よく知ってるね」
八「琉球新報の一昨年の10月23日付に記事が出ていた」
熊「で?」
八「その後は使ってないのだが、日本政府は引き続き米軍が必要としている地域だという内閣への質問主意書に答えているんだ」
熊「ふん、ふん」
八「照屋寛徳議員からの質問主意書に対して、10月20日に閣議決定した回答でだ」
熊「すってぇと、中国にしてみれば、ずっと米軍が中国の領土で爆撃の演習を行い、これからもするかもしれないということになるね」
八「日本にしたって同じだね、それは」
熊「すると、そのことについては中国がアメリカに文句を言わんのかね」
八「言わないね。日本としても米軍が使うかもというのが都合がいいよね」
熊「78年6月まで米軍が実際に射爆訓練をしていた映像や画像はないのかね」
八「米軍には必ずhistorianというのがついていて、そうしたものを保管しているんだ」
熊「みたい、見たい」
八「中国にも、見せたいね。あんなたちこんなことを許しておいて、自国領なんていえた義理かねとね」
熊「これは有効な説得力になりうるね」
八「1972年5月15日、つまり沖縄祖国復帰の日に日米両国は尖閣諸島のうち、民間人が所有していた久場島と国有地である大正島について、米軍への提供施設として合意しているんだ」
熊「それにも中国は気づかなかったというのは、尖閣諸島を管理していなかったということだね」
八「そういうことだ」。
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巨人阿部捕手に拍手 [2012年10月29日(Mon)]
指導に「愛のムチ」、大賛成だ。
産経新聞電子版によると、 昨夜の日本シリーズの1回表、 ドラゴンズの攻撃中、 こんなことがあったそうだ。 捕手の阿部が マウンドに行き、 澤村投手の頭を叩いた というのだ。
☆☆☆ ★★★ ☆☆☆
一回、 先頭の陽岱鋼への初球が 死球になった。二死後、 中田にも死球。 一、二塁とピンチを広げて、 打席には稲葉。
ここで沢村が、 二塁牽制のサインを見落とした、 次の瞬間だった。
捕手の阿部が“激怒”。 タイムをかけマウンドへ。
沢村に近づくと右手で 頭をたたいた。
「やるべきことを やってなかったからね。 彼に求められているものは 大きい」と阿部は説明。
中大の先輩でもある主将からの 愛のムチだった。
❀❀❀❀❀❀❀❀❀❀❀
阿部主将の叱咤激励が効いたか、 澤村はこのあと 8回で降板するまで ヒット3本という好投。
学校教育の現場などで、時に 「愛のムチ」が 過剰になること なしとしないのは残念だが、 この程度のことは場合によっては 重要なことだ。
要は、 ムチ打つ側に余裕があるか、 日ごろの信頼関係があるかが 重要であって、 一概に、 良し悪しを言うべきではないと 私は考える
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吹浦 忠正
at 10:57 |
ナットク |
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ハロウィンが年々盛んに [2012年10月28日(Sun)]
10月31日はハロウィンのお祭りだ。
キリスト教と無関係の習俗なので、欧米では教会が参加を禁止するところさえあるようだが、日本ではいわれも歴史も関係なくハロウィン騒ぎを行い、その傾向は年々高まっているように思う。日本のクリスマスやサンタクロース、そして除夜の鐘を聴きつつ、初詣に向かう正月行事と同じようなものか。わが郷里・秋田のなまはげ等もそうだが、あくまで季節のイベントとして楽しむもので、まぁ、それはそれで楽しければいいではないかと、私は気楽に考えてしまう。
縁あって実は、私は昨日、北関東でハロウィンの行事に「参加」した。そこのご主人が直径80〜90pもあるオレンジ色のカボチャを長野県で入手して、くりぬき、見事にあの恐そうな頭を作った。これが大人気で、悪魔や魔女に変装した近所の子供たちが「トリック・オア・トリート(Trick or treat. ご馳走をくれないと悪戯するよ)」と唱えながら、次々にやって集まってきていた。
ハロウィンの行事としてはJR川崎駅前の「カワサキ・ハロウィン・パレード」が有名で、なんでも約3000人による仮装パレードが行われ、10万人の人出を数えるという。もう、16年も続いているらしい。
東京ディズニーランドでも、2000年に入ってから秋のイベントとなり、今では9月初旬からハロウィンの変装や飾り付けが始まる。
興味深いのは、小笠原村の父島。島民の秋のイベントとして定着している。これには血統的に欧米系の島民が結構多いので、そのあたりから始まったもののようだが、どなたか詳しい人がおられたら教えてほしい。いつの日か北方4島が返還され、ロシア系の住民との共生社会ができると信じている私には、ロシアのさまざまな文化が、移り住む日本人にどんあ影響を与えるか、想像するに楽しい。
同様に、欧米系村民が多数存在し、海外からの観光客も多い長野県白馬村では、2005年から、毎年10月の最終日曜日「白馬deハロウィン」が行われている。子供たちが「トリック・オア・トリート」と各家々を周ったり、ランタン・コンテスト、仮装コンテストなどが行われている。
2月のバレンタインデイの女性からのチョコレートは、日本男児の端くれたる老生も「大歓迎」だが、これこそ実は、チョコレート屋の陰謀ではないかと思ってしまう。
そんなケチなことを言うまいと思いつつ、昨日はハロウィンを楽しんだのだった。
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吹浦 忠正
at 21:32 |
季節 |
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辞書って読んでて面白いもの [2012年10月27日(Sat)]
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いつも使っている言葉でも、 これを定義することは容易でないことが、 しばしばある。
私は子どものころから辞書をあちこち見ることが 大好きだったが、 きょうは久々にそんな時間があったので、
例えば、 「今夜、何時に西の方に向かう予定ですか?」 という一文。
まず、「今夜」の「今」。 小学館の『日本国語大辞典』によれば、 「今」とは @ 過去と未来との境になる時。 現在。ただいま。この瞬間。 A 現代。今の時代。現今。今日(こんにち)。 B 新しいこと。また、そのもの。 C ごく近い過去に関して用い、 D 互いに経験や知識で知っているものを指していう。
次に、「夜」。今度は講談社の『日本語大辞典』。 「太陽の沈んでいる間」。 日の入りから日の出まで。 岩波書店の『広辞苑』も 「日没から日の出までの時間」。
私には少し違うように思うのだが、 どうだろうか。日没後まだ西の空が 明るいときのことを、夜とは 言わないのではないか。同様に 日の出前でも空が明るくなったら、 まだ夜だというだろうか。
3番目に「何」。『日本語大辞典』では 「わかっていないこと・もの」、 『広辞苑』は「物事をどんなものだとは、 はっきり定めずに指し、 また名がわからない物事を 指すのに用いる語」。
今度は「西」。『日本語大辞典』は 「四方の一つ。日の沈むほう。 南に向かって右のほう」。
ちなみに、「南」は「日の出る方(東)に向かって 右のほう」。『広辞苑』でも「西」は 「四方の一。日の入る方角」。
そして「向かう」は、『日本語大辞典』では 「顔をそのほうにまわす」を第一に挙げ、 「出かける。おもむく」などと続けている。 『広辞苑』では「おのずと湧いて来る勢いに乗って 進行・行動するの意。前へ出る。 前へ行く。進行する。前進する」。
みんさんも、時には辞書と遊んでみませんか?span>
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吹浦 忠正
at 21:20 |
文化・言語 |
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なぜ読売軍ではなく巨人軍なの? [2012年10月21日(Sun)]
今日の試合、最終回「読売」村田の打席。span>
いかに読売ジャイアンツ嫌いの私でも、 きょうの中日ドラゴンズとの クライマックス・シリーズは素晴らしかった というほかない。
2対2の同点で迎えた9回裏、 谷の代打、石井のサヨナラ安打は見る者を 楽しませてくれた。
それにしても、なぜ読売ジャイアンツを 巨人軍というんだ。
読売軍ではないか。中部日本新聞(中日新聞)が やっているから中日なのだから、読売新聞傘下の ジャイアンツは巨人軍ではなく 読売軍というべきではないのか。
これ以上書くと、なんだか負け惜しみを超えて 八つ当たりのように思われるかもしれないので、 誰か知ってたら教えてください。
そういえば「中日軍」とも言わないなぁ。
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吹浦 忠正
at 21:51 |
スポーツ |
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ミャンマー少数民族に積極支援 日本財団 [2012年10月20日(Sat)]
一昨年11月に全面改訂されたミャンマー政府の国旗。 カレン民族解放軍(KNLA)の旗。最近でも日本人の参画もあったし、旗ももしかして、 日本の旭日旗の影響かもしれない。ただ、なぜかテキサス州旗ともそっくりだ。 こんな気分のいい記者会見に久々に出席させていただいた。
日本財団はミャンマーで長く政府軍と戦闘を続けてきた少数民族系の武装勢力10団体の代表を招聘した。 18日、笹川陽平会長は、11の少数民族武装勢力で作る「統一民族連邦評議会」(UNFC)に対して、医薬品や食料など総額300万ドル(約2億4000万円)分の人道支援を行うと発表した。12月にも1回目として30万ドル分の医薬品などを輸送する。
支援は、ミャンマー政府から「和平プロセスの一環」として合意を得たもので、政府と武装勢力との和平交渉への足がかりになるものと思われる。
ミャンマーでは長年、少数民族との紛争が続いており、本来の居住地域に住めなくなった国内避難民は100万人に上るとされる。避難民は僻地にいるケースが多いため、タイ、中国、バングラデシュなど隣接する国々から陸路で支援物資を搬送することも検討するという。
笹川会長は「ミャンマーは民主化が進む半面、少数民族との争いは終わっていない」と支援の必要性を強調した。
他方、笹川会長とともに会見したクン・オカーUNFC副議長は「少数民族は武力衝突の悲劇的な被害者。人道的な支援を必要としている」と話し、改革を進めるミャンマー政府との恒久的な和平の必要性や少数民族の経済的な窮状を訴え、「政府が政治的目的を放棄させようと少数民族を説得するかもしれない。国際社会が監視役になってほしい。日本政府は諸事情で私たちの問題を内政問題として関わりできないとしているが、教育、福祉、保健衛生など緊急かつ重要な人道問題が山積している中で、日本財団には援助、和平の仲介・保証をしてくれるよう大きく期待している」と訴えた。
援助から平和構築まで、こうした分野での日本財団への期待は各方面にあり、かつ、その力量が試されているように思う。ただ、日本政府がそれを傍観するだけではなく、必要な便宜を与え、協力してこそ、わが国への評価と信頼を一層高めることができるのではないか。また、日本財団はさらに実力・経験豊かな人材を充実し、この大事業を達成してほしいと願う。
私にととっても単に「気分のいい」だけではなく、日本のNGOのあり方について、大いに示唆を受けた記者会見だった。
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吹浦 忠正
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安井算哲とJ.S.バッハ [2012年10月16日(Tue)]
= "映画『天地明察』パンフより_P6.jpg" /> ジャン・セバスチャン・バッハ(1685〜1750)の「インヴェンション − 演奏例実記版」をピアニストの山季布枝(やまき・のぶえ)さんが出版しました。そして、それがドイツ・ライプツィッヒ・バッハ協会図書館に収蔵されたことを記念して、山季さんによる「バッハからの伝言」トーク・コンサートが日比谷の松尾ホールで行われました。
この人姉妹とはとても仲良しで、家族ぐるみのおつきあいをし、何度も演奏会に行きましたが、今回が私には一番印象深いコンサートでした。今までは、得意とされ、好評なトークに私はどうにもついてゆけなかったというのが実感でした。それが今回は音楽の授業を受けるようなコンサートだと始めから納得して出かけたこともあり、得るところ極めて大でした。
バッハとヘンデルが同年生まれというのは知っていました。しかし、ジュスティーニもスカルラッティも、つまり著名な作曲家4人が同じ年に生まれたというのは、初めて知りました。これは専門家には常識なんでしょうが、記憶に残る印象的なお話でした。
山季さんは第二部でその4人を弾き分けてくれ、時代と各作曲家の音楽的個性を教えてくれました。
実はそのあと、ふと思いつき、映画「天地明察」を上映している丸の内ピカデリーにjust in timeで飛び込みました。思いついたのは、あれっ、もしかしてバッハと「天地明察」の主人公である囲碁師であり、大和暦を考案した安井算哲(=渋川春海。岡田准一)は同じ時代の人かも、と思ったからなのです。バッハの生まれたのは1685年で、1750年に没しているのですから、タイトルを見ながら、その間の将軍はとなると(元受験生は名前が出てくるのです)五代将軍綱吉から始まって、家宣、家継、吉宗、家重なのを思い出しました。八代将軍吉宗はバッハの1年前に紀州で生まれています。
ところが違っていました。安井算哲、浅学菲才の私はこの人が1639年生まれで1715年に亡くなられたことを知りませんでした。つまり、バッハより46年早くこの世に生を受けた人なのです。算哲の時代は映画にも登場する、保科正之(松本幸四郎)、水戸光圀(中井貴一)のころであり、「鎖国」になってからの人なのです。算哲はまた関孝和(1642~1708)とも同時代の人です。
そして、そんな時に、日食や月食を予言する和算が(噂にも聞き、授業でも習いましたが)実際にこんなにも発達していたことに驚かされました。400年以上を経た21世紀の冒頭、それなりの高等教育を受けた「はず」の私には、そんな軌道計算なんて、文字通り、夢にも見ることのない超高等数学、魔術に近いものなのですから。
バッハもすごいですが、われらが先祖、日本の数学というのはずいぶん前から途方もなく発達していたのだなと、ただただ、驚嘆して、昨夜はしばし、眠れませんでした。
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吹浦 忠正
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23年ぶりの奇跡の再会に思う [2012年10月11日(Thu)]
ロアンさん(右から二人目)一家と筆者(右端)世の中、まさに「一寸先は闇」。隣家の女性を86歳の元警視が日本刀で切り殺して自殺という信じられないような事件も我が家の近くで起こリました。ところが、私は4日前、サンフランシスコで、これこそまったく信じられないような偶然の再会をしたのです。
1989年に結婚式東京・山手通りの教会での結婚式に招かれて以来、実に23年ぶりに元ベトナム難民ブ・ティ・キム・ロアンさん一家と、航空ショウの何十万人もの雑踏の中で出会い、なんと昼食までごちそうになったのです。
同じくベトナム難民であるご主人が不動産鑑定士、ロアンさんは3人のお子様を育てつつ経済分析の仕事をしているそうです。ロアンさんは以前、小欄で紹介したコイくん(医師。西武線沿線で外国人の患者を中心に診察するクリニックを経営)とわがユーラシア21研究所の特別研究員であり、上智大学で文学博士の学位を取得したスアンさんのお姉さんです。
この3人とロアンさん(昭和女子大学卒)のお姉さんにあたるランさん(聖心女子大学卆)の4人は、1980年代はじめに、ベトナムからのODP(合法出国難民)第1号として、元南ベトナム大統領顧問だったお父さま、お母さまと来日し、難民を助ける会(相馬雪香会長=当時)がロアンさんの中学生時代から生活支援をして来たご一家です。
サンフランシスコ市内を周っていて、気まぐれにバスから降りました。海岸沿いのそこでは午後からPier 39(39番埠頭)上空を中心に航空ショーがあるというので、埠頭の最先端にあるレストランNeptuneで海鮮料理でもと思って、空を眺めながら歩いていると、いきなり、「先生っ!」といって抱きつかれました。私のあわてようをご想像ください。
13歳と15歳の二人のお嬢さんが、海軍の白い制服を着て続き、実に立派に見えました。ロアンさんはほとんど23年ぶりの日本語だと言ってましたが、互いに英語と日本語を混ぜて近況を語り合いました。
帰国すると、社会福祉法人さぽうと21の高橋敬子事務局長からのメールが来ていました。さぽうと21は1993年に難民を助ける会の国内支援活動を分離して、独立した法人(事務所は、難民を助ける会と同じ目黒駅前のみずほビル3階)とし、外国にご縁のある若者を中心に支援している団体です。不肖・吹浦忠正が現在の理事長です。
曰く 「カンボジア出身の元支援生ソム・モノラックさんが事務所をお訪ねくださいました。 樋口静子理事、堀江良彰AAR(難民を助ける会)事務局長、そしてカンボジア担当のスタッフとお迎えをしてお話を伺いました。 現在はカンボジアにご兄弟で建設会社を作っていらして、お仕事は順調に軌道に乗っているということでした。 AARの園田さんが現地で建設会社を探していらして、たまたま出会われたようです。 ご兄弟共々、難民を助ける会に大変お世話になったと恩に着てらっしゃいました。 兄弟で総額300万円以上の支援を受けられたとか・・・・少しずつでも返済し、自分たちと同じ境遇で頑張っている後輩のために使ってほしいとのお申し出でした。
難民を助ける会の支援金は貸与ではないので、返済をしていただく必要はない訳ですが、お申し出は大変ありがたく、頂戴した場合には後進の就学支援のために使わせていただくということで、さぽうと21の口座番号等ご案内させていただきました。
なお、モノラックさんの会社は、AARのカンボジアでの事業計画に公的助成金がつけば入札をなさることになっているようです。 そちらのほうも公正な審査を経て落札され、上手くいけばすばらしいと思っております。 以上、元支援生にお目にかかったご報告まで」。
カンボジアでは同じく元支援生のメヤス・アスナさんが現地法人のマルハン銀行のトップとなり、カンボジア政府の事務次官待遇で国の復興と発展に努めていると、先日、私にメールをいただき、親会社の韓社長とは親しいので、「嬉しいことです」と喜び合いました。
窮鳥として日本の懐に飛び込んできたインドシナ難民の人たちの活躍が、各地で見られます。
社会福祉法人さぽうと21ではほかにも元支援生活躍の報告がたくさん届いています。
また、年末の26日(水)13時から、日本記者クラブで現在支援している人たちの研究報告会が開催されます。 毎年のことですが、一人ひとりのあまりに優秀なことに驚嘆してしまいます。 どなたでもご参加できますので、日比谷の記者クラブ9階にお越しください。
なお、ご寄付はこのように間違いなく活用させていただいておりますので、皆様のさらなるご支援を下記にお願いいたします。 「一寸先は光明」と信じつつ、支援してきたことの満足感を保証します。
さぽうと21の活動は皆さまからの会費や寄付金によって支えられています。 活動をより充実させるために個人、企業や自治体、各種団体の皆さまのご支援が必要です。 ご協力をお願い申し上げます。
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□■ご協力方法■□ ★ 会員として・・・ さぽうと21会員の皆さまには、ニュースレター「さぽうと通信」を通して、 事業の様子やニュースを定期的にご報告いたします。 また、さぽうと21が開催するイベント等のご案内をいたします。 年会費: 個人 5000円 法人 50.000円 ※銀行(ゆうちょ銀行含む)からお振込み下さい。
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吹浦 忠正
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